第九章 約束

 月曜日高倉は、昼休みに自分のデスクに座り、周囲を軽く見渡した。


 高倉の席は社内の所々にある太い円形の支柱を囲むように並んでいる、小さな壁で仕切られた半個室の席だった。高倉の席は丁度オフィスの窓際に位置した支柱の、窓を背にする配置の席だった。


 高倉の後ろには窓際を向いた席が壁に沿って真っすぐに並んでおり、高倉が管理している後輩が三人と、今年の夏からインターンシップで入ってきた大学生が一人座っていた。四人とも窓際を向きデスクで無言の昼食を取ったり、スマートフォンを触ったり、読書をしている。


 高倉の左隣の小林が昼休みなのに、キーボードで何かを打ち込んでいる音が聞こえる。相変わらずエンターキーを打つ力が強い。反対隣の席に普段座っている斎藤は、現在ランチのため席を離れていて空席だった。


 高倉は自分のパソコンのモニター画面に自分のWEB打刻履歴を表示させた。


 パソコンの横に置いてある指紋認証機で毎日、出勤時と退勤時に自分の指紋を認証させて、それがこのWEB打刻履歴に登録され、出退勤を管理されるシステムになっていた。


 高倉は今月のWEB打刻履歴と、その横に置いてある指紋認証機をスマートフォンの無音カメラのアプリで撮ると、笠木にチャットを送った。


「タイムカードの写真撮れたよ。今晩会える?バイトが終わったら迎えに行くよ」高倉は連絡した。チャットは即既読になった。


 今日は遅番だからまだ自宅に居るのだろうか。笠木のシフトは把握済みだった。


 高倉はGPSで笠木の居場所を確認した。笠木は自宅のアパートに居た。


「ありがとう。今日は二十二時終わりだけど大丈夫?」笠木からすぐにチャットが届いた。


「どこかで時間潰すから大丈夫」高倉は返信した。


 笠木から了解、とすぐに返信が入った。笠木の勤務しているバイト先は札幌駅の横にある書店だ。


 高倉は、今日は元々今年度中に作成しなければならない書類や設計書を先に作ってしまおうと思っていたので、笠木を迎えに行くギリギリまで残業をしようと決めた。






 二十一時十五分、高倉は指紋認証機に右手の親指をかざし、退勤の認証をした。パソコンの電源を切り、笠木を迎えに行くまでまだ一時間弱あるので、高倉は鞄を持って廊下の突き当りの喫煙所に入った。中には誰も居なかった。


 高倉は窓際の棚に鞄を置き、スーツの胸ポケットから煙草とライターを取り出し、煙草を吸い始めた。昔は煙草の匂いが嫌いだった事を高倉は思い出した。


 社会人になり本格的に煙草を吸うようになった。喫煙所で上司と交わす会話は昇進には重要だと判断したためだ。現在は昇進には興味がないが。


 壁に背をつけ窓の向こう側に目をやった。


 札幌駅前の夜景が広がっていた。駅と、周囲に建っているビルから明かりが洩れている。札幌駅前はこの時間でも交通量が多く、明るかった。


 駅前の透明のドームが目に入った。人の姿はよく見えないが、月曜日でも今頃この待ち合わせスポットには若者が沢山居るのだろうなと思った。


 笠木の勤めている書店の屋上が、札幌駅の向こう側に少し見えた。


 最初笠木の職場を聞いた時は、自分の職場とあまりに近くて驚いたものだ。笠木は書店で絵本コーナーを担当していた。


 高倉はたまにプログラミングや心理学に関する書籍を買いに寄る事があったが、高倉の寄る方向とは真逆の方向に絵本コーナーがあるため、滅多に書店で会う事はなかった。


 高倉はスーツのパンツのポケットに入れたスマートフォンを取り出した。笠木から十七時頃に「今休憩中だよ」とチャットが届いていた。


 高倉は笠木のチャットに返信をすると、スマートフォンのアプリで北海道のニュース記事をざっと確認した。


 札幌で包丁を持った男がコンビニエンスストアに強盗に入ったという記事が見えた。店員が拒否したところ、男は何も取らずに逃亡をしたらしい。男の行方はまだ分かっていないとのことだ。


 この前も少女監禁事件が白石区であったばかりだった。高倉の住んでいる北二十四条は連日救急車やパトカーの音が鳴っているし、物騒な地域だなとは感じたが、高倉の探していた記事はなかった。


 高倉はスマートフォンでGPSと時刻、店の情報を確認すると、煙草を灰皿に押し付け、スマートフォンをポケットにしまい、鞄を持って外に出た。


 高倉は、高倉の勤めている会社の入っている高層ビルとは反対に位置する書店まで徒歩で向かった。待ち合わせスポットである駅前の透明のドームを無視して通り過ぎた。高倉は書店の前にある椅子に座り、笠木に連絡をし、待った。


 今日は一作昨日と比べてずっと肌寒い。もう十一月後半だ。コートを着てくればよかったと高倉は思った。


 書店は二十一時には閉まっているが、中で従業員が閉店後の仕事をしている。


 しばらく待つと、笠木が小走りで書店の裏口から出てきた。笠木のふわふわのパーマが揺れている。


 書店勤務用の白いワイシャツを中に着て、フードとポケットと袖口が黒くて他は全体的に真っ赤なカラーの個性的なパーカーを上に羽織った状態でやって来た。笠木は個性的な服をよく着ている。


「ごめん、お待たせ」笠木は息遣い荒く言った。


「お疲れ様。そんなに急いで来なくて良かったのに」高倉は言った。「ちゃんと職場に居た証拠持ってきたよ。外で話すのもなんだし、どこか店に入ろう」


「どこに入る?」笠木は周囲を見て言う。


「個室がいい。隣のビルの居酒屋に行こう」高倉は書店の裏側に建っている雑居ビルの方を指差した。


 二人は書店の右横の路地に入った。JRの沿線に沿って移動する。人通りが少なく、明るい駅前と比較すると薄暗く感じた。


 左手にある雑居ビルの中に入り、入り口のすぐ横にあったエレベーターに乗った。


「ここ来た事ない」笠木は言った。


 雑居ビルのエレベーターは狭かった。エレベーターの内側の扉の上に、階層ごとに何の店が入っているか分かる小さな看板が並んでいた。高倉は五階を押した。


「ここは前に職場の飲み会で来た事があるんだ」高倉は言った。「個室は喫煙席だけどいい?」


「毎回聞いてくれるけど、僕は別に気にしないよ」笠木は言った。


 エレベーターが五階に着き扉が開くと、目の前には酔ったサラリーマン三人組がエレベーターの中に入ろうと並んでいた。高倉と笠木が中に乗っているのを確認すると、通すために道を開けてくれた。

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