「はい」高倉は帰りに車の中で、先程土産屋で買った商品を笠木に渡してきた。


「だから僕が自分で買うって言ったのに…」笠木は、先程クッキーとキーホルダーを購入しようと並んでいた際、持っていた商品を高倉に奪われ、レジの行列から離された事を思い出した。「お金返すよ」


「要らない。中身確認しないの?」高倉は車を運転しながら聞いてきた。


 笠木は円山動物園の土産屋の袋の中を確認した。クッキーとキーホルダーの他に、洒落たレースのブルーのリボンで囲うように結ばれた、四角いブルーの小さな箱が入っていた。


「何これ?買ってないの入ってるよ。有理君の?」笠木は小さな箱を取り出して高倉に見せた。


「開けてみて」高倉はこちらを一瞬見て言った。


 笠木には、それは円山動物園で購入したものではない何かに見えた。戸惑って高倉を一瞬見た後、箱を囲って結ばれていたレースのリボンを解いた。箱の上の蓋を取ろうとしたが取れなかった。箱の手前の英語の文字が刻印されている部分を見て、何かを察してカパッと箱を上下に開けてみた。


 中には指輪が入っていた。シルバーでシンプルなデザインだが、中央にはくぼみがあり、洗練された高級感があった。


「え…」笠木は言い淀んだ。「指輪?まさか僕に?」笠木は目を丸くして高倉を見た。


「そう」高倉は運転しながら苦笑いした。「気に入ってくれるか分からないけど」


 高倉はこちらを一瞬困った顔をして見てきた。笠木も困った顔をして高倉を見た。


 笠木は指輪を誰かから貰う事は生まれて初めてだった。しかも、こんなに違和感のない渡し方に開いた口が塞がらなかった。この指輪はいつ円山動物園の袋に入れたのだろうと思った。


 高倉は普段休日は鞄を持たないのに、今日一日黒いショルダーバッグを背負っていた。今思い返すと大事そうに持っているように見えた。あの鞄の中にずっと入っていたのだろうか。


 それにしても土産屋から出て来てから笠木は高倉とずっと一緒に居たのだ。


 レジの店員にでも一緒に入れて欲しいと頼んだのだろうか。笠木は急に顔が火照って来る事を感じた。


 そもそも、土産屋で笠木が購入しようとしたクッキーは高倉への珈琲の代わりの土産だった。結局高倉が購入してしまったし、渡しそびれてしまったと笠木は思った。


「ありがとう…これ、どの指に付けるべき?」笠木は戸惑いながら高倉に聞いた。


「一応右手の薬指に入るサイズで買ったんだけど」高倉は言った。


笠木はまた動揺を隠せずに言った。「いつ僕の指のサイズ測ったんだよ」


「創也が寝てる時?」高倉は微笑を浮かべて言った。


「はめてみてもいい?」笠木は聞いた。


「どうぞ」高倉は言った。


 笠木は恐る恐る指輪をケースから取り出し、自分の右手の薬指にはめてみた。高倉でもサイズを間違えるミスをするだろうか、と思いながらはめてみたが、サイズはぴったりだった。


「サイズどう?合う?」高倉は不安そうに聞いてきた。


「ぴったりだよ」笠木は言った。「本当にありがとう…でも、本当に貰ってもいいの?ていうかこれ何のサプライズ?」


自分の薬指にはまった指輪をずっと見つめながら笠木は聞いた。


「それは…少し早い記念日のプレゼント」高倉は言った。


 帰り道に煙草は吸わないらしい。この雰囲気作りの為だろうか、と笠木は思った。だが記念日という言葉に引っかかった。


「少し早い記念日?記念日は別にまだ何かあるの?」笠木はふと不安になり聞いてみた。


「何があるかはお楽しみ」高倉は表情が読めない顔で言った。「今日俺の家泊まって行かない?」


 笠木はこのスムーズな流れの自宅誘導に驚きを隠せなかった。


「泊まっていきたい」この言葉以外何と言えばいいのだろうか。


「夜ご飯はどこかに寄って食べてから帰ろう」高倉はスムーズな流れの作りに満足したような表情で言った。






 笠木は、高倉の自宅のベッドに横たわり放心状態で天井を見つめていた。


 笠木の明日のシフトが遅番だと言っても、この時間まで高倉が執拗に求めてくる事は今までになかったからだ。しかも高倉は明日普通に朝から仕事がある。


 笠木はベッドの棚の上に置いてある目覚まし時計を見て、ああ、もう明日ではなく今日なのか、と思った。昨日今日の高倉はどうしたのだろう。様子がいつもと違うと感じていたが、自分の身体が異様に重い事が気になり、何か考えようとしても頭がぼんやりするだけだったので、笠木は考える事を止めた。


 シャワーを浴びて戻ってきた高倉が、笠木の横たわっているベッドに近付いてきて言った。


「創也、愛してるよ」高倉はベッドに座って笠木の頭を撫でた後、笠木の横に寝転んで、笠木の事を抱き締めた。


「創也…俺創也から離れたくないよ」高倉は笠木を強く抱き締めながら言った。


「え?」笠木はまだぼんやりしている頭で聞いた。「僕はずっと傍にいるよ」


 高倉を安心させる為に言った。そもそも離れようと思った事はない。


 この前の居酒屋の一件をまだ引きずっているのだろうかと思った。笠木は高倉への疑いが完全に晴れたわけではなかったのだが、二日酔いの状態で高倉に言い過ぎた事を反省していた。


「創也…俺しばらく創也に会えなくなるかもしれない」高倉が言った。


「なんて?」笠木は聞き返した。ぼんやりしていた頭が急に冴えてきた。「会えなくなるって、なんで」


「創也、ずっと好きだよ」高倉は質問に答えずに言った。


「なんでか、僕聞いてるんだけど。仕事?出張でも行くの?」笠木は不安になり、自分を抱き締めている高倉を引き剥がそうとしたが、高倉は強い力で笠木を抱き締めていて離れなかった。


 高倉の表情は笠木の頭の上で見えない。


「出張…出張かなぁ」高倉の胸が自分の目の前にあり、高倉の心音が鳴っているのを笠木は感じた。どくん、どくんと脈打っているが、激しい訳ではない。


 笠木は、先程事の間に高倉が、いつも以上に愛してるという言葉を吐いていた事を思い出し不安になった。


「どこに行くの?もう離れるのは決定なの?どのくらい?僕も離れたくないよ」笠木は不安を隠せずに聞いた。


 大事な人と離れる時は、とても不安になるものだ。笠木は、両親が離婚をした時、母親が知らない男と再婚をした時、友人を失った時、今まで付き合ってきた男が自分に別れ話をしてきたシーンが脳裏に過ぎった。


「創也、前に渡した催涙スプレーってまだ持ち歩いてる?」高倉はふいに聞いてきた。


「え?なに?」笠木は聞き返した。


「催涙スプレー。持ち歩いてる?」高倉は再度聞いた。


「鞄には入れてる、けど、僕は女の子じゃないから。そんな心配要らないって前にも話したじゃん。それより、質問に答えてないんだけど」笠木はまだ高倉を引き剥がそうとして言った。


 高倉が今どんな表情で話しているのか確認がしたかった。


「もし何か、身の危険を感じたらすぐに逃げるんだよ。俺は創也が大事だから、いざという時は親しい人でもね」高倉は笠木を抱きしめたまま言った。「最近物騒だからね」


 高倉はふと笠木を離した。笠木は高倉の顔を見た。高倉はなんとも言えないほど悲しそうな、泣きそうな表情をしていた。


「有理君そんな顔しないで」笠木はつい高倉の頭を撫でた。


 高倉がこんな表情をしているのを見たのは初めてだった。高倉は項垂れて笠木の胸に顔を埋めた。


「ずっとこうして居られたらいいのに」高倉は言った。


「有理君の出張に僕もついて行きたい」笠木はつい言った。


「無理だよ」高倉は言った。「もう何も考えたくない…」


「長期の出張なの?」笠木は聞いた。


「長期になるか、短期になるか、まだ分からない」高倉は答えた。


「とりあえず明日は早いから、もう寝て、明日以降に話そう。まさかすぐに出張に行くわけじゃないよね?」笠木は高倉の頭を撫でながら聞いた。


「すぐではない」高倉は答えた。


「なら今度ゆっくり話そう」笠木はベッドの棚に置いてある目覚まし時計を見た。もう深夜一時を過ぎていた。


 シャワーに入りたかったが、こんな状態の高倉を一人にするわけには行かなかった。高倉は笠木に膝枕をされている状態で、笠木を少し見上げるように、横顔を見せた。


 泣きそうになっている高倉に、何となく昔笠木が母親からよく聞かされていた子守唄を歌った。


「何その歌」高倉はふっと笑った。


「これは昔母さんからよく聞かされていた子守歌だよ」笠木は笑って言った。


 母さん、と聞いた瞬間、高倉の目元がぴくりと動いた気がした。まずい事を言ったかと笠木は不安になったが、高倉が「良いお母さんだね」と言ってくれたので、安心した。

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