ところで、人は能力を発揮出来ないと自己肯定感が下がり自身を責めるようになるようだ。


 弟は今まで一生懸命働いてきたが、嫁を殺してからは滅多に外に出られず、たまに飲みに行く以外は家の中で過ごしていた。勿論仕事もしていなかった。夢を追いかけ、がむしゃらに働いてきた弟には辛かっただろう。


 仕舞には嫁を父親と同罪の罪で殺したと思い込んでいる。おかしくなるのも当たり前だと思った。


 有隆は昔学んだ心理学の本を思い出した。


 有隆はことあるごとに弟に、もう死んでくれ、俺はもう死にたい、普通に生きたい、と伝えた。心理学ではイラショナルビリーフというものがあり、失敗を予想するとその通りになって行くものがある。弟は有隆が普通に生きるためには自己犠牲が必要であると学んだだろうか。


 有隆は弟に自殺をして欲しかった。だが弟は首吊りさえもろくに出来なかった。


 人は催眠術でも簡単には自殺はしないと何かの本で読んだことがある。人は極限まで追い詰められないと簡単には死なないらしい。


 普段から有隆は、弟にロジック・ハラスメントをするようになった。


 もう何人も殺している。

 死刑になるだろう。死刑になったらどんな痛みや恐怖があるんだろうな。

 生きていて楽しいか?お前が存在している事全てが迷惑なんだよ。

 お前は誰だ?誰にもなれないただの殺人犯だ。

 鏡を見てみろ、お前は誰だ?

 有隆は弟を逆に脅し始めた。


 弟を精神科に通わせたところで、弟が本当の事を言えるはずもないので、意味がない事も分かっていた。問題は、弟をどんな自殺、状態に追い詰めるかだった。確実に死ぬか、または重傷で一生意識がなくなる状況になって欲しかった。


 苦しみに耐える首吊りが出来ないのなら、ただ灯油を被り火を付けるだけの焼身自殺の方がまだ、勢いで死ねるかと思った。焼身自殺なら事は公になってしまうだろう。それなら誰か目撃者が欲しかった。


 焼身自殺は遺体の指紋が消える可能性がある。有隆は自分が生きていれば指紋の判別は可能だと思ったが、念のため自分達双子が二人同時に存在する状況で、片方が自殺をするシーンを誰かに見てもらいたかった。


 また、有隆は弟が死ぬ瞬間を見たかった。あの日急いで二階に駆け付けたのは、笠木を助けるためもあるが、弟の自殺シーンを見たかったからだ。


 有隆は、目撃者は警察と笠木が適任であると考えた。笠木に自分とそっくりの弟が自殺をするシーンは、本当は見せたくなかったのだが、やむを得なかった。それは自分達が双子で、犯人は自分ではないと認識してもらうためだった。


 最終的な問題は弟の焼身自殺の場所をどうするかだったが、すぐにあの忌々しい実家が最適だと判断した。弟は、弟の相続したあの実家を、思い出の詰まった場所だと言い頑なに譲らなかったが、有隆はあの家が嫌悪する程嫌いだった。あの家ごと燃えてくれればいいのにと思った。


 有隆は時折、弟に火を連想させる話をした。昔一緒にしたキャンプファイアーの話や、好きな映画の犯人の燃えるシーン、煙草の話など。サブリミナル効果で、何度も伝える事で深層心理に働きかける。


 実家にあの日灯油をセットしていたのも有隆だった。一階の居間に、弟に見える位置に灯油の入ったポリタンクと、ペットボトルを用意しておいた。弟のジッポライターは有隆が、弟の誕生日にプレゼントしたものだった。


 あの日あの実家で、弟の首を絞められなかったのは、有隆の演技だ。弟を心理的に追い詰めるためにやった。弟の犯罪の隠蔽を手伝い庇った兄を普段から脅し、共犯にし、兄の恋人との仲を引き裂き、最後にはその兄が自分の手によって死んだように見せかける。外には警察が居る状態だ。もう追い詰められて死ぬか、自首をするしかない。弟が自殺を選んでくれる事を有隆は願った。


 弟の残した日記は、有隆が弟の筆跡を真似て偽装したものだった。高校卒業後から弟が結婚するまでずっと同居をしていたので、筆跡を真似る事は難しい作業ではなかった。事前に弟に白紙のノートを触らせ、弟の指紋のついたノートにゴム手袋をして狂った弟の描写を執筆した。弟が笠木に嫉妬をしている描写は、実際に嫉妬していたので、そのまま事実に基づき描写した。勿論大袈裟ではあるが。後から警察に疑われた時の保身に、実家に用意した耐熱金庫に入れておいた。


 有隆は、笠木さえ傍にいてくれればそれでいいと思った。

笠木なら、犯罪者ではなく脅されていただけの被害者ならまだ傍に居てくれると思った。


 元々依存性のある笠木を完全に自分に依存させる事は簡単だった。笠木の人間関係を絶たせれば良かったからだ。


 だが、笠木の人間関係を完全に絶たせて自分だけに依存させた場合、弟の自殺に付き合いかねないと有隆は考えた。本当は自分にだけ依存をして欲しかったが、万が一の事を考え、笠木の一部の人間関係だけが残るように、笠木の周囲を調整した。笠木の裏アカウントを作成して、笠木に余計な人間関係は排除した。


 笠木は想像通り、自分が高倉有隆と判明した後も、別れない選択肢をしてくれた。

笠木はもし自分が刑務所に入っても手紙をくれると言ってくれた。笠木は自分を見捨てないでくれた。有隆は、これで裁判の結果がどうなろうとも、安心した。


 何よりもう殺人の手伝いをしなくていい、平和な日常を過ごせるという事に安堵した。親族の証拠隠滅罪の場合は、情状酌量の余地から刑期が短くなる事も知っていた。まさか執行猶予でこんなに早く笠木に会えるとは思わなかった。






 ふと、有隆は足元がくすぐったく感じた。

 目を足元へ向けると、自分の足に蟻が登っていた。蟻は行列を作り、巣へ物を運んでいるようだ。その様子が女性を山へ運ぶ弟に重なった。


 笠木の方を見る。笠木はまだチケットを購入するために並んでいた。


 有隆は足元を登ってきている蟻を手で払い、煙草を吹かすと、フランツ・リストの「愛の夢」を口ずさみながら、蟻の行列に煙草を押し付け火を消した。


 音楽が嫌いなのは嘘だ。

 笠木と会ってまだ間もない頃、二人で見た映画館で、ホラー映画の悪役がクラシックを聴いているのを見て、笠木が怖いと言ったからだ。クラシックは好きだ。嫌な気分を消してくれるし、中原が目の前でピアノ演奏をしてくれたあの日から、この曲が好きになった。


 笠木は今丁度チケットを購入して、こちらに走って来ようとしていた。

 有隆はキャップのツバを引っ張り深く被ると、椅子から立ち上がり、笠木に笑顔を向けて、笠木の方へ向かった。

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