香川も不信に思い免許証を受け取ろうとした手が止まり、少し空いた扉の外を見た。警察では近頃、警察官が乱暴な捜査をする予防に、取調室や個室も扉を少し開けて、担当者と話す事が多い。


 畑山は香川に免許証を返すと、「今後このようなことをしないように」と厳重注意をし、香川と共に個室から出て廊下へ進んだ。少し先にある取調室の横の小部屋の前に、事務職員が三人集まっているのを畑山は見た。


 畑山は香川に会釈をして手で帰るように合図をすると、香川は右手を庇いながら畑山におずおずと会釈をし、廊下を進んで一階に降りる階段へと向かった。


 畑山は取調室の横の小部屋の前に立ったまま足を止めた。


 小部屋の前に集まった三人に帰れと合図をして、小部屋にノックをして入った。小部屋の中は狭かった。中には、長方形の広い窓の向こうを見て立っている警察官が一人居た。


 窓の向こうは取調室の中の様子がマジックミラーで見えるようになっており、一人の年配の警察官が、机を挟んだ向こう側の一人の男に非難を浴びせられている様子が見て取れた。内容はどうやら警察の対応について不満を漏らしている様子だった。


「また彼ですか?何故今回は取調室に?」畑山は、小部屋の窓の前に立ち、窓の向こうを見ていた同僚の浅田に声を掛けた。


 浅田は畑山の方を振り向いた。


「個室が埋まっていたから、仕方なくここに通した。斉木さんは駄目だ。あの話し方だと火に油を注いでいるだけだ。俺が代わりに話に行くから、ここにお前居てくれないか」浅田は畑山に言った。


「ああ、分かった」畑山がそう言った瞬間、浅田は小部屋の奥にある取調室と繋がっている扉へ向かった。


 浅田は扉をノックして「失礼します」と言い、取調室の中へ入って行った。


 畑山は浅田に「分かった」と言ってしまったが、今香川から受け取った情報の記載されたメモを手に持ったバインダーに挟み、念のため過去に似た事案がないか確認しようと思っていた事を思い出した。


 畑山は、浅田が窓の向こうに見える取調室に入り、何やら斉木という年配の警察官と小声で話をしている様子を見た。


 斉木が席を立ち、取調室から扉を開けて小部屋に出て来た。畑山は斉木に会釈をした。斉木は不愛想な表情で畑山に会釈をし、扉を開けて小部屋から出て行った。小部屋の扉は少し開けたままにして出て行った。


 取調室の中では、先程斉木が座っていた席に浅田が座り、黒縁眼鏡の男と向き合っていた。


「大変申し訳ございません。私が話を聞きます」浅田はその男に謝った。


「あんたたちが頼りにならないから、こっちは探偵に依頼したんだよ」その黒縁眼鏡の男は机の上に腕を載せ両手を組み、浅田の方へ前のめりに顔を突き出しながら小声で言った。


「SNSでも呼びかけたけど駄目だった。何の情報も得られなかった。あんた達は夫婦仲の問題だとか、嫁が浮気相手と駆け落ちしたんだろうって言っていたけど、カードを利用した形跡も預金を卸した形跡もないんだ。普通駆け落ちしたなら逃げた形跡くらい残すだろ?何の形跡もないんだ。探偵にも足取り調査をしてもらったけど、何も出なかった。いきなり居なくなった」黒縁眼鏡の男は捲し立てるように言った。


「最後に目撃されたのは、前にも言ったが嫁の働いていた喫茶店だ。それから自宅に帰ってない。せめて喫茶店からどこに向かったのか、近くの防犯カメラをもっと探して見て貰えないか?せめて誰と最後に会っていたか」


「以前にもお伝えしましたが、その店の防犯カメラは調べたんです。奥さんが誰かと会っていた形跡はありませんでした。他の防犯カメラですが、もう少し調べる範囲を拡大して捜査に当たりますので、後は警察に任せてもらえませんでしょうか。何回もご足労いただいて申し訳ないのですが、こちらも可能な限り対応してますので」浅田は申し訳なさそうに言った。


「範囲を拡大って、対応が遅いんだよ。こっちは八月からずっと探してんだ」黒縁眼鏡の男は怒鳴り声を出した。


「大変申し訳ございません。捜査は行っておりますので。ですがこの場合事件性が確認出来ないので、警察としても対応出来る事が限られてしまうんです」浅田は言った。


 畑山はそれを聞いていて、捜査と言ってもパトロールくらいしかしていないじゃないかと思った。


「どう考えても事件性があるだろうが」黒縁眼鏡の男は憤慨したが、徐々に小声になった。


「嫁はいきなり居なくなるなんて事しない。そんな女じゃなかった。確かに浮気はしている気はしてた。だけど、いきなり居なくなるなんて…そんな事絶対にない」男は俯いて言った。


「引き続き捜査は行いますので、今回はお引き取り願えませんか。防犯カメラの映像も、先程お伝えした通り可能な限り拡大して調べますので」浅田はゆっくり席を立ち男に手で取調室の扉の方を案内し、帰るように促した。


 男はまだ何か言いたそうな表情をして浅田を見ていたが、しばらくすると俯いておずおずと席を立ち、浅田に案内されて取調室から出て畑山の居る小部屋に入って来た。


 畑山は男と目が合った。男は頭を垂れて唇をぎゅっと結び、懸命に涙をこらえているような表情をしていた。


 浅田はこちらを振り向き軽く会釈をして、男と共に小部屋から廊下へ出て行った。


 畑山はしばらくしてから廊下へ出て、小部屋の扉を閉めた。二人が廊下の先を進み、一階に降りる階段へ向かう姿を後ろから見ていた。二人が階段を降りた様子を確認すると、畑山は二階のこの取調室とは反対側に位置する捜査一課の事務所へ戻るために廊下を進み、自席へと戻った。


 持っていたバインダーの中からメモと数枚の書類を取り出し机の上に置いた後、バインダーを自席のパソコンの横に置いてあるブックスタンドに挟めた。パソコンのロック画面を解除し、モニターに行方不明者リストのページを立ち上げた。先程取調室に居た男の探しているという、男の妻の顔写真の載っているページを開いた。


 何度も確認したので覚えた。明るめの茶髪に幼い顔立ちをした、丸顔の女性の顔写真が載っていた。この女性は先程の男の二十歳も年下だそうだ。年の離れた若い妻が普段から浮気をしており、駆け落ちをした…これが警察の判断だった。


 警察は捜査願を受理したが、事件性があると判断した場合や、未成年の行方不明の場合、他には自殺をしそうな特異行方不明者の場合しか捜査を行えないという、規則上のルールがあった。


 畑山はその女性の顔をしばらく見ると、他の行方不明者の一覧ページへと戻った。検索項目のチェックリストの性別を、女性に限定して一覧表示させた。畑山は、ここ数年の間に増えていた女性の行方不明者が普段から気になっていた。


 一度上司に相談をしたが、どれも事件性が確認出来ないとの事で、近隣の交番に連絡をしてパトロールを依頼するか、良くて最後の目撃情報のあった個所の防犯カメラをチェックするだけに留まっていた。行方不明者のプライバシーも考慮しての事だった。


 畑山は上司である課長の岡本が普段座っている席の方を向いた。岡本は現在離席をしており不在だった。


 畑山は、行方不明の原因は同一犯の可能性はないかと岡本に何度も相談したのだ。何故かと言うと、行方不明者の女性には共通点があったからだ。それを岡本は内輪揉めとしていた。


 畑山は、もっと早く警察が本格的に捜査をしていれば、先程の男の妻も行方不明にはならなかったかもしれないのにと思った。


 畑山はデスクトップに作成した自身のフォルダを開き、「近年行方不明者リスト」とタイトルの書かれたエクセルシートを開いた。これは畑山が独自に作成したエクセルシートだった。


 開いたトップページには棒グラフが表示されており、ここ二、三年の間だけで道内で急増した行方不明者の数が映っていた。このグラフは青と赤の二色のカラーの縦棒が交互に並んでおり、「男性」「女性」と性別分けされている。


 畑山は、男性に比べて女性の行方不明者の数が圧倒的に上回っている、赤い棒グラフを無念の表情で見つめた。

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