第十四章 火群
一
笠木は不安を覚えながらも、着信に出た。「はい」
電話の向こうは静かだった。高倉は声を出さず、しばらく沈黙が続いた。
よく聞くと、電話の向こうで荒い息遣いが聞こえた。
「有理君?」笠木は沈黙の高倉に話し掛けた。
「これから会えないかな」高倉は小さな声で話しかけてきた。「どうしても話したい事があるんだ」高倉は息遣いが荒い。まるで運動をした後のようだ。
「これから?何の話?」笠木は疑心暗鬼に聞いた。
「会ってくれないなら、自殺をする」高倉は静かに言った。
笠木は戸惑った。ベッドに横たわって通話をしていたが、体を起こしベッドに座った。
「自殺は、良くないよ。何かあるなら僕は話を聞くよ」笠木は言った。
「会ってくれるなら、今から伝える住所に来て欲しい」高倉は言った。
「有理君のマンションじゃなくて?」笠木は聞いた。
「違う」高倉は言った。「今から伝えるのは…」
笠木は高倉から聞いた住所をメモした。
スマートフォンのマップで位置を確認したが、場所は地下鉄とバスの乗り継ぎだった。何やら急いでいて早く来て欲しいとの事だったので、タクシーを使おうと思った。笠木は急いで支度をしながら、先程高倉が言った言葉の意味を考えた。
「もし警察が一緒に入って来たらすぐに自殺をする」この意味はどういう事だろう。
笠木は自宅の鍵を入れたはずの鞄の中に鍵が入っていない事を呪った。普段使用する鞄は複数ある事から、これらの鞄のどれかに鍵が入っている事は分かるのだが、今はその時間が惜しかった。
部屋の電気をつけたままなら泥棒も入って来ないだろう。笠木はそう考え、着ていたパーカーの上にジャケットを羽織り、部屋の電気をつけて玄関の鍵を閉めないまま、外に出てタクシーを呼ぶ為に大きな通りに走って出た。
タクシーに乗って目的地の近くまで行くと、高倉の言っていた住所の家の前にパトカーが停まっている事が目に入った。
「すみません、ここで降ろしてください」笠木はパトカーと鉢合わせにならないように、少し手前でタクシーを降りた。
ここは札幌の北区でも北のようだ。笠木はスマートフォンのマップで再度住所を確認したが、この家に間違いはなかった。何故この一軒家を指示したのか理解は出来なかったが、一軒家が沢山立ち並ぶ中、奥の方にその家はあった。
豪勢な作りの一軒家だった。茶色い二階建ての大きな家で、庭の周囲は高いコンクリートの壁と、黒い柵の扉で覆われている。
家の前に停まっているパトカーが気になり、笠木は少し離れた距離から高倉に電話した。
高倉はすぐに電話に出た。「はい」
「有理君、着いたよ。家の門を開けてくれる?あと、家の前にパトカーが停まってるんだけど」笠木は不安そうに聞いた。
「門も家の鍵も開いてるよ。警察は気にしないで。でも一緒には入って来ないで。一人で入って来ないなら、もし警察が入って来たなら、自殺する」高倉はそう言って、通話を切った。
笠木はさらに不安が押し寄せる中、家の前に着いた。横に停まっているパトカーを無視して黒い柵で出来た門を開こうとすると、パトカーの中から警察官が出てきた。
「止まりなさい」その女性警察官は笠木に向かって声を掛けてきた。
笠木は門の扉から手を放して立ち黙って女性警察官を見た。この前高倉のマンションの廊下で会った女性警察官だった。
「中に入ってはいけません」女性警察官は笠木に言った。
「すみません、でも行かないといけないんです」笠木は動揺しながら言った。「僕を呼んでいるので。中に入らないと自殺をすると言っていたので」笠木は正直に言った。
「あなたを呼んだ?高倉が?」女性警察官は訝し気だった。
「はい。大事な話があるから来てくれと」笠木は言った。「警察の方が中に一緒に入ってきたら、自殺をすると言っています」
女性警察官は動揺したような顔をした。高倉の指示した家の明かりは点いていなかったので、道路の街灯で女性警察官の表情が少し見える程度だった。
「お願いします。行かせてください」笠木は頼んだ。
「駄目です。危ないです」女性警察官は言った。
「お願いします」笠木は泣きそうになりながら言った。「自殺はして欲しくなんです」念を押して頼んだ。
女性警察官は一瞬黙った後、制服の胸ポケットから何かを取り出した。
「今ここで、この番号を登録してください」笠木に名刺を渡してきた。「何かあればすぐに駆け付けますので」
笠木は名刺に書かれていた番号をスマートフォンに登録した。
「一度私に掛けてください」女性警察官が言ったので、笠木はその番号に電話をして、すぐに着信を止めた。
「何かあれば大声を出すか、その番号に連絡してください。貴方が家からしばらく出てこなかったら、こちらから連絡します。貴方が電話に出なかったら、私達は家の中に入ります」女性警察官は言った。
「ありがとうございます」笠木はそう言い、女性警察官を後に、家の庭の門を開けた。
高倉の言う通り、門に鍵はかかっていなかった。庭の中に入ると、雑草が沢山生い茂っていた。長い間手入れがされていないようだった。葉のついていない木々が庭の周囲を覆っている。
外から家の中を見た。家には明かりは点いていなかったが、よく見ると窓越しに、レースカーテンの掛けられた一階の部屋の奥から薄暗いランタンのような小さな灯りが灯っているのが見えた。
笠木はチャイムを押した。チャイムは鳴らなかった。
笠木は玄関の扉をゆっくり開けた。扉にも鍵はかかっていなかった。
家の中に入ると、家の中は湿気ったカビの匂いと、埃の匂い、灯油の匂いが少しした。玄関の靴箱の棚の上に、何か大きな船の置物が飾ってあったが、それは埃を被っていて、よく見ると蜘蛛の巣のようなものも張ってあった。
笠木は不安を覚えながらも、靴を脱がずに中に入った。一瞬靴を脱ぐべきか悩んだが、床も埃を被っているようだったので、申し訳ないと思いながらも土足で上がった。
「有理君?」笠木は奥のランタンの灯りの灯った、曇りガラスのついた扉に向かって声を掛けた。
一階の奥の部屋の扉が開いた。中から、手にライトとペットボトルを持った高倉が出てきた。
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