「これ有理君の頼んだやつだよね」笠木は和え物を見て言った。


「あれ、俺こんなの頼んだっけ」高倉はたこの和え物のような何かを見て言った。


「たこわさ?さっき頼んでたよ」笠木はポテトをつまみながら言う。


 高倉は頼んだ記憶がなかったが、疲れていたのだろうかと思った。たこわさには手を付けず、目の前の大根サラダを見た。


「サラダ二人で取り分けて食べない?」高倉は大根サラダを指差した。「創也は野菜をもう少し取らないとだめだよ」


「僕野菜好きじゃない」笠木は大根サラダを見てうな垂れた。


「ちゃんと栄養取らないと倒れるよ」高倉は取り皿に笠木の分の大根サラダを取り分けて渡した。


「ええ…要らないのに…」笠木は嫌そうな顔をしてファジーネーブルを取ると、一気に飲んで空になったコップをテーブルに置いた。「有理君なんて自炊しないくせに」


 高倉はびっくりした。「今日飲むペース早くない?」


 笠木は既に店員呼び出しボタンを押していた。「今日は飲みたい気分だった」既に目が座った顔で言った。


 笠木は酒に弱い事を高倉は知っていた。「そんなにお酒強くないじゃん、どうしたの」高倉は自分用に取り分けた大根サラダを食べようとしながら聞いた。


 店員がお茶漬けを持ってきて、笠木は「カルーアミルク下さい」と注文した。


「僕は浮気にトラウマがあるんですよ」酔ったのか顔が赤くなっている笠木は話し出した。嫌だと言いながらも大根サラダを食べ始めた。「元カレが何で僕と別れたか前に話したよね?」


「ああ、うん」高倉は気まずそうに言った。持っていた大根サラダの皿を端に置き、お茶漬けを手前に持ってきて、ビールを一口飲んだ。


「だから、バイセクシャルが悪いかって聞かれると答えに迷うんだ。バイの人が皆悪い人ばかりじゃないのは知ってる。でも、男でも女でも浮気は良くないと思うんだよね」笠木は大根サラダを食べ終えて、ビビンバを食べようと手を伸ばしながら言った。


「本当に疑うような…なんていうか…疑う僕も悪いのは分かってるんだけど…疑うような事をするのは本当に辞めて欲しいよ」笠木は言った。


「疑われるような事、してないんだけどね」高倉は言った。


 高倉はお茶漬けを食べる気力が湧かず、半分残して煙草を吸い始めた。元々この時間帯に食事をする事は苦手なのだ。煙草を吸う人間が痩せるというのは本当かもしれない。食事より煙草の方が美味い。


「カルーアミルクお持ちしました」店員がカルーアミルクをテーブルに置いた。

笠木は受け取った後、すぐにそれに口をつけた。


「美味しい?」高倉は聞いてみた。


「有理君はいつもビール一杯しか飲まないよね。最初に会った時が嘘みたい」笠木は質問に答えず言った。ビビンバを食べ終えて、今度はたこ焼きをつまみながらカルーアミルクを飲んでいる。


「酒は基本好きじゃないんだよ」高倉は言った。「あの時は例外」


「何かあったのか聞いても答えてくれないもんね」笠木は不満そうに言った。


 笠木は、気付けばビビンバもたこ焼きもポテトも食べ尽くしていた。今はから揚げを箸で持っている。


 高倉は、この年代の食欲は凄いと思った。


「いつも何も教えてくれない」笠木は言った。


 高倉は煙草を吹かしながら、先ほどからの笠木の態度に苛立ちを覚えた。「別に言う必要ある?」口から言葉が勝手に出てきた。


 高倉はふと我に返り笠木を見ると、笠木は悲しそうな顔をしていて、高倉は言い過ぎた事に焦った。


「僕達付き合ってるんだよね?」笠木は箸を止め、小声で聞いてきた。


「ごめんね」高倉はつい言い過ぎた事を謝った。「付き合ってるね」高倉も小声で言った。


「人に言いたくない事を無理に言う必要は無いとは思うんだ。僕も無理に聞こうとは思わないし。でも有理君は無口過ぎて、何を考えてるのか分からなくて不安になる時がある」笠木はカルーアミルクを飲む手を止めて、箸を置き、俯いて言った。


 二人とも食事が進まなくなっていた。


「僕信用されてない?」笠木は言った。


「信用してないわけじゃないよ」高倉は煙草を吸う手を止めて言った。「人に自分の事を話すのが、昔から苦手なんだ」それは本心だった。


「そう」笠木は酔った赤ら顔で高倉を上目遣いで見た後、迷ったようにカルーアミルクのコップの端を触り、その後カルーアミルクをまた飲み始めた。


「そういえばさ、ドッペルゲンガーって知ってる?」突拍子もなく突然笠木は聞いてきた。


「知ってるよ」高倉は言う。


「みんな、自分とそっくりな人間はこの世に存在するんだって。で、会ったら死んじゃうらしいよ」笠木は苦笑いしながら言い、カルーアミルクを飲み干した。


「有理君って目立つ容姿してるからさ、もはやドッペルゲンガーが居るんじゃないかと思ってきた。僕二回も見てるんだよ。面白いよね」笠木はカルーアミルクの入ったコップをテーブルに置いて、店員呼び出しボタンを押した。


「創也、ドッペルゲンガーは都市伝説だから。それに飲みすぎ。もうやめよう」高倉は笠木の持ったメニュー表を取ろうとしたが、笠木は抵抗して高倉の手の届かない所までメニュー表を持った手を伸ばした。テーブルが邪魔をして笠木からメニュー表を奪えなかった。


「ドッペルゲンガーじゃないならあれは何なんでしょう」

笠木は注文を取りに来た店員に「グレープフルーツサワーの焼酎濃いめってお願い出来ますか」と聞いた。


 高倉は「やめなよ」と止めたが、すぐに店員が「大丈夫ですよ。かしこまりました」と注文を受けてしまったので、止められなかった。「それ飲んだらもう帰ろう?終電もあるし」


「僕今日はタクシーで帰る」笠木は酔った眠そうな目をして言った。


「じゃあタクシー代出すよ」高倉は言ったが、笠木が人差し指を左右に振って断りを入れた。


「いつも有理君に出してもらってばかりだから、今日は自分で出します。気にしないでください」笠木は完全に酔っていた。






 笠木が焼酎濃いめのグレープフルーツサワーを飲み終えて完全に出来上がっている中、それを横に高倉はレジで「会計お願いします」と伝えた。


 笠木は「僕も払う」と伝えてきたが、高倉はそれを断り、店員に「カードで」と伝えて会計を済ませた。横にいる笠木が何やらぶつぶつ呟いているが無視し、足取りが覚束ない笠木の肩を支えながら雑居ビルの外に出た。


 鞄を持ち変える為に笠木の肩から少し手を離した瞬間、笠木が歩道から逸れて道路の方に身を乗り出したので、高倉は急いで笠木の手を引っ張り、歩道の内側に手繰り寄せた。車が横を通って行った。


「危ないって」高倉は慌てて言った。


「有理君はお酒に強いですね」笠木は言ってきた。


「俺一杯しか飲んでないし。創也が弱いだけだから」高倉はまた笠木の肩を右手で支えながら言った。


「今日俺の家来る?」高倉は、笠木が来ないだろうと思いながらも、家に連れて帰りたくて聞いてみた。笠木が火曜日と木曜日は定休だという事も知っていたからだった。明日は休みのはずだ。


「今日はもうそんな気分じゃない…」笠木は俯きながら表情が見えない状態で言った。声は具合が悪そうだった。


「じゃあタクシー呼ぶから帰ろう」高倉は今居る薄暗い路地から、書店の目の前の通りの、明るい駅横のタクシーの並びに近づきながら、ふと思った。


「創也さ、今度気晴らしにドライブでも行かない?次の木曜とか。祝日だし。木曜は創也シフト休みでしょ」高倉は笠木に聞いてみた。


 笠木は一瞬嘔吐いたので、高倉はここで吐かれるのかと身構えたが、笠木は青白い顔で高倉を見てきた。


「あの車で?」笠木は引き気味に聞いてきた。


 なるほど、と高倉は思った。「俺の車じゃ嫌?」笠木に聞いてみた。


「嫌では、ないけど…」笠木は何か頭に過っているようだった。


「どうする?」高倉は聞いた。


「じゃあ…」笠木はしばらく思考して黙り込んだ。「動物園に行きたい」


「動物園?」高倉は意外だった。


 映画館や美術館は行った事があるが、動物園は二人で行った事はなかった。昼間から男二人で行くような場所でもないと思ったからだ。


 笠木はゲイバーに通っていると言いつつも、同性愛者である事を一部の友人以外には公にはしていないようだったし、高倉も会う時は毎回、職場の人間に気付かれない様に気にしながら会っていた。


 だが、高倉は男二人でツリーを見たり、男二人でクリスマスシーズンにホテルに泊まった事を思い出して、もはや些細な悩みである事に気が付いた。また、笠木の願いは出来るだけ聞いてあげたかった。


「いいよ」高倉は言った。「どこの動物園?円山動物園?」


「円山動物園に行きたい。次の作品の題材にしたいんだ」笠木は俯きながら言った。


「次の作品?」高倉はまた個展を開くのかと思った。「分かったよ。じゃあ木曜日に円山動物園ね。迎えに行くよ。何時に行けば良いか後で連絡して?」高倉はそう言うと、笠木の肩を支えながら、近くに停まっていたタクシーを呼んだ。

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