第十六章 高倉

 高倉有隆は、職場で仕事をしていた。


 職場は札幌大通駅直結のビルの中にあった。有隆は大学卒業後、ずっとこの会社でエンジニアとして仕事をしていた。


 本当は、大学卒業後は大学院に進学し研究者の道を進みたかったのだが、弟の有理が大学卒業と同時に女性と結婚をして就職をしたので、遺産分与の事を考え、大学院進学は辞退していた。


 弟はそれに反対したが、有隆の意思だった。何もかも弟と同じ立場を守って生きたかったからだ。


 双子だから深層心理で弟に共鳴しようと思っていたのだろうか。弟より良い人生を歩む事に抵抗感があった。


 ただ、有隆は女性が苦手だった。弟のように結婚は出来ないと最初から悟っていた。


 また、有隆は他人にあまり興味がなかった。何故かは知らないが、弟以外に興味を持った事が未だかつてなかった。弟さえ居ればそれでいいと思っていた。


 だから弟が女性と結婚をすると聞いた時は、珍しくその女性に嫉妬をしたし、結婚式では笑顔で祝ったが、内心弟の結婚相手が嫌いだった。


 別に近親相姦などではない。


 ただ育った環境からか、弟に変に執着をしていたのかもしれない。有隆は家庭崩壊後、弟とそれぞれ別の親戚に引き取られたが、高校卒業後から弟が結婚するまでは、ずっとアパートで弟と同居をしていた。


 それが弟の結婚によって急に一人になったものだから、寂しさから煙草を吸うようになった。煙草は育った環境から嫌いだったのだが、職場で昇進のためには役立つとも思ったし、何より何かに依存して生きる事の楽さを知った。


 有隆は仕事に生きようと心に誓っていた。






 ある日、職場で残業をしていると、弟から電話がかかってきた。普段からメールのやり取りはよくするのだが、電話が来る事は珍しかった。有隆は電話に出るためにスマートフォンを持ち、オフィスから廊下に出た。


「はい」電話に出た。


「兄さん」弟の声は動揺していた。


「兄さん…どうしよう。緑を殺してしまった」弟は言った。


「は?」有隆は弟の言っている事が理解出来なかった。緑とは弟の嫁の名前だ。


「どうしよう。兄さん、今から僕の家に来れない?」弟は声を押し殺しながら聞いてきた。「今すぐ。なるべく早く」


「冗談か?」有隆は無表情で聞いた。忙しい時期にこんな冗談に付き合っている暇はなかった。


「冗談じゃない。本当だ」電話の向こうには情緒不安定になっている弟が居た。


 有隆は無表情のまま、「俺今仕事中なんだけど」と言った。


「頼む、一生のお願いだ」弟は真剣だった。


「お前」有隆は思考した。


 廊下を見渡した後、周囲に誰も居ない事を確認した。廊下の端に行き、小声で弟に話し掛けた。


「殺したって、どういう意味だよ。本当に冗談じゃないって?」有隆は聞いた。


「本当だよ」弟は切羽詰まった声を出した。「今自宅に居るから。頼むよ」


 有隆は思わず電話を切った。嘘だろうとは思ったのだが、弟の切羽詰まった声にふと焦りを感じた。有隆は仕方なく会社を退勤し、白石区に建っている弟の一軒家までタクシーを使って向かった。弟の自宅のインターホンを押すと、弟はすぐに出てきた。


「兄さん、やっぱり来てくれたんだ」弟の目は腫れており、赤くなっていた。


 有隆は弟の脇を抜けて、居間の方へ進んだ。玄関から、開いた扉超しに居間に誰か倒れている足が見えたからだ。


 有隆が居間に入ると、弟の嫁が俯せで床に倒れていた。弟の嫁をよく確認すると、首を絞められた形跡があった。


 居間は物が散乱し荒れていた。いつもの喧嘩のせいだろうか、と有隆は思った。


「何で…」有隆は呟いていた。


「こいつが」弟は声を荒げた。「こいつが他の男に色目を使うから」弟は泣いた。


 有隆は愕然とした。

 弟が普段から嫁を束縛して過剰反応をする事は知っていたが、ここまでの事になるとは思わなかったからだ。以前、弟の嫁が宅配の男と親しげだったと嫉妬しながら有隆に相談して来た事を思い出した。


 有隆は動揺して「救急車を呼ぼう」と言い、自分のスマートフォンをスーツのポケットから取り出そうとしたが、弟がその腕を掴んで止めた。


「呼ばないで」弟は目を充血させながら、必死に頼んできた。


「もう死んでるよ。それに普段から殴っていた事がバレる」弟の表情は心慌意乱の如くだった。


「兄さん、僕刑務所には入りたくない」弟はか細い声を出した。


 有隆は弟の嫁を上から見下ろす姿勢で黙り込んだ。頭が混乱していた。自分が混乱する事は滅多にないのだが、この状況で混乱をしないわけがなかった。


「頼むよ、兄さん」弟は有隆に頼み込んできた。


 それを俺に頼んでどうする、と有隆は思った。警察に言うべきか?だが、そうしたら弟は捕まるだろうと有隆は思った。有隆はこんな弟でも、弟の人生を守りたかった。


「この件はなかった事にしよう」有隆は混乱した頭を必死に整理しながら、口を開いた。「嫁の遺体はどこかに隠す」有隆は自分で自分の言っている事に驚きながらも言った。


「隠すって、どこに」弟は聞いてきた。


 有隆は思考した。


 この家の庭はコンクリート造りで死体を埋められない。海に捨ててもすぐに見つかるだろう。バラバラにして塵として出すか?それもすぐにバレるだろう。手間もかかるし証拠も残る。山に捨てるか、と考えた瞬間、自分が親から相続した山が脳裏によぎった。


 山を相続した時は、自分の自宅が裕福だった事は知っていたが、まさか親が山を持っていたとは思わなかった。


 相続した後、一度弁護士に山の視察に連れて行かれた。その時に、古びた井戸があるのを見た。井戸が現在使われているのかを確認したが、現在は使われておらずただの廃井戸ですと言われ、中を念のため確認させて貰った時を思い出した。その山は売却したかったが、手続きが面倒で、ずっと相続をしたまま放置をしていた。


「井戸に捨てる」有隆は言った。


「井戸ってどこの」弟は井戸の存在を知らなかった。


「俺の山。とりあえず早く遺体を何かに入れて運ぼう。ゴミ袋でも何でもいい」

有隆はそう言い、キッチンに向かい、ゴミ袋がどこにあるか探し出した。


 弟が引き出しを開けてゴミ袋を取り出した。


 有隆は嫌々ながらも、ゴミ袋の中に遺体の下半身を入れた。だが小さなゴミ袋は遺体の腰辺りまでしか入らず、上半身は入らなかった。有隆はもう一枚ゴミ袋を遺体の上半身に被せ、弟にガムテープを持ってこさせた。上下のゴミ袋の隙間は空いた状態だったが、ガムテープで何とか繋ぎ合わせて固定した。


「車に運べ」有隆は弟に指示した。「見られないように」


 この時間帯はもう外は暗闇で、住宅街でも見られる事はあまりないとは思ったが、不安になり言った。弟が遺体を車に運んでいる間、有隆は周囲を確認していた。


「運んだ。後ろの席に入れた」弟は汗をかきながら言ってきた。


「俺が山に運ぶ」有隆は言った。「お前は、どこか居酒屋かバーに今から行って、目立つ行動をしろ。誰かと喧嘩でもいい」有隆は指示した。「アリバイを作れ」


「喧嘩?この状態で?」弟は戸惑った。


「いいから早く行け」有隆は指示した。弟を無視し、有隆は車のキーを弟から受け取り、遺体を積んだ弟の車を運転し、山まで運んだ。そして古井戸に遺体を投げ落とし、古井戸の蓋を閉めて、弟の自宅に戻った。


 弟の自宅に戻ると、弟はまだ帰っていなかった。有隆は証拠隠滅のため、部屋を片付けた。


 そうしているうちに弟が帰って来た。弟は酔った状態だった。


「兄さん、本当にどうしよう。僕、やっぱり自首した方がよかったかな」弟は言った。


「お前は絶対に自首をしたらいけない」有隆は言った。「お前の人生のためだ」


「でも、緑が居なくなった事は周りになんて説明すればいい」弟は酔った目で不安そうに聞いてきた。


「行方不明という事にする」有隆は言った。


「そんなの義父さん達にバレたら何て説明すればいいんだよ」弟は言った。


「嫁は普段男と会ったりしていたか?」有隆はないだろうなと思いながらも聞いてみた。


「ない」弟は気まずそうに目線を有隆から逸らしながら言った。「普段会う男は、宅配の男か、兄さんくらいだった」弟は言った。


「じゃあ」有隆は言った。「俺と駆け落ちした事にすればいい」


「え?」弟は目を丸くして聞いてきた。「兄さんもどこかに行っちゃうの?それは駄目だ」


「違う」有隆は言った。「俺達は入れ替わる」


 有隆は必死に思考しながら言った。「お前は今情緒不安定だ。だから、少し休むべきだ。もし警察に何か聞かれたらきっとボロが出る。俺がお前を演じる。俺達は幸いそっくりな、一卵性双生児だ」有隆は言った。


「どういう事?僕が行方不明になればいいの?」弟が聞いてきた。


「違う。一時的に俺が匿う」有隆は言った。「せめて三年、行方不明扱いになるように隠居してくれればいい。そうすれば周りも落ち着くだろうし、俺達も多分落ち着いてる。だから、今すぐこの家を出る準備をしろ。私物を持って来い」有隆は言った。


「どういう事」弟はまだ聞いてきた。「何で三年なの」


「証拠隠滅罪の時効は三年だ」有隆は先程調べた情報を元に説明する。


「お前は俺だ。お前はただの証拠隠滅に付き合っただけだ。何かあれば俺のせいにすればいい。双子の弟の嫁は双子の兄と不倫して駆け落ちして二人共行方不明、それで探さないでくださいという書置きを残せば、行方不明の捜索もすぐに内輪揉めで打ち消されるはずだ。傷心した弟は嫁と暮らした家を出てどこかで一人暮らしをする。それを俺が演じる。お前は俺が匿う。三年経ったら元に戻る」有隆は説明した。


「だけどその後はお前が殺人をした事になるから…別にずっと戻らなくてもいいかもな。三年経ったら高倉有隆として表に出てくればいい。嫁とはその際既に破局していて、嫁の居場所はもう分からない、とでも言えばいい」有隆は付け加えた。


「それだと兄さんが何かあったら捕まるんじゃ」弟は言った。


「バレなければ捕まらない」有隆は片付けた部屋を見渡しながら言った。「とりあえずお前は職場を辞めろ。俺に建築デザイナーは無理だ」弟は建築デザイナーをしていた。


「俺も転職するから、少しの間になるけどお前は俺の家に来い。だけどすぐに引っ越す。お前名義で。この家は売却する。免許証や保険証のカードを出せ。スマートフォンもだ。嫁のも全部持って来い。全部入れ替える」有隆は捲し立てるように言った。


「あとパソコンを貸せ。通信機器は全て持って来い。書置きを残すし、パソコンは内容を少し改ざんする」有隆は言った。

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