悪魔はきらい④
随分と長く眠りについていたような気がする。スマホで時刻を確認すると、午後一時。眠っていたのは二時間程度だった。
それでも体の疲れは十分すぎるほど取れている。要因ははっきりとしている。優華との接し方がわかったからだろう。
「お母さん、悪魔がいるの! どうにかしなきゃダメなの!」
昨夜は優華がいつも以上に取り乱していた。けれど、私は落ち着いて接することができたと思う。優華もすぐにいつもの様相を取り戻し、ぐっすりと眠りについていた。上手くやれている。
例えようのない満足感の中で、私はこれからこなさなければならない家事を一通り思い浮かべた。どの順番でこなせばいいのか考える。シミュレーションをした後、布団から体を出した。
リビングに行くと、シンクにはお皿と箸、アニメのキャラクター柄のコップがあった。優華はちゃんと全部食べたようだ。いつもなら残す野菜も今日は食べている。もしかしたら、昨日の私の思いが通じたのかもしれない。
優華に一声かけようかと思ったが、この時間はいつも部屋で読書をしている。邪魔をするのはよしておこう。
私はソファーに腰を掛け、静けさを紛らわせるためにテレビを付けようとした。そこで、異変に気付く。外が騒がしい。子どもが騒いでいるだとか、誰かが井戸端会議に花を咲かしているだとか、そういったレベルではない。
このアパートに移り住んでからは初めての経験だ。網戸から吹き込む風が不安をあ煽る。私は恐る恐るベランダへと歩みを進めた。
網戸を開けると、一層強く騒音が耳に伝わってくる気がした。ゆっくりとのぞき込むと、下には人混みがあった。
そこにいるほとんどの人がある一方を見つめている。そこには、周囲を黄色いテープで囲まれた場所があり、警察と思わしき人々が何やら作業をしている。
どうやら事件があったらしい。何かはわからないが、あれだけ多くの警察がいるということはそれなりの事件なのだろう。私は他人事のはずなのに、動悸が早まっていくのがわかった。得体のしれない生物に睨まれているような緊迫感が全身を支配した。
身近で事件が起こるとこんな気持ちになるのだと自分でも驚いた。サスペンスやミステリーは好きな方だが、やはりフィクションと現実とで違うらしい。
私は先ほどつけ損ねたテレビをつけた。いつもならすぐに変えてしまうような通販番組だったが、妙に心地よかった。大袈裟に商品を紹介する芸能人にわいてくる文句が冷静さをさらに高めた。
私は落ち着きを取り戻すと、冷蔵庫から牛乳を取り出した。マグカップに豪快に注ぎいれ、グビッと飲み干した。牛乳が体の内側を伝っていくのがわかる。この妙な感覚が癖になる。
そこで、私はシミュレーション通り洗い物から取りかかることにした。慣れた手つきでこなしていく。食器洗浄機があればもっと楽なのだろうと考え、すぐにやめる。今さら買ってもしょうがない。
洗い物を終えタオルで手をふいていると、再度異変に気付く。デジャブ。今度は家の中が静かすぎる。
いつもなら、昼寝を終えた彩華が気が滅入るほど家の中を走り回っている。けれど今日は違う。どたどたと走り回る足音も、何度注意しても聞こえてくる甲高い声も聞こえてこない。
もしかしたら、昨夜騒いだつけが回ってきたのかもしれない。なんてことないオモチャに夢中になり、寝かせようと布団に入れると暴れだす。それを何度も繰り返したつけが。
だとしたら、それはそれでいい。せかっく寝不足を解消したばかりなのに、今度は遊び疲れてへとへとなんてことになるのは勘弁だ。
それにしても、久しぶりに一人の時間を堪能している気がする。優華が産まれてからは優華の天真爛漫さに振り回され、彩華が産まれてからは彩華の育児に手がかかりっぱなし。優華が彩華の面倒を少しでも見てくれればいいのだけど、あまり相性がよくないようだ。
まぁしょうがない。年も離れているし、無理に仲よくしろというのも違うだろう。お互いの距離感で接するのが一番だ。
私はふと自分の目から涙がこぼれていることに気が付いた。もう年なのかもしれない。まだまだ、子どもたちの成長を見ていかなければならないのに。今日は久しぶりに夫と晩酌でもしようかな、この幸せを嚙み締めるために。
そのとき、続けて二度インターホンが鳴った。静けさに満ちた部屋に異様な空気をもたらした。
「警察です、少しお話を伺ってもよろしいですか?」
私の平穏は、幸せは二度と訪れることはなかった。
悪魔はきらい 野嶋瞭悟 @nojima_2
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