悪魔はきらい➂
「お母さん、悪魔がいるの! どうにかしなきゃダメなの!」
結局、お母さんは私のことを信じてはくれなかった。悪魔なんているわけないと決めつけて、真剣に取り合ってくれなかった。
だから、私がやるしかない。私の手で悪魔を殺すしかない。お母さんも、お父さんもみんな、私が守る。私が守ってみせる。
土曜日の朝、覚悟を決めて布団からでた。体は少し震えている。右手で左手首をグッと握りしめる。私がしようとしていることが悪魔にバレたら、きっと私は殺される。それだけは嫌だ。
大きく息を吸い、吐き出す。不安を吐き出してしまおうと何度も繰り返す。すると、だんだんと体の震えは止まっていった。大丈夫、私ならできる。
リビングに行くと、お母さんがソファーで横になっていた。私は足音を立てないようにゆっくりと歩いた。けれど、私の気配を感じ取ってか、くるりと首をこちらに向けた。
「おはよ、優華」
「おはよう、お母さん」
いつも通りのやりとりのはずなのに、我慢しなければ涙があふれてしまいそうだった。こんな風に挨拶をするのもこれで最後になるかもしれない。そう思うだけで、全身が崩れて粉々になってしまいそうだった。
「ごめんね、お母さん寝不足でさ、ちょっとお昼寝してくるね。昼食は冷蔵庫に入っているから、レンジでチンして食べてね」
「……わかった」
なんとか絞り出した声で返事をした。一瞬、お母さんに泣きそうなのがバレてしまうかと思ったけれど、目をこすりながら私の横を通り過ぎていった。寝不足であったことが功を奏した。
私は冷蔵庫からラップがかけられた焼きそばを取り出し、レンジにいれた。1分間加熱してから私は噛み締めるように食べた。少し水っぽくて、私の嫌いな野菜もたくさん入っている。それでも、今日だけは食べておかなければいけない。何度も何度も咀嚼してから飲み込み、ついに完食した。
その焼きそばは体の内部から熱を発して、私に力を与えてくれた。こんなにも力がみなぎっているのはいつぶりだろうか。きっと、悪魔が見え始めるよりも前だと思う。
私は今までのことを思い返した。悪魔が見えるよりも前の自分。友達もたくさんいたし、先生も、お父さんも、お母さんもみんな私のことをほめてくれた。目に映る全てのことがキラキラして、毎日が楽しくてたまらなかった。明日が来るのが待ち遠しくて、走って向かえに行こうかと何度も思った。
それから、悪魔が見え始めた。私の人生を滅茶苦茶にした。誰に相談しても笑われた。私にだけ見えているのが怖くて、私だけがおかしくなったのだと思うのが怖くて、誰かと会話することが嫌になっていった。だんだんとフィクションの世界の方が羨ましくなって、本ばかり読むようになった。あんなにも美しかった日常は、排水溝に感じるような不愉快なものに感じた。
そんな日々が今日で終わる。私の手で絶対に終わらせてみせる。
私は悪魔のもとへと足を運んだ。リビングの横、
怒りで満たされていくのが手に取るようにわかる。感情が体を突き動かそうとしている。いけない。慎重に。
私は再び大きく息を吸ってから、ズボンのポケットから紐を取り出した。それから、悪魔を起してしまわぬように、そっと手足を縛りあげた。仕上げにガムテープで口を閉ざし、私は悪魔の首へと手をかけた。
触れた悪魔の肌は思っていたよりも暖かい。じんわりと手に汗をかいていくのがわかる。手の位置を何度か確認し、準備を整えた。
私は全身の体重をかけながら、首をしめた。悪魔は一瞬反応し、抵抗するそぶりをみせる。しかし、私の手が悪魔の首の骨を折るほうが早かった。手に異様な感触が広がる。私はとにかく無我夢中で悪魔の首を絞めた。
どれくらいの時間が経ったのかわからない。数秒のことにも思えたし、数時間の事のようにも思えた。私は、恐る恐る手の力を緩めた。手には恐ろしいほどの熱がこもっている。荒い息遣いで悪魔のことを見つめる。悪魔はピクリとも動かない。
私はついに悪魔を殺すことができた。やっと全てから解放される。もう、殺される恐怖におびえる必要もない。
まるで歓声に包まれたようだった。静かなはずのこの家でどうしようもないほど騒がしかった。網戸をすり抜けたそよ風だけが現実と私を繋いでいてくれた。
私は余韻を味わえるだけ味わった後、網戸を開けた。そして、悪魔との完全な決別のためにその体を抱え上げた。生きているときに感じた恐怖はもうない。ランドセルや本と変わらない。ただの物を持っているのと変わらない。
ベランダから悪魔の体を外に突き出す。体は私の手から離れた瞬間、目にも止まらぬ速さで視界から消えた。数秒後、私の耳には異様な破裂音だけがこだました。
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