二重感嘆符（にじゅうかんたんふ）

三

　高倉はしばらく遺体を後ろから見ながら、ふと足元を気にすると、片手で遺体の頭を前にぐいと押し、自分と距離を取った。

　またため息を吐くと、遺体から出てきた尿を踏まないようにしながら、巻いたロープを急いで外していく。そのまま遺体を見ないようにしながら遺体を地面に寝かせ、車に戻った。

　森から出て車まで行く瞬間、再度人気がないか確認する。

　高倉は車のトランクを開けて大きな鞄とポリタンクを見ると、ため息を吐き、鞄の中に入っていたゴム手袋を二重にはめた。そして鞄と灯油の入ったポリタンクを持ち、遺体の傍まで戻る。

　重い荷物を運ぶ作業を定期的にしているせいか、腕に筋肉が付いてきたようだ。高倉は特に激しい運動もしていないのに体が引き締まっているのを感じた。

　高倉は地面に置いた鞄の中から、バーナー、ハンマー、ゴミ袋…と遺体の証拠隠滅に使用する道具を取り出し、地面に並べた。自分の身に着けていた眼鏡を取り、鞄の横に置く。代わりに鞄から取り出した度入りのゴーグルをつけて、マスクを耳にかけ顎に引っ掛けた。

　高倉は地面に置いてあったLEDライトにぼんやりと照らされている遺体を見た。

顔は暗闇だから見辛い。

　地面に寝ている遺体の衣類を、死後硬直が始まる前に器用に脱がせる。糞尿の匂いがする。この後処理だけは本当に毎回嫌だった。

　まず遺体の服を脱がせ、服のポケットを確認した。スカートのポケットに何か入っていた。これはICカードの入った定期入れのようだった。ICカードは後で捨てようと思い、衣類とは別に、地面に置いた高倉の鞄の元へ持っていった。

　遺体の衣類は井戸の横に置いてあったドラム缶の中に投げ込んだ。

　服を脱がせていた間にはめていたゴム手袋に尿がついたみたいだ。最悪だ、と思いながら手を振った。

　ゴム手袋を変え、灯油をドラム缶の中に少量入れた後、バーナーを手に持ち、ドラム缶の中の衣類に着火させた。

　そのまま遺体の元へ行き、遺体の指紋を焼き始めた。

　次に先ほど鞄から出して地面に置いてあったゴミ袋を二重に遺体の顔に掛かるように被せ、ハンマーを手に取った。ハンマーでいつも通り遺体の顔を潰す。

　この作業だけは本当に毎回憂鬱な気分になるし、女性が嫌いと言っても、女性の顔面を殴る事はどうなのだろうかと毎回思う。そして無駄に時間がかかるのだ。万が一遺体が出てきても誰か分からなくする必要があるから仕方がないのだが。歯形も残らないように。二十回は叩いただろうか。

　高倉は時間が経つ事を忘れていた。無意識のうちに殴る回数を無心で数えていた事に気付く。

　周囲に人や動物の気配がしないか耳を研ぎ澄ました。

　別に熊が出てきて自分を襲ってきても、もはやどうでもいいと思うようになっていたが、急いで遺体をゴミ袋に包んだまま、井戸の中に投げ捨てた。

　先程燃やした衣類が燃えた事を確認した後、消火器をかけ火を消した。

　他に捨てるものはあっただろうかと周囲を見渡す。

　ふと分厚かった定期入れの中身が気になり、鞄の元へ行き中身を確認した。暗さで見えない為、LEDライトの近くに持っていった。

　中には透明のケース越しに札幌の地下鉄に乗る際に使用されているICカードが入っていた。その後ろのチャックで閉じられた定期入れのポケットを確認する。中には折りたたまれた千円札が一枚と、小さい何かのキャラクターのキーホルダーの付けられた鍵、プリクラが一枚入っていた。

　高倉はプリクラを見た。

　女性と、十歳くらいの男の子が仲良さそうに色々なポーズをしたものが写っていた。父親は写っていない。母と息子の仲睦まじいプリクラだった。

　高倉は絶句した。この女性には息子が居たのかと。

　高倉はそのプリクラを持ったまま、井戸の元へ歩いて行き、井戸の中を見下ろした。

　中は深くて暗闇で何も見えない。毎回農芸用の粉末剤を撒いていても、蓋をしないと腐敗した匂いが漂ってきた。

　この中にこのプリクラに写った女性の遺体が入っている。高倉はふと、プリクラを持った自分の手が震えている事に気付いた。

　先程までの無心は何だったのか。

　高倉はゴーグルを外し額に掛け、井戸の中をひたすら見ていた。証拠の隠滅作業を途中で止め、井戸の横にしゃがみ込んだ。

「これは俺がやったんじゃない…これは有理がやったんだ、俺じゃない」困ったように視線を井戸から外し、震えながらそう呟いた。

「俺は…子供の母親を奪った…いや、俺がやったんじゃない」高倉は立ち上がり深呼吸をした。

　もう一度井戸の中を見ようとした瞬間、ゴム手袋から持っていたプリクラが井戸の中に落ちた。プリクラはぽっかり開いた丸くて深い暗闇の奥底にひらひらと舞っていった。

　高倉は深呼吸をし、冷静に我に返ろうと落ち着かせた。少し過呼吸を起こしていた。井戸に手をかけ自分を支えていたが、すぐに井戸から目を背け、ゴーグルを着用した。

　度入りゴーグルによって、ぼやけた視界が晴れた。そのおかげか過呼吸は少し落ち着いたように見えた。

　高倉は深呼吸をしながら、農芸用の粉末剤を井戸の中に入れ始める為に、マスクで口元を覆い、鞄の元へ戻った。