第四章 陰り
一
「では、この数値から棒グラフを見ることにしましょう」
高倉は薄暗い会議室でモニターに赤い大きな棒グラフを映し、会議室に居る全員に見せた。
「この棒グラフから分かることは、近年いかに福祉事業所を利用する方が増えたかという点です。我々の作成する車のナビゲーションシステムには、人工知能が不可欠です。人工知能のデータ作成には莫大な時間とコストが掛かります。そこで私は欲が出てしまいました」
高倉はかけていた眼鏡を右手であげると、自身の両手をぽんと叩いて見せた。
「いかにランニングコストを抑え、データを収集するかを考えた結果、これらの事業所を活用させていただけないかという点です。事業所と連携させれば、国の支援もありローコストでデータを収集する事が可能になります。この流れを活かす事が出来れば、様々な方に仕事を行き渡らせる事も可能になります。いうなればwin-winの関係です。まずはトライアルという形で、現在既存の事業所に提案をしてみてはいかがでしょうか。私の発表は以上です。ご清聴ありがとうございました」
高倉は普段あまり使用しない表情筋を精一杯使用した後、疲れて無表情に戻ると会議室に居る全員に一礼をし、席へと戻った。会議が終了すると、会議室から出て自席へと戻った。
高倉が働いているオフィスは札幌のJRタワーに隣接した高層ビルの中にあった。
笠木にはエンジニアをしていると伝えているが、実際にエンジニア業務がどのようなものかは理解していないだろう。細かく説明するつもりも、業務の守秘義務を破るつもりもなかった。
高倉の席は奥の半個室になった席にあった。他の仕切られていない席とは違い半個室だが、特に役職が付いているわけではなかった。
最近後輩を三人つけられたので、そろそろリーダーの役職が付くのかと高倉は思っていたが、高倉は三年前に転職をしてきたばかりだ。高倉はまだリーダーにはなりたくなかった。
高層階で札幌駅北口の景色が窓越しに見える広々としたオフィスは、ずらりと並んだパソコン、それに向かい仕事をする人々、別室で会議をしている人、パーテーションで仕切られた向こう側でテストを行っている人、デスクの間に点々と置かれた丸い立ち会議用テーブルで立ちながら小声で会話をしている人、様々な人間がそれぞれに与えられた仕事をこなしている。
高倉は今、月一で回ってきた自身の社内向けプレゼンテーションが終わったばかりだった。
「高倉さん、今日のプレゼンとても良かったですよ」
高倉は自席でモニターのロック画面を解除すると、後ろから同僚の女性に声を掛けられた事に気付いた。
「ありがとうございます」高倉はその女性の方を振り向いて言った。
その女性は笑顔で高倉の顔を見た後、高倉のモニターに目を移したので、高倉はモニターに映った社内チャット画面が見えないように、別の資料を開いた。
「今度上手なプレゼンの方法教えてください」その女性は高倉に小声で言ってきた。
高倉はその女性の話の内容よりも、その女性の服装に目が行ってしまった自分を恥じた。その女性は胸元が大胆に開いた服装をしていて、椅子に座った高倉の目線の先に丁度胸が見えてしまったからだ。
高倉は無表情で女性から目線を逸らし、「特に上手なわけではないので、私にはきっと上手く教えられませんよ」とだけ言った。
高倉の職場は私服でも大丈夫なので、女性は服装が派手になりがちだった。特に今高倉に話しかけてきた女性の事なのだが、服装が自由だからといって、胸元が露になった服装を見かけた時は、何故そのような格好で職場に来るのかと高倉は疑問に思った。勿論常識ある服装の人の割合の方が多いが。
高倉は基本女性との関わりを避けていた。
何故なら持っている服や鞄などで、日々マウントを取り合う声が聞こえてくるからだ。個性なのだから持ち物の値段を気にせず好きにすればいいのに、と思っていた。
また、高倉は女性自体が苦手という事もあった。匂いの強い香水をつけている女性と同じエレベーターに乗らなくてはならない瞬間は、毎回憂鬱だった。
男性は基本スーツが多い。何故かは分からないが、入社した時からそのような風習だった。
だから毎週金曜日はメンズ私服デーという、職場を緩やかにさせる為の謎の社内ルールも存在する。高倉は私服よりスーツの方が服装を考えなくて良いから楽だった。
今日は金曜日だから私服だった。高倉は無難にネイビーカラーのワイシャツに黒のカーディガンを羽織り、グレーのパンツを合わせオフィスカジュアルにしていた。
耳にはシルバーのシンプルなスクエア型の眼鏡をかけ、首からはストラップに入れた社員証をぶら下げている。
高倉はその女性が自席へ戻った後、自身のモニターの社内チャットを開いて確認した。後輩の一人から社内チャットで、プログラムの作成が完了したと連絡が届いていたので、後輩の仕上げたプログラムを確認した。
年齢的に新卒のはずだが何故か六月に中途採用扱いで入ってきたこの新人は、結果を提出する事は早いが必ず小さなミスをする人間だった。正直教育をしている時間が惜しいのだが、最近自分の元にやってきた相手を無下にする訳にはいかない。
高倉は後輩の提出してきたプログラムを見ていて、一瞬自分の瞼が痙攣した事を感じた。
今回もプログラムコードで記載順序が逆のものがあった。小さなミスだが、これは早いうちに直さないと癖になる。何度か教えたはずだが、直っていなかった事に高倉はうんざりする。
「お疲れ様です。早々に提出いただきありがとうございます。13行と37行のミスですが、セルフチェックは行っていますか。チェックリストの項目には入っていますか?再度確認していただけますと助かります。念のため他のプログラムも全て確認してくださいね」職場で使用しているチャットで連絡を取る為に、高倉は無表情でパソコンのキーボードを軽く叩く。
これで今日はもうしばらくこの後輩から連絡が入る事はないだろうと高倉は思った。
高倉は表面的にはなるべく優しく教えているつもりで、上司からその指導方法を評価されていたが、内心はこの中途採用で入社してきた黒川美璃という人間が、この会社から消えてくれればいいのにと思っていた。
ミスをするなら仕事を与えず、完全に無視をして窓際族に追いやり、辛さから自主退職をしてくれればいいのに、とも思っていた。
自分の性格の悪さを改めて感じる。
履歴に残るように普段から社内チャットでのやり取りを推奨されている職場だ。上司の手前、勿論自分の体裁を守るために、パワハラに値する事など出来ないが。
高倉は苛々した自分の気持ちを上手くコントールする為に、自分のデスクに置いていた珈琲を一口飲んだ。高倉は笠木と会っている時の自分のようにリラックス出来るように、深呼吸をした。
隣の席の小林が苛々しているのか、時折エンターキーを強く叩いている。エンターキーに当たる人間は嫌いだ。
ふとモニターの画面の右下を確認するともう十六時半だった。
その中途採用の後輩が確認している間に自身の業務を進めようとするが、その途中にもう一人の今年新卒の後輩からチャットが入った。
「バグが出てチェックをしたがどうしてもエラー箇所が分からないから助けて欲しい」チャットには申し訳なさそうに文章が書かれているが、簡単に言うとこのような内容だった。その部下に任せた業務は締め切りが近いものだった。
高倉は、何故もっと早く連絡をして来ないのかと思う。
高倉は今日プレゼンもあったからだが、今日は自身の業務になかなか手を付けられないでいた。上手く定時に上がるためには、この後輩達から定期的に送られてくるチャットの合間に、急いでプログラミング設計書を作成しなければならなかった。
そのお陰で今日は昼休みと煙草を吸う時間が減った。なるほど、この苛々はニコチンが足りていないせいか、と高倉は思う事にした。
その後輩の連絡にフォローを入れつつ、「問題発生時はなるべく早くレポートをして下さい。ギリギリまで抱え込まないようにして下さいね。確認しますね」とチャットを打ち、後輩の作成したプログラムコードを恐々チェックする。
思ったよりも簡単なスペルミスが複数あるだけである事に、歓喜と共に愕然とする。
何故このレベルのものが発見出来なかったのか?チェックをするソフトが動作をしなかったのか?
高倉はその旨を省いて簡潔に後輩に連絡をし、外部の会社からのメールに何件か返信が完了すると、頻繁に連絡が入るパソコンから離れたくなり、席を立った。
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