俺の悪友

岡本圭地

俺の悪友 (1話完結 約9500字)




ある日、俺は死んだ。


 それは説明するのもバカバカしいほど、間抜けな事故死だった。


 事の発端は、電子レンジでピザトーストを温め過ぎた事だ。

 あまりの熱さに、手に持った瞬間「あっちぃぃ!」と放り投げた。

 それは俺の素足の上に落ちる。

 溶けたチーズは、まるで溶岩のようだった。

 火を押し付けられたような激痛に、また「あっちぃぃ!」と叫んで転げ回った。


 これがいけなかった。

 テーブルの脚に頭をぶつけると、落ちてきたのは、なんと包丁。

 迂闊にもテーブルの端に置いていたのだ。

 鋭利に尖った先端部分が、俺の喉に突き刺さり、ジ・エンド。

 

 ああ……嫌だ。

 こんな間抜けな死に方、絶対に嫌だ。

 そこで俺は、あの世で神様に懇願した。

 幽霊でいいから、俺を悪友の北川直樹のもとへ送って欲しいと。

 さらに、触れる事と喋る事は出来るようにして欲しいと付け加えた。


 神様は宮殿のようなその場所で、装飾された豪華な椅子に鎮座していた。

 白い衣を身に纏い、頭の上には輪っか、杖も持っている。

 白々しいほど、アイアム神様だった。


 彼は人差し指を立てて言った。

「……ならば一時間だけ、君の霊体を地上に送ろう」

 意外にも、あっさりと承諾してくれた。

 俺が思うに、あまりにも情けない死に方で、神様さえも同情したのではないだろうか。


 とにかく、そういうわけで俺は地上へと降りる事が許された。

 案内してくれるのは神様の秘書である、渡辺さんという若い女性。

 長い黒髪と、赤い口紅が印象的。はっきり言って凄い美人だ。

 もしかしたら神様の愛人ではないだろうか。

 俺は勝手な想像をした。

 そんな彼女に導かれ、空からゆっくりと地上に舞い降りた。


 そこは見覚えのある場所だった。

 俺の実家近くにある小さな公園だ。

 子供の頃は、よくここで遊んだものだ。

 渡辺さんはセクシーに前髪を耳にかけると、小脇に抱えていたタブレット端末を確認した。


「今の地上時間は、亡くなった日の翌日、午後三時ですね」

「ええっ、もうそんなに経ってるんですか?」

「そのようです。それで、もうすぐこの公園に、あなたの会いたがっている北川直樹さんが来る予定になっていますね」

「そうなんですか。分かりました」

 なぜ北川がこの公園に来るんだろう、とは思ったが訊かなかった。


「では一時間後に」

 機械のように素っ気なく喋る渡辺さんに「どうも」と頭を下げる。

 彼女は空へと浮き上がり姿を消した。

 さあ、タイムリミットは一時間。

 早く北川を見つけて、あいつを犯人に仕立て上げるのだ。


 ——俺を殺した犯人に。


 自己紹介が遅れたが、俺の名前は山崎遼馬。

 この春、高校を卒業して駅前の海鮮料理屋で働き始めた。

 それに伴い、職場近くのアパートで一人暮らしも始める。


 ちなみに俺の喉に刺さった包丁は、調理の現場で使っている切れ味の鋭いものだ。

 それが垂直に落下してくるのだから、死んでしまうのも無理はないのかもしれない。

 かと言って、このまま事故死として処理されたくない。

 あまりにも情けないからだ。

 全国ニュースで広まったら最悪だ。

 生き恥だ。

 いや、もう生きてはいないけど、とにかく恥ずかしい。


 そこで俺は考えた。

 悪友である北川を、犯人に仕立て上げてやろうと。

 なぜなら奴は史上最低の男なのだ。

 今、思い出しても腹が立ってくる。


 北川とは高校で出会った。

 群れるのが苦手な俺は、同じく一匹狼だった北川と意気投合。

 それからは、いつも二人で、つるむようになった。

 その時は、初めて心から友と呼べる存在に出会えた気がして嬉しかった。

 だが友は友でも、北川は〈親友〉ではなく〈悪友〉だった。


 ゲームを貸すと勝手に売って金にするし、近所のおばさんに挨拶しただけで俺が熟女好きだとクラス中に言いふらすし、俺のメガネをマジックで黒く塗りつぶしサングラスにしたのも奴だ。

 俺が机で寝ていると、口の中に大量のワサビを入れられた事もある。


 また俺の筆箱に、カメムシの死骸をギッシリ入れていた事もあった。

 特に陰険だったのは、昼に俺が弁当を食べている時だ。

 必ず側に寄ってきては、毎回トイレで用を足した話をするのだ。

 それも克明かつ鮮明に、身振り手振りを交えながら細部にわたるまで順を追って、じっくり丁寧に念を入れて繰り返し説明してくる。

 その度に俺は食欲を失くしてしまうのだ。


 ある日、我慢の限界を超えた俺は、北川の胸ぐらを掴んでブン殴ろうとした。

 だが「ゴメンゴメン。いたずら心だよ。お前に、かまって欲しくてさ」と屈託のない笑顔を見せてくる。

 お人好しの俺は、そんな顔をされるとつい許してしまうのだ。


 やがて月日は流れ、俺達は高校を卒業する。

 俺は定職に就いたが、北川はギャンブルで生計を立てようとしていた。

 あいつらしい、ふざけた生き方だ。

 そう言えば三日前も、この公園で奴と金の話で喧嘩になったばかりだ。


 そんな事を思い出していると、遠くから北川が歩いてきた。

 俺は北川の側に駆け寄り、顔の前で掌を振ってみた。

 なんの反応もない事から、やはり俺は霊体であり姿は見えないものと確信する。

 だが物に触れたり、喋る事は出来るはず。


 ——俺が考えたシナリオはこうだ。


 北川をボコボコに殴って蹴って気絶させ、俺のアパートへと運ぶ。

 そこで俺の死体に刺さっている包丁を握らせる。

 さらに北川のスマートフォンを使って警察に連絡を入れる。

 友人を殺してしまった、一日考えて自首を決めたと。

 ほどなくして駆けつけた警察官に、その場で逮捕という流れだ。

 ざまあみろ。積年の恨みを晴らしてやる。





 北川は公園のベンチへと座った。

 妙に神妙な面持ちだった。

 だが今は、そんな事を気にしている場合ではない。

 俺は足音を立てないように、慎重に背後へと近づいた。もともと幽体なので足音はしないのだが。

 北川の真後ろに佇むと、深呼吸を一つ。

 今からボコボコにして気絶させてやる。

 握り拳を振り上げた、その時だった。


「こんにちは。北川君だね?」

 男の声がした。俺と北川が振り返る。

 そこにはスーツを着た五十歳くらいの男性がいた。

 色白で青髭が濃く、少し太っている。

 優しそうな笑顔を浮かべた彼は、北川の隣へと座った。

 当然だが彼にも俺の姿は見えていない。

「私は捜査一課の水落というものだけど、急に呼び出したりして、すまないね」と言う。


 捜査一課と言えば……刑事。

 もう俺の死体が見つかり捜査が始まったのか?

 その瞬間、ある事を思い出した。

 そうだ! 昨日の昼過ぎに、ガス会社の人が俺の部屋に点検に来る予定だった。

 きっとそこで、俺の死体を見つけたに違いない。

 人が来るからと、ドアに鍵もしていなかったように思う。


「……あの、山崎が死んだって本当ですか?」

 北川は拳を握りしめ、強張った顔で刑事に訊く。

 刑事は両膝の上で手を組むと、落胆の息を漏らした。

「ふむ……残念な事に、本当なんだ。友人を亡くしてショックを受けている時に申し訳ないんだけど、いくつか訊きたい事があるのだよ」

「はい……」

 北川が返事をすると、刑事は胸ポケットから手帳を取り出した。

 北川の言葉を書きとめておくのだろう。


「まずは、最近の山崎君の様子はどうだったかね?」

「別に……いつもと変わらない様子でしたけど」

「……そうか」

 その後も刑事は、俺の性格や交友関係について色々と訊いている。


 やがて刑事が手帳をパタンと閉じた。

「……ところで」と前置きをした後、「三日前の夜、君達は口論したようだね」と刑事が問う。

「えっ?」

 なんでそれを知っているんだ? と言いたげな北川。

 俺も同じだ。


 刑事は注意深く、北川の顔色を伺いながら話を続けた。

 先程の優しそうな雰囲気が影を潜める。

「その時、君は『殺すぞ、この野郎』と言ったようだね。君達の同級生だった笠君が、たまたま目撃しているんだよ。今いる、この公園で言い争ったんだろ?」

 ギクリとした北川は、目を剥いて顔を左右に振った。


「いやいや、あれは冗談ですよ! 売り言葉に買い言葉ってやつです! 金を貸してくれって言ったら、あいつが『今すぐ死ね』とか言うから、つい頭にきて……」

 北川が必死で言い訳をしている中、ふと俺は思い出す事があった。

 確かにあの夜、遠くに人影が見えた。

 あれは同級生だった笠か。なるほど。


「そもそも山崎が悪いんですよ! アイツに二十万も貸したのに、知らねえとか言うんですよ!」

 ん? こいつは何を言っているんだ?

 こいつに金を貸した事は何度もあるが、借りた事など一度もない。


 ——そうだった……いつもそうだった。

 北川は口達者で、言葉巧みに全ての罪を俺になすりつけてくるのが得意だ。

 あれは高二の時だった。

 イタズラ好きの北川が校長室の窓ガラスを割ったのだ。

 目撃者の証言により北川が校長室に呼ばれる。

 だが北川の口八丁により、なぜか俺も共犯者にされてしまったのだ。

 しかも最終的には俺が「校長室の窓ガラスを割るぞぉ!」と、まくし立てた首謀者になり停学を食らってしまった。


 高三の時にも同じような事があった。

 北川が教室の窓から、真下を歩く校長の頭に唾を垂らしたのだ。

 それも俺が犯人にされた。

 もちろん、しっかりと停学も食らった。

 本当、こいつは嘘つきの最低野郎なんだ。

 鼻をかんだティッシュ以下の男だ。


 ああ、思い出すと腹が立ってしょうがない。

 俺が怒りで震えていると、刑事が口元を緩めた。

「……いや、心配しなくていいよ。君を疑っているわけじゃないんだよ。だって山崎君の死亡推定時刻である、昨日の午後一時から二時の間、君はネットカフェにいたからね。お店のカメラもチェックしたよ」


 俺と北川は唖然とした。

 日本の警察は優秀だ。

 もうこんなにも捜査が進んでいるのか。


「実はね、山崎君は不幸な事故で亡くなった可能性が極めて高いのだよ。遺体の足元にピザトーストが落ちていて、足に火傷の痕もあるんだ。つまり、電子レンジで温めすぎたピザトーストが足に落ちて、熱さで転ぶとテーブルの上に置いてあった包丁が落ちてきて刺さった。おそらく、こういう流れだと思うよ」

 うわっ、ばれてるよ。

 俺は思わず頭を抱えた。


 北川は、しばらく呆然としていたが、やがて口を開いた。

「……え、いや、そんなアホな事故死って、あります?」

「まあ、そう決まった訳では無いんだけど、その可能性が高いという事なんだ。だからと言って、殺人の可能性が全くないわけじゃない。アパートの防犯カメラに映らないよう、誰かが侵入したのかもしれない。ドアに鍵もしてなかったようだしね。もしかしたら、第一発見者であるガス会社の社員が殺したのかもしれない。だからこうして今、君に山崎君の近況を訊いているのだよ」

 

 もう駄目だ。

 北川のアリバイは証明されていて、なおかつ事故死という事も、ほぼ確定している。

 ちくしょう、北川を犯人に仕立て上げたかったのに、もう無理か。


 ……いや待て。

 まだ時間はある。

 ダメ元でやってやる。

 こいつを絶対に犯人にしてみせる!





 俺は改めて自分自身に気合いを入れた。

 そっと背後から北川の首に両腕を巻きつけると、持ち上げるようにクッと締め付けた。

 格闘技の試合で使われる、スリーパーホールドというやつだ。

 以前、北川とプロレスごっこをした時、この技で気絶させた事がある。


 北川は俺の腕を掴んで、ぐえぇぇと悲痛な声を漏らした。

 そんな北川を見て刑事が心配する。

「どうした? 大丈夫かね? とんでもない顔をしてるけど……」


 やがて北川はぐったりした。

 いわゆる〈落ちた〉というやつだ。

 俺は両手で、気絶した北川の目を開かせ、口も動かした。

 北川が喋っているように見せるためだ。

『大丈夫です。何でもないです』

「急に声が変わったね。凄いハスキーなんだけど」


 しまった。

 北川に似せようと低い声を出したつもりが、しゃがれた声になってしまった。

『いや、蜂が飛んできて口の中に入ったんです。飲み込んでしまって喉を痛めたんです』

 焦った俺は、メチャクチャな言い訳をした。


「蜂が? それでさっき苦しそうな顔してたのか。大丈夫かね?」

『大丈夫です。それより僕が犯人です』

「は?」

『山崎を殺した犯人です』

「……どうしたんだ、急に」

『金を貸してくれない山崎に腹が立って、こっそり部屋に忍び込んで包丁で刺したんです』

「君、自分が何を言ってるのか分かってるのかね?」

『分かってます。すこぶる冷静沈着、清々しいほど意識がハッキリしてます』


「……お金を貸してくれないから殺したの? そんなにお金に困ってたの?」

『俺、死ぬほどギャンブル好きなのに、死ぬほどギャンブル弱いんです。色んな人から金を借りまくっている救いようのない男なんです。ケツを拭いた便所紙以下の人間なんです』


「いやいや、自分を卑下しすぎじゃないか?」

『いえ本当に、地球上で最低の生き物なんです。ゴミクズ野郎です。それに比べて山崎は本当に素晴らしい友人でした。お金は貸してくれませんでしたが、カッコよくて大らかで聡明な方でした。そんな方を殺してしまい罪悪感に苦しんでいるんです』


 刑事が首を捻る。

 釈然としない様子だ。

「……でも君は山崎君が亡くなった時間、ネットカフェにいたじゃないか」

『あれは、アリバイ作りのための影武者です。知り合いに、俺のふりをしてもらったんです。ネットカフェの会員カードも事前に渡してあるんです』


「えっと……じゃあ君が犯人なんだね? 罪を認めるんだね?」

『もちろん! 今すぐ逮捕して下さい、早く!』

「ちょっと落ち着いて」

『時間がないんです! 早く俺をブタ箱にぶち込んで下さい! 無期懲役にして下さい!』

「本当に、どうしたの君? でもまあ、そこまで言うなら署に来てもらおうかな」

『はい! すぐ行きましょう、張り切って行きましょう!』


 刑事が立ち上がった。

 俺は急いで意識のない北川の身体を持ち上げようとした。

 刑事の後ろを歩くようにして、警察署まで運ばなくてはいけないからだ。

 こいつは小柄だが、それでも五十キロはあるだろう。

 うまく歩いているように運べるか、少し不安になった。


 その時、ふとベンチの隅にある、マジックで書かれた落書きに目が行った。

 俺がそれを見ていると、刑事が相変わらず腑に落ちない顔で訊いてきた。

「北川君、これが最後の確認だよ? 本当に君が山崎君を殺したんだね? 絶対に間違いないんだね?」

 俺は慌てて北川の声を真似た。

『まち……』

 あれ? 声が出ない。


 ……間違いありません。

 そう言いたいのに、俺の口からは息が漏れるだけだった。

『ま……ち……』

 あと少しで北川を犯人として連れて行けるのに、なぜだ? なぜ声が出ないんだ?

 あれ? 涙が出てきたぞ。

 なぜ俺は泣いているんだ?


 ……いや、本当は分かっている。

 さっきベンチの落書きを見たからだ。

 それは〈最高の友、YR&KN〉という恥ずかしい文字だ。

 YRは山崎遼馬、俺の事。KNは北川尚輝。

 俺達が仲良くなった三年前に二人で書いたものだ。


 確かに北川は最低、最悪の男だ。

 だが思い返してみれば、北川と過ごした三年間は楽しかった事も沢山あったではないか。

 ふざけて自転車に二人乗りして、勢いあまって交番に突っ込んだ事もあった。

 その時は警察官に怒られて大変だったが、まるでコントみたいだと、後になって二人で腹を抱えて笑った。


 北川がコンビニで熟女のエロ本を盗んだ事もあった。

 逃げながら俺に渡すもんだから、二人揃って店員に追いかけられる羽目になった。

 町内を駆け回りながら、俺達は一体何をやっているんだと、大笑いした。

 あんなに笑ったのは生まれて初めてだった。


 あいつといると、毎日がスリルに満ちていた。

 次は何をやらかすんだ? と、いつも期待していた。

 本当に馬鹿でどうしようもない奴だったが、最高に愉快な友だった。


 そうなんだ。

 俺は今、やっと気付いた。

 本当は北川を犯人にしたかったんじゃない。

 恨みを晴らしたかったわけじゃない。


 本当は……本当は……最後に北川に会いたかったんだ。

ただ、それだけだったんだ。


 止めどなく涙と鼻水が溢れた。

 唇が小刻みに震える。

 霊体なのに胸が締め付けられるように痛い。

 痛くて痛くて堪らない。

 北川との沢山の思い出が次々に蘇るからだ。


 しばらく感傷に浸っていると、刑事が怪訝な顔で問いかけてきた。

「どうしたんだ? 君が山崎君を殺したという事で間違いないんだね?」

 俺は涙を拭くと、息を整えて答えた。

『……すいません。ちょっと頭が混乱してしまって……。本当はやってないです。山崎を殺してません』


 刑事は安心したように表情を緩めた。

「まあ、そうだろうね。分かってたよ。君達は凄く仲が良かったみたいだからね。そんな大親友が急に亡くなったりしたら、ショックで気が動転するのも仕方がないさ」

『はい……あまりにも情けない事故死だったし。山崎が可哀想に思えて……すみません、お騒がせしました』

「いや、こちらも悪かったよ。まだ心の整理がついていない時に色々と訊いてしまって。今日はもういいよ。また何かあったら連絡するよ」

『はい……』

「では、失礼するよ。今日はありがとう」


 そう言うと刑事は行ってしまった。

 俺は気絶した北川の身体をベンチに寝かせて、側に座り込んだ。

 ふう……と深い息が出る。

 すっかり力が抜けてしまった。


「山崎さん。お時間です」

 いつの間にか背後に渡辺さんがいた。

 そうか、もう一時間が経ったのか。

 俺は何も言わず立ち上がり、渡辺さんの顔を見て頷いた。

 ほどなくして白い光が降り注ぐ。

 それに包まれると、俺達の身体が浮き上がった。

 あの世へと戻るのだろう。


 ふと北川が「うぅ……」と唸りながら目覚めた。

「……あれ? 刑事は? どこ行った?」

 何も知らない北川は、周りを見回している。

 俺はクスッと笑った。


 やがて北川はベンチの落書きに気付いたようだ。

 しばらく凝視した後、震えた声を出した。

「山崎……なんで死ぬんだよ。ピザトーストなんか食うなよ……バカ、マヌケ、でべそ、ワキガ!」

 北川は俺達が書いた落書きの文字を、何度も何度も殴りつけた。


 その時、俺は、はっとした。

 北川が泣いているではないか。

「山崎ぃぃぃぃ……もっと優しくしてやれば良かった……もっと大切にしてやれば……良かった……あぁぁぁ……ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」


 北川、それが本音か。

 ありがとう。

 

 その言葉を聴けただけで、もう充分だ。

 充分だよ、北川。


 再び胸が熱くなり涙が溢れた。俺は思わず上空から叫んだ。

「北川っ! 元気でなっ!」

「えっ? 山崎?」

 俺の声が聴こえたのだろう。

 北川はキョロキョロと辺りを見回した。

 そんな北川を見下ろしながら、さらに俺は天高く昇っていく。

 もう北川の姿は米粒くらいに小さくなった。

「じゃあな……悪友」と、俺は涙を拭いて呟いた。





 ——なにやら様子がおかしい。


 神様のもとへ戻ると、スーツを着た男性が立っている。

 彼は俺の姿を見るやいなや、駆け寄り「申し訳ございません!」と頭を下げてきた。

「山崎遼馬さん、この度は誠に申し訳ございませんでした。今回、山崎さんが亡くなった原因は、私のミスでした!」

「ミス?」

「はい。実は山崎さんと同姓同名、年齢も同じ方が病気で亡くなったんです。パソコンで、その確認作業をしている時、誤ってあなたも死亡として処理してしまったのです」


 俺は呆然として立ち尽くした。

 誤って死亡として処理? 嘘だろ。

 そもそも人の命をパソコンで管理してるのか?

「それで……」と男性は話を続けた。

「一度処理してしまうと、あなたに死んで頂かなくてはいけないのです。しかし、あなたは若くて健康体。場所もアパート。死ぬとしたら部屋の中での事故死しかないのです。それで、運命の糸が勝手に動き出し、ああなったのです」

 では、あの事故死は偶然ではなく、作られたものだったのか。

 考えてみれば、あんな間抜けな死に方は変だ。


「じゃあ俺は、どうなるんですか? このまま死んだという事で終わりですか?」

 男性が眉を吊り上げて両手を激しく振った。

「いえいえ、とんでもないです! 先ほど修正が完了しましたので、山崎さんには生き返って頂きます」


 ……生き返る。

 その言葉を聞いた瞬間、北川の顔が真っ先に浮かんだ。

 あいつに、また会えるのだ。

 俺は嬉しさを噛み締めるように拳を強く握りしめた。


 ふと神様がコホンと咳をする。

 俺は神様の方に顔を向けた。

「今回はすまんな。稀にこういう事があるのだよ」

 バツが悪そうに神様が言う。

「はあ、そうなんですか」としか答えようがない。

「実を言うとな、こちらのミスで君が死んでしまった事、最初から知っていたのだよ。報告を受けていたからな」

「えっ、そうだったんですか!」

「うむ。それで今回、地上に降りたいという君の我儘を聞いてあげたのだよ。やはり申し訳なかったからな」


 そう言うと神様は、壁に掛けられた時計をチラリと一瞥した。

「では、遺体が火葬される前に早く戻りなさい。渡辺、またよろしくな」

「かしこまりました」

 渡辺さんが、また案内してくれるようだ。


 俺は渡辺さんの方へと歩き出そうとして、ふと足を止めた。

 気になった事を神様に尋ねてみる。

「あの……生き返った時、俺の記憶って消えてるんですか?」

「いや、消えていないし、わざわざ消す必要もないだろう。君がここで見聞きした事を話したとして、誰が信じる?」

「まあ……確かに」

「ふむ、ではまたな」

 またな? ああ、いつか俺が本当に死んだ時に再び会うからか。

 俺は神様とスーツの男性に頭を下げると、

 渡辺さんの背中について行く。


 まずは地上へと降りるらしい。

 白い光に覆われると、再び俺達は地上へと向かった。

 その間、俺は渡辺さんと沈黙でいるのが気まずくて話しかけてみた。

「渡辺さんも知っていたんですか? 俺が処理ミスのせいで死んだ事を」

「いえ、私も山崎さんと同じタイミングで知りました」

 相変わらず無表情で応える渡辺さん。

 だが、少しして彼女が初めて笑みを浮かべた。


「……お身体を大切に。長生きして下さいね」

 その笑顔に俺はドキッとした。

 また会いたくなった。

 だが、渡辺さんに会うという事は、また死んでしまったという事だ。

 それはもう嫌だ。

 一瞬で芽生えた恋心は、一瞬で枯れ果てる。


 やがて俺達の真下に一軒の家が見えてきた。

 見覚えのある家だった。

「あれ? この屋根は……俺の実家?」

「はい。山崎さんの遺体は現在、ご実家に安置されています」

「そうなんですね」

 俺達は家の屋根をすり抜け、線香の匂いが重々しく漂う和室へと降り立った。

 遺体となって眠る俺の傍で、父と母、そして小学生の弟が涙ぐんでいる。


 ここでも霊体である俺の姿は家族に見えていないようだ。

 俺は白装束に身を包んだ自分の遺体へと近づいた。

 怖くはなかった。

 ただ不思議な感じがするだけだった。


「身体を重ね合わせれば蘇るはずです」と渡辺さんが言った。

 俺は頷いた後、最後に渡辺さんに礼を告げた。

「色々とありがとうございました」

「いえ。こちらこそ、この度は申し訳ありませんでした。それでは」

「はい……」と言って俺は遺体に身体を重ねた。

 吸い込まれていくような感覚だった。



 ——木目の天井が見える。

 すすり泣く声も聴こえる。

 腐敗防止のドライアイスが冷たい。


 しばらくの間、俺の頭はボーっとしたが、意識がハッキリするとガバッと跳ね起きた。

 その瞬間、「うぎゃあぁぁ!」と側にいた家族が悲鳴を上げて逃げ出した。

 バタバタと襖に隠れる三人。

 まあ無理もないか。


 少しして弟が、ひょっこり顔を出し微笑んだ。

「お兄ちゃんが生き返ったよ!」

 弟の声に導かれ、親達も恐る恐る顔を覗かせた。

 俺は立ち上がり白装束のまま玄関へと向かう。

 そして外に出る前に、家族に一言。


「俺、生きてるからね! 大丈夫だから! それより、ちょっと出掛けてくるよ!」

 俺は家族の困惑をよそに、外へと飛び出した。

 すぐ近くに、あの公園があるからだ。


 公園に着くとベンチに座っている男を発見。

 もちろん北川だ。

 俺は嬉しくて嬉しくて、全速力で駆け寄った。

 その勢いのままドカッと飛びつく。

 激しく地面に転がる俺と北川。


「いってえ……なんだよ!」

 北川は砂で汚れた頭を抱えながら、ゆっくりと半身を起こした。

 次の瞬間、北川はギョッとした顔で俺を見た。


「えっ? うそっ……山崎?」

「ようっ! 悪友!」

 柄にもないが、俺は北川を強く強く抱きしめた。


「本当、お前はどうしようもない悪友だよ、この野郎! これからもヨロシクなっ!」





おわり

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