第二章 幸福

 笠木創也は、今幸せだった。

 オレンジ色のライトに照らされたマンションの寝室で、淡い緑の葉の模様が施されている白い布団を被り、ふかふかのベッドに横になっていた。


 笠木のミルクティーカラーに染めた明るいパーマヘアを、横に寝そべった恋人の高倉が愛おしそうに撫でている。耳元を触られ、笠木はくすぐったく感じふと笑ってしまう。


 今度は分厚く長く伸びた前髪にも手が伸びる。

「これ、目元見辛くない?切らないの?」と高倉は聞いてきた。


 笠木は「そろそろ切る予定だよ」と言い、高倉に笑顔を向けて、前髪をくしゃっと自分の手で掻き上げた。視界が少し広がった。


 笠木は同性愛者だ。恋人の高倉有理は、名前は中性的だが男だ。


 高倉は今笠木の隣で片腕の肘を付いてベッドに半裸で横たわり、笠木の方を見つめながら優しい笑顔を向けてくれている。その笑顔は滅多に他人に見せないもので、笠木はとても心地が良かった。


 笠木は高倉を見た。

「有理君は相変わらず綺麗な顔してるよね」笠木は思わず言った。


「え?」高倉は不思議そうに笠木を見てきた。


 高倉はモデルのような容姿をしていた。笠木のような痩せ気味で、身長百六三センチの天然パーマしか特に、特徴のない容姿とは異なった。


 高倉の身長は百七十八センチくらいだと以前に本人から聞いた。小顔ですらりとした体形をしており、鼻筋の通った色白な顔に色素の薄い小さな唇、瞳は心の中が覗けないような漆黒の黒い瞳をしていた。よく茶色いと言われる笠木の目の色とは異なった。高倉は睫毛が長く、幅の広い二重の切れ長な目をしている。


「なんでそんなに睫毛長いの」笠木は、思わず高倉の睫毛を触りたくなった衝動を抑えた。「髪もさらさらで羨ましい」


 高倉は笠木とは真逆の黒髪ストレートヘアで、前髪を顔の真ん中で分けており、耳元より少し長い位の長さの髪が普段はワックスで整えられている。今は多分髪に何もつけておらず、無造作に軽く乱れているが。


「創也はこれ天然パーマじゃないんでしょ。俺最初天然かと思ったけど」高倉は笠木の髪の毛をまだ触りながら聞いてきた。高倉は笠木の髪をよく触る癖がある。


「すぐうねる癖っ毛だから、天然パーマと変わらないよ」笠木は言った。


 高倉は一瞬寒そうに震えると、上半身裸の状態で布団から身を起こして、ベッドの横の床に置いてあったスエットの上着を着ようと手を伸ばした。先程風呂上りでまだ暑いからと、上半身だけ脱いでいたのだ。


 高倉の体は細身だが、激務の中でも規則正しい生活を心掛けているためか、ある程度鍛えられている。笠木は、男なのにたまに自分をお姫様抱っこする高倉に疑問を抱く。この細身の身体のどこにそんな力があるのだろうと。


 高倉に一つ突飛な特徴があるとすれば、目元にはクマが常にあり、黒いクマの跡が残っている事くらいだろうか。


 普段から笠木はそれを気に掛けていた。仕事のし過ぎではないかと。


 高倉本人は、昔からクマがあると言っていた。なかなか会う事が出来ないし、普段激務のせいもあるのだろう。普段は眼鏡のフレームでクマを隠しているようだが、今は眼鏡をかけていないのでクマがよく見えてしまった。


「有理君風邪引かないように気を付けてね。毎年この時期風邪引くでしょ」笠木は言った。


 高倉はスエットの上着を着てその上にカーディガンを羽織って、ベッドの端に腰掛けた。


「去年は栄養ドリンクに頼りきりだったから体調を崩したんだよ。今年はさすがにあんなに忙しくならないと思う」高倉はこちらを向いて言った。「煙草少し吸ってもいい?」


「いいよ」笠木がそう言うと、高倉は一度立ち上がり部屋の換気スイッチを押しに行った。またベッドに戻って来ると、ベッドの端に座り、ベッド横のサイドテーブルに置いてある煙草とライターに手を伸ばした。灰皿を手前に引き寄せた。


 去年高倉は栄養ドリンクを飲み過ぎて、心臓が熱いと謎の発言をしていた事を笠木は思い出し、心配になった。煙草や栄養ドリンク漬けの日々は体によくないと何度も注意はしたのだが、煙草だけは止められないようだった。


 高倉はエンジニアとして働いているそうだ。


「仕事って有理君具体的に何してるのか絶対教えてくれないよね」笠木は言った。


 高倉は普段はクールで最低限の事しか喋らない性格のせいか、仕事の事に関しても詳しくは知らなかった。


「守秘義務があるから言えないんだよ」高倉はベッドの端に座り、煙草を吸いながら言った。


 笠木は、高倉の仕事どころか、高倉の過去の事や家族の事もまともに聞いた事がない事を思い出した。高倉の家族は札幌の西区に住んでおり、もう何年も会っていないという事だけは聞いていた。友人の話は聞いた事もない。聞いても教えてくれないのだ。


 高倉はその容姿と、何を考えているか分からない行動からか、全体的にミステリアスな雰囲気を醸し出している。


 何も教えてくれない、そんな素性の分からない男は危険だから離れた方が良いと笠木は友人に言われた事もあるが、どうしても惹かれてしまい離れられなかった。


 高倉は顔が良い。笠木は顔の良い男に弱かった。ミステリアスな部分も惹かれる理由の一つだった。また、一緒に居る時の高倉は自分に優しかった。どこも危険なところはない。


 高倉は普段あまり笑わないのに、自分の前では優しい顔で微笑む。嫌いになるはずがなかった。


「そういえば、付き合ってもう少しで二年記念だね」と笠木は高倉に言った。


 今は十一月中旬で記念日はクリスマスだ。笠木は高倉と付き合ってもう二年近くになるが、自分でもまだ高倉について知らない部分ばかりである事が不思議だと思った。それどころか、気付けばもう二年という事実に自分でも驚いた。


「二年も誰かと付き合ったの、僕初めてだよ」笠木は苦笑いした。


 高倉はこちらを振り向いて笠木の顔を上から見下ろした。笠木と目が合った。


「そうなの?」高倉は言った。


「前に言った元カレには一年半で振られたから」笠木は気まずく思いながらも言った。高倉の前に付き合った男には、女性と結婚をするからと別れ話をされたのだ。

 そう、相手はバイセクシャルで、男とも女とも付き合える。つまり自分はその男に浮気をされたのだ。むしろ自分が浮気相手だったのかと、考えるときりがない。


「僕あれ以来バイセクシャルにはトラウマがあるよ」笠木は高倉を見上げて言った。「有理君は女性苦手なんだよね」


「ああ、うん」高倉は煙草を灰皿に押し付けて火を消しながら答えた。


 過去に何があったのかは知らないが、高倉は男女関係なく浮気をする人間は嫌いだとも以前自分に教えてくれた。笠木はその言葉を信じていた。その言葉は、笠木が高倉と安心して付き合える長所でもあった。


「でも有理君女性からモテるからたまに心配になるよ」笠木は言った。


「別にモテないよ」高倉はそう言ったが、実際は女性にモテた。街中で一緒に歩いていても、高倉だけよく声を掛けられていた。


「そういえば、二年記念日はどこに行こうか」笠木は聞いた。


 高倉は笠木の質問には答えず、部屋の換気スイッチを消しに行き、洗面所へ向かった。戻って来ると、ベッドの中に入り、笠木の隣に横たわった。体に消臭スプレーをかけ、マウスウォッシュをしてきたようだ。


「どこか行きたいところはある?」高倉はこちらを見て聞いてきた。


 行きたいところなら沢山あった。ディズニーランドや京都、沖縄も良い。


「うーん、ちょうどクリスマスだし、今年こそ函館のクリスマスファンタジーが見に行きたいな」笠木は言った。


 札幌から函館間なら、なかなか連休の取れない高倉でも一泊二日で行けるだろうと思ったからだ。また、ずっと札幌のみのデートだったので、遠出をしてみたいという気持ちがあった。


 函館は毎年十二月になると、クリスマスまでの期間中、クリスマスファンタジーと称したイベントを開催している。屋外に巨大なもみの木を飾り豪華なイルミネーションをし、花火が上がる。金森倉庫と呼ばれるレンガ式の建物の中にある土産屋の外でスープバー等の提供をしている。


 他にも新鮮な海鮮が朝から食べられる有名なホテルもあるし、教会や公会堂の立ち並ぶ趣のある坂のある街並みも魅力的だ。


 去年はクリスマスが平日だったし、高倉はそのシーズン仕事が忙しく、有給を取れずに諦めたイベントだった。その代わり、クリスマスの数日前に、高倉が札幌の有名なホテルを予約してくれた。


 函館は、今年のクリスマスは土日を挟んでいるから行けるのではないかと思ったのだ。クリスマスの計画を練る為に事前に調べておいた。


 笠木は普段土日仕事のシフトが入っているが、この日は事前に有給申請をしておいた。高倉は基本土日祝日が休みだ。


「函館かぁ、いいね」高倉は何か考えながら言う。「今年は休み取れるといいけど。雪道になるし行くとしたらJRかな?」


「今年は二十四日と二十五日土日だったよ。僕実は有給申請しておいたんだよね。JRでもなんでも良いよ。有理君雪道運転しないもんね」笠木は言った。


「有給取れたんだ?運転出来ないわけじゃないけど、長距離の雪道は危ない」高倉は言う。


「そういえば初デートもクリスマスツリーを見たよね」笠木は言った。「地下鉄で札幌ファクトリーまで行って、ツリーを見た」


 札幌ファクトリーは巨大な大型商業複合施設で、函館とは違い屋内にだが、こちらもアトリウムに巨大なツリーを毎年飾っている。


 巨大なアトリウムの天井から、光り輝く天の川のような装飾をされたリボンがあちらこちらに垂れ下がっており、巨大なツリーは豪華に飾りつけられて光り輝いていた。こちらは屋内なので温かい環境でツリーを見たい時には良い。


 二年前は二人でツリーを見て、ショッピングを楽しんで、食事をして帰った。


「それはまだ付き合ってない時じゃない?友達として一緒に見に行って、その後に創也から告白してきた」高倉はまた笠木の髪の毛に手を伸ばして、髪を触りながら言った。


「友達としては何回か会っていたのに、有理君がなかなか告白の返事くれないからだよ。一番最初に会った時に一度告白してるんだけどね、僕」笠木は今更ながら恥ずかしく思い、布団で顔の半分を覆って言った。


「覚えてるよ」高倉は苦笑いした。「俺が二日酔いになってる時でしょ」

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