「こんなところまでごめん」高倉は謝った。


「いいよ」笠木は言った。


「大事な話って、何?」笠木は向けられたライトの灯りで、眩しさに顔を歪ませながら聞いた。


「それと、ここ誰の家?」笠木は一番疑問に思っていた事を聞いた。


「ここは僕の実家」高倉は言った。


 笠木は、高倉の一人称がまた“僕”だった事に違和感を覚えた。だが、高倉が「ここじゃなんだし、僕の部屋で話をしよう」と言って上を指差したので、笠木は「分かった」としか言えなかった。


 高倉は玄関の目の前にあった階段を登りながら、こちらを振り向いた。笠木は高倉の後を追って階段を登った。二階に上がるにつれ、灯油のような臭いが強くなった事に笠木は気付いた。


「ねぇ、何か臭うんだけど…」笠木は不安そうに高倉に聞いた。


「ああ」高倉は言った。「もう寒いからストーブを焚いたんだ。しばらく使っていなかったから、臭いが出てしまったみたいだね」高倉はこちらを振り向きもせずに、階段を上がり二階の奥の部屋を目指しながら、淡々と言った。


 奥の部屋に向かうにつれ臭いが段々酷くなり、笠木は顔をしかめて高倉を恐怖の表情で見た。


「ここが僕の部屋」高倉は奥の部屋を指差した。高倉の指差した部屋の扉は閉まっていたが、扉の外側に鍵が付いている事が目に入った。


 高倉は部屋の扉を開けた。灯油の臭いが強くなった。笠木は、この臭いの元凶は確実にこの部屋だと確信した。


 高倉がライトを部屋の中に向けたので、部屋の内装が少し見えた。部屋の床には奥の方に赤い絨毯が敷いてあった。高倉は部屋の中に進み、絨毯の敷かれている窓際へと向かった。


 笠木は開いた扉の位置から部屋の中を確認すると、六畳半ほどの部屋を見渡した。

部屋の奥に窓があり、その窓のカーテンはレースカーテンのみ閉まっており、赤いカーテンは閉められていなかった。他に家具は一切無く、ストーブもどこにも見当たらなかったし、部屋の中は寒かった。


 高倉は絨毯の上に足を乗せて奥まで進んだ。その際、笠木の方をちらりと見ながら、笠木の足元にライトをかざした。


 笠木が部屋の中に二歩踏み出した瞬間に、「そこでストップ」と高倉は笠木に言った。笠木は言われた通り、赤い絨毯の手前で足を止めた。


「そこからこっちには来ないで」高倉は言った。


 高倉は手に持っていたライトを笠木の足元に向けた。


 高倉は外の街路地にある街灯から少し漏れる光を背後に、こちらを向いていた。高倉の表情は始終無表情だった。


「ここが僕の育った場所」高倉は唐突に語りだした。「昔、ここでよく叱られては母親に叩かれて、監禁されていた」高倉は無表情で言った。


 笠木は想像もしなかった高倉の過去に驚き、「それは辛かったね」と呟いた。


「僕の父さんは」高倉は話し続けた。「いつも優しかった。でも叩かれている間は、助けてくれなかった」高倉は言った。


「父さんはよく出張に行っていた。その間に、母さんが知らない男を家に呼ぶんだ。男の車が停まるから窓から見えた。母さんは男と寝室で嫌な声を出すんだ。それが続いて、僕は女性が嫌いになった」高倉は言った。


 高倉が女性を苦手だった理由が分かり笠木は納得した。


「それは…苦手にもなるよ」笠木は静かに言った。


「ある日母さんと父さんが喧嘩をしていたんだ。僕は怖くて部屋の外に出られなかった。でも、声が静かになったから僕は、鍵がかっていなかったから、僕は部屋から出て外に見に行ったんだ。そしたら母さんが床に倒れていて、父さんは…」高倉は一瞬黙った。


「天井からぶら下がっていた」高倉は静かに言った。


 高倉の表情は暗さで見辛いが、外の街灯の明かりで少しだけ見えて、苦悩に歪んだ顔に見えた。声は震えトーンや抑揚が上下し、情緒不安定に見えた。


 笠木は勇気を出して一歩踏み出して高倉の元へ行こうとしたが、高倉の「こっちに来るなって!」という怒鳴り声に足が止まった。


「僕は」高倉が言った。「両親が死んだ事が辛かった。僕は」高倉は俯いて小声で言った。「ただ、幸せな家庭を作りたかっただけなんだ」


「それは僕も…」笠木は言おうとしたが、高倉が嘔吐いてそれを遮った。


「もう僕は僕じゃない」高倉は言った。


 高倉はあちこちの方向を見て頭を抱えながら悶えだした。時折窓の外に目を向け、笠木の足元に目を落とした。高倉の手に持ったライトとペットボトルが揺れている。


 笠木は戸惑った。


「もう何者にもなれない」高倉は言った。


「あの日僕は死んだんだ。今の有理が全てを受け止めてくれた…でも僕はそれを裏切った。僕はあの女にも酷い事をされた。だから殺してやった。そこから僕の人生は狂った」高倉は話し続ける。


「何で皆女は酷い事をするんだ?僕が何をしたって言うんだ。普段から殴っていたからか?それはあの女が売女だからだ。僕は教育してやった。でも気付けば僕は母さんと同じ事をしていた。僕はどうしたらいいのか分からなかった。僕は女が本当は嫌いだ。いつも臭い香水をして僕を不快にしかしない。女の首を絞めた時、僕はやっと自由になれると思うんだ。父さんは自由になった。あとは僕も幸せになりたかった。自由になりたかった。でも」高倉は苦悩の表情をしながら言った。


「自分には出来なかった。何回やっても自由になれない。僕は」高倉は一度深呼吸をすると、話し続けた。「僕は…もう今の自分が嫌なんだ。何者にもなれない自分が。周りを傷つけるだけの自分が。僕は…僕が邪魔なんだ」


 高倉が話している間に、笠木のスマートフォンに着信が入り、バイブレーションの音が響いた。

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