高倉と最初に出会ったのは札幌北二十四条にあるゲイバーに入った時だった。


 笠木が何度か通った事のある店で、ゲイバーとは言いつつも、いつもドアが開放されていて店内が見える状態になっており、同性愛者だけではなく異性愛者でも歓迎の、入りやすい店だった。


 また、ゲイバーには珍しくチャージ料金がかからないので、安く気軽に飲みに行く事が出来る。笠木はゲイの友人と一緒に入店した時を思い出した。その日は常連客が多く、いつも通り賑わっていた。


 奥にあるカウンター席の外から見えない端の席に、高倉は一人で座って飲んでいた。笠木がいつも通りカウンターに居る店長に挨拶に行くと、ふとカウンター席で飲んでいた高倉と目が合った。


 高倉は目は酔って虚ろだったが、笠木は高倉の端正な顔立ちに心が惹かれ、つい見入ってしまったのだ。その後なんとすぐ高倉から声をかけてきた。すぐに「すみません、人違いです」と断られたが。一人でかなり酔っている様子だった。


 珍しい客だったしその容姿に惹かれ、笠木は「隣に座って飲んでもいいですか?」と聞いてみた。するとなんと高倉が頷いたので、隣に座り二人で他愛無い会話を交わした事を思い出した。


「まさか有理君から声をかけてくれるとは思わなかったよ」笠木は言った。「あの時はかなり酔っぱらってたよね」


「何回か聞かれたけど、本当に何を喋ったのか覚えていないんだ」高倉は笠木の頭を撫でるのを止め、だるそうにベッドの枕元の棚に置いてある何かを取ろうとしたが一瞬手を止め、何も取らずまたベッドの中に入って来た。


「本当に俺変な事言ってないよね?」高倉は笠木の顔を見て、無表情で聞いてきた。


 何度も聞いた言葉だ。


「言ってないよ」笠木はフォローした。


「でも僕が初めての人だった事は分かったよ。嬉しかったんだよ。告白はスルーされたけど」笠木は本心を隠さずに伝えた。


「初めての話はしなくていいよ」高倉は表情が読めない顔をして言った。「告白の件はあの時焦っていたし。ごめんね」


 あの時はゲイバーで飲んだ後、二日酔いの状態でホテルの部屋で二人朝を迎えて、笠木から付き合わないかと提案をしたのだ。


 高倉はどうやら年齢の割に経験が無かったらしく、ラブホテルの清算システムすらよく分かっていなかった。浮気をされたばかりの笠木は高倉の初心さや顔に惹かれ、つい告白をしてしまったのだ。高倉がかなり動揺していた様子を笠木は思い出して、つい笑いそうになってしまった。


「最近忙しくてなかなか会えなかったのもごめんね」高倉は手を伸ばして再度こちらを向き、笠木の頭を撫でた。その声は柔らかくて耳心地良かったが、眉間には少し皺が寄っていた。


「また眉間に皺が寄ってるよ」笠木は言った。


「視力が悪いからだよ」高倉は言った。


 笠木はベッドの枕元の棚に置いてある高倉の眼鏡に手を伸ばそうとした。その時笠木は、眼鏡の隣に置いてあった高倉のスマートフォンの画面が光っている事に気付いた。着信履歴のようなものが入っている。


「スマホ光ってるよ」笠木は伝えた。


 高倉はスマートフォンに目を向けた。「知ってる」


「見ないの?」笠木は身を乗り出して高倉のスマートフォンに目を向けた。「着信来てるけど…」


 宛先の名前は非通知だった。


 高倉はスマートフォンを裏返しにして棚に戻した。「別に重要な事じゃないだろ」


「非通知って。こわ。あ、でも職場からかもしれないよ?」笠木は言った。「見ないの?」


「仮に職場からだとしても、この時間に対応するわけがない」高倉は無表情だが、その声には若干の苛立ちが見えた。


「有理君はスマホ嫌いだよね」笠木は高倉のスマートフォンが気になったが、目を離してその横に置いてあった高倉の眼鏡を取った。笠木は高倉の眼鏡を付けてみた。


「わぁ、やっぱこれは見えない」笠木は視力が良い事だけが自慢だった。


「目が悪くなるからやめなさい」高倉は笠木が付けた眼鏡を取ろうとした。


 笠木は高倉の手の届かない方へ眼鏡を持った手を伸ばした。


「取れるものなら取ってみなさい」笠木は悪戯っぽく笑った。


 高倉が手を伸ばしてきた。高倉の腕は自分より長いので、勝敗の差は明らかだった。


「…なんてね」笠木はすぐに眼鏡を高倉に返した。


「悪戯好きだね」高倉は眼鏡を棚に戻すと、今度は笠木の上に跨ってきた。


「悪戯っ子にはお仕置きが必要ですかね?」高倉は微笑をたたえているが、目は笑っていない。


「今日はもう寝ないと明日お仕事ですよ、お兄さん」笠木は驚いて苦笑いをする。


 もう深夜零時半を過ぎていた。高倉は朝七時には起きる。寝坊や遅刻はした事がない。


「本当はもう眠いんでしょ?」笠木は高倉の目元のクマを気にして聞いてみた。


高倉は笠木の上に乗って腕で自分を支えた状態で唸った。「明日休みなら良かったのに…」


「僕は明日も会えるよ。それに今日の夜ご飯の材料余ってるし、明日も夜ご飯作りに来れたら来るけど。今月はもう仕事落ち着いて来たんでしょ?」笠木は言った。


 高倉は自炊をしないので、今日は久しぶりに夜ご飯を作りに高倉のマンションに来たのだ。ただ、余った材料をそのまま冷蔵庫に入れておくと次来た時には食べずに腐っているので、毎回勿体ないと感じ料理を作りに来られる日は、高倉に貰った合鍵を使って料理を作りに来ていた。


「明日も来ていい?ああ、もう今日か。僕今日は日勤に変更になったから大丈夫だよ」


 普段金曜日は、笠木の職場のシフトは遅番で二十二時に終わるのだ。今回は同僚に合わせてシフト変更をしていた。


「会いたいけど、仕事がどうなるか分からないから、大丈夫そうだったら連絡する」高倉は言った。「寝ようか」


 高倉はだるそうに笠木の横に横たわった後、ベッドの棚に置いてあるスマートフォンは無視し、その横にあるアナログなデザインの目覚まし時計に手を伸ばして、目覚ましが設定されている事を確認した。


「おやすみハニー」笠木は言った。


「ハニーじゃない」高倉は苦笑いした。


 高倉はハニーという言葉に鳥肌が立つと以前聞いていたが、笠木はふざけて言ってみた。笠木は海外の映画に憧れがあった。髪色も海外の俳優に憧れて明るく染めていた。


「ハニーじゃないなら何?」笠木は聞いてみた。


「…君がハニーなんじゃないの」高倉は笠木を見て笑った。


 高倉はクールな顔に似合わず、笑うと右側の頬だけえくぼが出来る。

 笠木も笑った。


 この笑顔は自分だけが見られるのかなと、笠木は嬉しくなった。


 高倉が部屋の電気を消した。


 この日、笠木は良い夢を見た。

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