第十八章 移行

 有隆は、今目に見えるところに並んで居る笠木を見て胸を撫でおろした。


 あの日、あの気絶して倒れたふりをした日、弟は有隆を見下ろして横で過呼吸になっていた。弟は兄を殺してしまったと思っただろうか。


 弟は臆病だった。遺体を触る事が出来なかった。だから遺体の処理も全て有隆にやらせた。


 弟はすぐに電話を掛けた。有隆は横で聞いていた。

 相手は笠木だった。弟は自宅に笠木を呼び出していた。笠木は、別れ話をした後も連絡先を削除していなかったらしい。


 有隆の思った通りだった。

 笠木は人と距離を置く事が苦手な人間だ。過去の恋人の連絡先も完全に消していない事を知っていた。


 有隆は弟には、最後に笠木に全てを打ち明けて死にたいと何度も伝えていた。有隆は笠木が来る事は想定内だった。


 その為に事前に笠木の連絡先を、弟と自分を入れ替えるように交換させていた。万が一笠木から連絡が後から来た際も弟が対応出来るようにした。


 弟に頼んだ内容は、笠木に自分から別れ話を出来ないから代わりに俺のふりをして伝えてくれないか、という内容だった。そのために二人分同じ衣類を用意し、二人共同じ格好をし、動物園の後の朝に、入れ替わった。


 有隆はもう笠木を巻き込みたくなかったし、この状況で付き合い続ける事に限界を感じていた。だが、笠木には最後に一つお願いしたい事があった。


 それは弟の自殺を見届ける役割だ。


 弟は、なかなか笠木に別れ話を伝えられないでいた。それは想定外だったので、有隆は苛立ちを感じていた。


 有隆は自分で別れ話をしようと何度も思ったが、出来なかった。自分は大切な人間を失う事がトリガーとなり過呼吸を起こす事を知っていた。弟が結婚した後にもなった。それを笠木に見られたくなかった。


 別れ話をした後とする前とでは笠木の心情が変わる。


 結果的には笠木には、弟に女性と会う事を勧め、有隆に見える弟と女性の浮気現場を見せつけ、笠木から別れ話をさせた。仕方がなかった。今思い出しても想像以上の衝撃で辛かった。


 実家で、有隆は倒れたまま弟と笠木の話し声を一階から聞いていた。弟は情緒不安定で、自分の声が大きくなっている事に気が付いていない様子だった。


 自分を責めているようだった。有隆は、弟がそうなる事も理解出来た。弟が有隆の事を笠木に悪く言うはずがないのも、理解出来た。


 笠木は、灯油の匂いのする二階に行った段階で、二つの選択肢を与えられていたはずだ。一つは自殺を見届けるか、二つ目は有隆のふりをした弟と共に死ぬか。


 人間は相当追い詰められないと焼身自殺など選ばない。いくら依存性のある笠木でも、二つ目の選択肢は選べないと有隆は思った。また、弟が実際は笠木に手を出さない事も想定内だった。

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