有隆は、弟の嫁の遺体を隠蔽したあの日を思い出した。


 普段から、建築デザイナーになった弟は理想の家の構造が作れずに悩んでいるようだった。それでよく相談に乗っていた。


 それもそうだと有隆は思った。あんな家庭環境に育って幸せな家族像だなんて、幸せそうな一軒家なんて思いつくはずもない。


 有隆は弟の気持ちが一切理解出来なかった。何故そんなに幸せな家庭像に執着するのかと。


 弟が結婚した理由も、自分の幸せな家庭を築きたいからだという事には気付いていた。だがそんな事は見ていて不可能だと有隆は思っていた。


 弟が普段から嫁を自宅に監禁し、暴力を振るっていた事も知っていた。よく弟に会いに弟の自宅へ行っていたが、弟の嫁は時々痣があったし、有隆の顔を見ると怯えた表情をするからだ。弟の嫁の痣は、弟のストレスが発散されているなら良いと思っていた。


 あの日、弟から連絡があったあの日、有隆が居間に入ると、弟の嫁が俯せで床に倒れていた。弟の嫁は頭からは出血し、血が流れていた。


 嫁の横に置いてあったテーブルの端に血が付いていた。このテーブルに頭をぶつけて倒れたのだろうか、と有隆は思った。


 弟は「どうしたらいい、兄さん」と有隆に聞いてきた。


 有隆は弟の嫁が本当に死んでいるか確認すべきなのは理解していたが、見た感じ嫁は微動だにしなかったし、息をしているようにも見えなかった。そして何より有隆は女性が苦手で、遺体になど触りたくもなかった。


 弟は「自首すべきなのかな、兄さん」と聞いてきたが、有隆は弟を守りたかったので、遺体を隠す提案をした。


 そして有隆が弟の嫁を山へ運ぼうとしたあの時、嫁は息を吹き返した。


 車で山まで運んでいる間に、後部座席でゴミ袋の中で暴れていた。頭を強く打ち気を失っていただけだったらしい。脳震盪だろうか。有隆は驚いた。


 有隆は車を路肩に寄せ、弟の嫁の上半身に掛けてあったゴミ袋を外し、嫁を介抱しようとした。すると、弟の嫁は最初意識が朦朧としていたが、有隆の顔を見るや徐々にパニック状態になり、「あんたを訴えてやる!」と叫んだのだ。


 有隆は周囲を見渡した。山の中で誰も周りにいなかった。


 有隆は「俺は兄です」と名乗った。


 すると弟の嫁は恐怖の表情をし、「あんた達兄弟を訴えてやる!どうせ共犯なんでしょ、私を殺そうとした!」と叫んだ。弟の嫁は下半身がまだゴミ袋の中に入れられた状態で、脱出しようにも袋が絡みつき、自由になれないでいた。

 

 有隆は弟の嫁を見ていると嫌悪感がした。有隆は弟の嫁をこのままにしても、自分は被害を受けると思った。


 有隆は、後部座席で暴れている弟の嫁を、後部座席に横たわるように押し倒した。力で抵抗出来ない弟の嫁の首に、黙って手を回した。そして無言で、両手で弟の嫁の首を絞め始めた。


 弟の嫁の意識を遠ざける。


 弟の嫁は最初暴れていたが、だんだん苦しそうに眼が血走り、口から泡を吹いた。暴れていた力が弱くなり、大人しくなった。目は見開いたままだった。


 人気のない山の中でよかったと有隆は思った。この車は処分だ。証拠を消さなければならない。有隆は憂鬱になった。


 よくドラマで他殺を自殺に見せかけるシーンがあるが、あれは実際には不可能な事だと有隆は知っていた。ましてや弟の嫁にこんな怪我がある状態で、首吊り自殺に見せかける事は無理があった。


 過去に趣味の刑事ドラマの影響で調べた事があったのだが、絞死は首の中にある小さな骨が少しでも折れていたら、白骨化した後でも死因が分かるという。人間の首を絞める際にかかる圧力は喉の奥の小さな舌骨という骨を簡単に砕いてしまう。


 有隆は万が一のことを考え、弟の嫁が撲殺ではなく、絞死であると見せかけなければならないと瞬時に判断した。有隆は先程弟の嫁の上半身から外したゴミ袋を再度遺体に被せてガムテープで固定すると、井戸の中に捨てた。


 有隆は弟の自宅に戻り頭を整理した。有隆は証拠隠滅のため、テーブルや床についた血を拭き取り、部屋を片付けた。


 そのうち、弟が帰宅したので、有隆は弟にこう問いかけた。「嫁は酷い有様だったが、ちゃんと話を聞いていなかったな。何をしたんだ」


 弟は気まずそうに言った。「嫁が宅配すら自分が受け取っては駄目なのかと聞いてきたんだ」


「いつもの喧嘩か」有隆は聞いた。


「そのつもりだった。今回は少しやり過ぎた」弟は言った。


「ああ、だから首を絞めた痕まであったんだな」有隆は整理した居間を見渡しながら言った。


 酔っていた弟は驚いて言ってきた。「僕は首を絞めてなんかいない」


「いや違う」有隆は言った。「首に絞めた痕があった。お前は、嫁の首を絞めた」


 酔っていた弟は混乱して頭を抱え込んだ。だが普段から嫁をDVしていた弟は、しばし考えた後、「もしかしたら首も絞めていたのかもしれない」とぽつりと呟いた。


 まさか兄が嫁の首を絞めたとは思いもしないだろう。


 有隆は、今までずっと弟の人生を優先してきた。弟の事を大事に思ってきた。だが、今弟の人生と自分の人生を天秤に掛けた時、さすがにこれは弟を優先出来ないと悟った。


 また、有隆は思った。先に裏切ったのはどちらだと。自分を置いて結婚をして女性を選んだのはどちらだと。


 有隆はずっと弟の事を、家族以上の目で見ていた。自分に見た目がそっくりな弟が、愛おしくて仕方がなかったのだ。この事は誰にも言えないまま、長い年月を生きて来た。だが弟は有隆を一人にした。有隆はその事で心が何度も崩壊しかけた。


 何が「何かあれば俺のせいにすればいい」だと、有隆は弟に指示をしながら思った。有隆は、もし警察にバレたら自分は高倉有隆である、証拠隠滅に付き合っただけだと自白をするつもりだった。有隆はそのため弟に、自首はするな、表に出るのは証拠隠滅罪の時効が過ぎてからにしろと伝えた。


 最初有隆は、また弟と暮らせる事に喜びを感じていた。弟が自分を裏切った事や、自分が弟を裏切った事を忘れて、また二人で暮らしていけたらいいと心の底から有隆は思っていた。


 だが、二人で暮らし始めてから弟はまた殺人を犯した。


 弟と一緒に自宅で映画を見ようと約束し、DVDをレンタルして帰宅をしたら、弟が涙を流しながら自宅の浴槽へ有隆を案内した。有隆は遺体を見た事よりも、弟がまた自分を裏切った事に酷く悲しんだ。また弟は女性と会っていた。


 有隆はその瞬間、弟の事を本気で嫌いになった。


 弟は、嫁を絞死させたと思い込んだ事で、自分の両親に自分を重ねたようだった。

弟は遺書を書き、自宅のアパートの居間のドアノブで何度も首吊り自殺をしようとしていた。


 有隆は弟がもしそれをしたら弟の遺体を何処かに隠そうと思い黙って見ていたのだが、弟は恐怖心が勝ち自殺だけは出来なかったようで、代わりに他の女性を殺し始めた。


 有隆はこれ以上弟に殺人を犯して欲しくなかった。勿論自分の証拠隠滅罪の時効のためだ。


 警察に話した事の一部は本当だ。弟は二重人格者のようで、精神が正常ではなくなっていた。もはや有隆の手に負えなくなっていた。自宅で不倫をした芸能人のニュースを見るだけで、過去がフラッシュバッグをしたようにおかしくなったくらいだ。

弟は有隆を脅した。自分が騙された結果精神を病んだとは知らずに。


 有隆はこれに関しては自分を呪った。


 普段使用する凶器は弟が持ち運んでいた。殺人をするならバレないように、計画的に犯罪をしろと伝えたのは有隆だった。


 弟は山まで女性を連れて行く際、有隆の車を使用した。理由は有隆の車のほうが女性に受けが良いからだった。実にくだらない理由だ。


 弟は近所に住ませていた。弟のアパート、車やスマートフォンは全て高倉有理名義で使用していた。好都合な事に両親の遺産や、残業が多い代わりに給料の良い職場のため、金には困らなかった。最初は弟を近所に住まわせたのは弟の監視の目的だったが、徐々に効率良く殺人をするためになっていた。


 有隆は証拠隠滅をする事に疲れ、いつ弟から呼び出しがあるか分からない状態で、気疲れから不眠気味になっていた。

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