三
喫茶店の中は席数が少なく、赤い椅子が壁に並んでおり、その手前に白いテーブルが間を開けながら置いてある。カウンター席には年配の男性一人が座っていた。それ以外に客はおらず、店はレトロな雰囲気を醸し出している。
高倉は迷わず奥の席を選び、先に座った。
先ほどの女性店員がメニュー表と水の入ったコップ、おしぼりを持ってきた。
「何頼む?」高倉は笠木に聞いてきた。
笠木はメニュー表を確認して、「アイスティーお願いします。ガムシロップもください」と横に居る店員に伝えた。
高倉は「同じもので。同じくガムシロップください」と店員に伝えた。
「いつも珈琲なのに珍しいね」笠木は高倉に聞いた。
「たまには甘いものが飲みたくなるからね、仕事で疲れた時とかに糖分は必要でしょ」高倉は言った。
すぐに店員がアイスティーを二つ持ってきた。笠木はガムシロップを一つ入れてストローでかき混ぜた。高倉も同じ動作をした。
「スマホ落として壊れたってよっぽどだよね。何があったの?」笠木は聞いた。
「考え事しながら歩いてたら落とした。疲れてたのかな」高倉は店員に「すみません」と声をかけた。
店員がやってきたので、高倉は「サンドイッチも下さい」と注文した。
「あれ、さっき食べなかった?」笠木は聞いた。
「食べたっけ?少し歩いたらお腹が減ったんだ」高倉は無表情で言った。
サンドイッチが届くまでの間に、高倉はコートのポケットから煙草とジッポライターを取り出した。
「ジッポライター珍しいね」笠木は、何やら模様が刻印されている銀色のジッポライターを見て言った。
「ああ、これは職場の同僚に前に貰ったやつ」高倉はそう言うと、ジッポライターで煙草に火を付けて吸い出した。
親指と人差し指で煙草をつまみ、都度指先をランダムに変えながら煙草を吸い始める。
笠木は、いつも高倉が吸っている吸い方は、人差し指と中指の間に煙草を挟んで吸っていた事を思い出した。
「いつもと吸い方変えた?」笠木は聞いてみた。
「ああ、これは」高倉は指を少し上に上げて手元を見せた。「こう持つと煙草が短くなっても長く吸える」
「なるほど。賢いね」笠木は高倉がそうして煙草を吸っている様子を珍しそうに見ていた。
そうしているうちに店員がサンドイッチを持ってきて、高倉の前に置いた。高倉はお腹が空いていたようで、煙草を消してすぐに食べ始めた。
「今日一日休みなら、この後もどこか行っちゃう?僕仕事14時からだし。あ、でもその前に職場の荷物取りに一度帰るから、13時までだけど」笠木は高倉に言った。
「ああ、今日はサボるって言ったけど、午前休にしただけなんだ。だから、昼には職場に行かないと行けない」高倉は言った。
「じゃあ昼まで一緒に居られるね。でもどうせなら一日休みにしちゃえばよかったのに。相変わらず忙しいの?」笠木は聞いた。
「うん、この季節は忙しくなる」高倉は言った。
「前に言ってたデスマーチ?ってやつ?」笠木は聞いた。IT業界では忙しい時期の事をデスマーチと呼ぶと高倉から以前聞いていた。
「そこまでじゃないんだけど」高倉は気付いたらサンドイッチを食べ終えていた。
「食べるの早いね」笠木は笑った。
「そういえば」高倉はおしぼりで手を拭きながら話しかけてきた。「この前本屋に行った時に見かけたけど、忙しそうだったから話しかけなかった」高倉は言った。
「え、来たなら声掛けてくれればよかったのに」笠木は言った。「いつ来たの?」
「いつだっけ、少し前」高倉はまた煙草を取り出して言った。
「そうなんだ。次来たら話し掛けてよ」笠木は言った。
高倉は頷き、しばらく沈黙が続いた。
高倉は煙草を吸う指を頻繁にランダムに変えて吸っていた。何だかそわそわしているようで、笠木には落ち着かない様子に見えた。
「有理君、やっぱり何かあったの?そういえば、出張の件はどうなったの?まだ聞いてない感じ?昨日の今日だもんね」笠木は聞いた。
「出張?」高倉は一瞬目を見開いて聞いてきたが、すぐに視線を落として煙草を吸い始めた。
「ああ、それはまだ聞いてないかな。今日は、何もないんだけど、滅多に休まないからなかなか落ち着いて寛げないなと思って…」高倉は静かにそう言った。
「そっか。やっぱりまだ聞いてないよね。決まったら教えてね?休んだら落ち着かないって、社畜じゃないんだから」笠木は苦笑いした。
社畜とは、家畜にかけた会社人間を揶揄する言葉だった。高倉がたまに言っていた。
「僕は社畜じゃない…」高倉は悲しそうに言った。
笠木はふと疑問に思った。
「会社では自分の事僕って言うの?」高倉に聞いた。
「ああ、たまに」高倉は視線を落としたまま言った。一瞬言い淀んだ後、「そういえば大事な話があってさ」と切り出した。
「大事な話?」笠木は不安になった。「何?」
高倉は返答に答えず、煙草を吸う指を頻繁に動かしていた。
ふと笠木の方を見つめて、目が合った。高倉はじっと笠木の顔を見た後、「いや、やっぱり今度話すわ」と言い、目を背けた。
「え?気になるんだけど」笠木は聞いた。
高倉は煙草を灰皿に押し付けると、「ごめん、仕事の急用を思い出した。そろそろ行かないといけない」と急に言った。
「えっ?午前休じゃないの?」笠木は驚いて言った。
「仕事で今日の午前中に提出しないといけない書類があるんだ。今思い出した。ごめん」高倉は煙草とジッポライターをコートのポケットにしまい、席を立ちながら言った。
「でも少しでも緒に居られてよかったよ」高倉は苦笑いしながら、伝票を持って言った。
「それは、僕も」笠木も席を立って高倉の後を追い、レジまで行った。
高倉は店員に伝票を渡した後、着ていたコートのポケットから千円札を一枚取り出した。
「いつもカードなのに珍しいね」笠木は言った。
「この店はカード使えないんだ」高倉は言い、自分の分の会計を済ませた。高倉はおつりの小銭をコートのポケットに入れた。
「ごめん、今現金少なくてさ」高倉は申し訳なさそうに言った。
「いいよ。自分の分は自分で出すから大丈夫」笠木は毎回高倉に支払ってもらってばかりだったので、今回は自分が二人分出せばよかったと後悔しながら、自分の分の会計を済ませた。
二人は喫茶店を出て外に出た。外はまだ風が強く、肌寒かった。
「じゃあ仕事行ってくるから。そっちも頑張って」高倉は笠木に言った。
「うん、地下鉄まで一緒に行かない?」笠木は言った。
「いや、少し寄るところがあるから、まだ地下鉄には乗らない。先に行って」高倉は鞄を持っていない方の手を、寒そうにコートのポケットに入れて言った。
「分かったよ。有理君も無理しないでね」笠木は高倉に手を振って言った。
笠木は路地の角を曲がるまで時々振り向いては高倉に手を振ったが、高倉は手を振らずに立ち尽くして、黙ってこちらを見ているだけだった。
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