第36話 少女と地獄

 テリオンの赤い星の大気圏を降下し、巨人と化したトランペッターは大地に立つ。


 テリオンの赤い星はまさに地獄の様相を呈していた。

 人類の兵器ドグマゼロの直撃を受け、壊滅的なダメージを被っている。もはや生き残っているテリオンはごくわずかだろう。

 衛星の衝突と爆発。それにより有害物質も数多く飛び散った。たとえ星の裏側にいても、その影響は受ける。

 ただでさえ過酷な世界が、もはや知的生命体が生きていけないほどに荒廃していた。血の滝。血の海。酸の雨。大きくえぐれた大地にどうどうと赤い水が押し寄せる。高温の水らしく、空気中に蒸気が漂っていた。

 生命が生まれる以前の地球もこうだったかもしれない。毒が漂い、マグマが迸る。それこそ生き物が生育する環境ではなかっただろう。しかし、そこで生命が生まれ、人類に進化したのも事実だ。

「ユキ……ここで生まれたんだよね……」

 紫苑はモニターに映る光景を見ながら、どこか達観したように言う。


「テリオンの星って、どうだったの? ここで育ったんでしょ? あたし、地球も地獄だと思ってたけど、ここは生き物が生きられる場所じゃない……」

「そうよ。私はここで、14年も過ごした……」

「王宮……お姫様だったの?」

「あなたが思うほどいいところではなかったわ。毎日がんじがらめの生活。教養を叩きこまれる日々。酸の雨が降る窓の外より地獄だったわ」

「……聞かせて。ユキが経験してきたこと」

「……」

 それから滔々と倖亜は綴った。


   ・


 倖亜が生まれた時、王族たちは喜んだ。

 蝶の翅を持つ救世主には、肩甲骨に特有の痣がある。倖亜が生まれた時、それが確認されたのだ。

 地球を取り戻す日が来たのだと誰もが思った。とりわけ若かった王は、自分がテリオンの救世主になれると喜んだ。が、妃が倖亜を産み落としてすぐ事切れたのを間近で見て、その喜びは一瞬で絶望に変わった。

 王は何のために生まれたのか。何のために自分がモルフォ蝶の親になったのか。自分の運命を呪った。

 しかしそこに、神からのお告げがあった。

 異次元から来た、としか言いようがない。『それ』は気づいた時、王の前に立っていた。


「あなたは、自分の立場に戸惑っているね?」

 王は頷いた。ハスキーな声をした、金髪にドレスの少女は余裕ある表情で王に続けて言う。

「結論から言うと、あなたの存在に価値はない。あなたの遺伝子で生まれた、あの子の存在にこそ価値があるんだ。しかしあの子の誕生は、何千年も前に決められていたことで、必然性が彼女を生んだに過ぎない」

「……どういうことだ」

 少女のただならぬ雰囲気を感じ取った王は、話を聞く体勢に入った。


「あの子はいずれ、この星から脱走する。僕の千里眼がそう捉えている。しかし、それを阻むことはできない。それこそが神の定めた運命だからだよ。そうして彼女は、仇敵と再会するんだ。そのように仕組まれている」

 何を言われているのか、王はわからなかった。


「……あなたの、名前は?」

「……フネス。記憶の人、フネス」

「あなたは神なのか?」

「厳密には違う。しかしそう考えてもいい」

「私は何をすれば……」

「その子を強く育てるんだ。何にも負けないような、芯の強い子にね」

 そう言ってフネスは消え失せた。


 そのフネスの顔を、新生児だった倖亜は覚えている。後に青のタワーで再会した時、猛烈な敵愾心が湧いたのは、この時のフネスのお告げが倖亜の人生を決定したからに他ならない。


 そして王は娘に期待をかけ、ありとあらゆる英才教育を叩きこんだのだった。

 娘に期待するあまりの暴挙であることを、誰も言い出すことができなかった。王に異論を唱えることは、首を刎ねられると同義であったし、倖亜が強くなればテリオンは楽園の星を勝ち取れるのだから。


 朝昼晩。執事や使用人に見張らせ、倖亜を最強のテリオンにしようとした。星で一番の手練れを剣の講師に雇い、庶民が口にできない、栄養価のある高級な料理を食べさせた。倖亜は美しく、そして強く育っていった。

 外見が完璧に近づけば近づくほど、彼女の心が脆く、危ういものになっていくことは、本人の倖亜ですらも気づかなかった。


   ・


 何のために鍛えられているのかわからない、と倖亜が言った時、父に叱られた。図書館に連れてこられ、そこで倖亜は古文書を見せられる。そこに揚羽蝶の翅の者とモルフォ蝶の翅の者が戦っている絵が載っていた。

「倖亜、これを見るのだ」

 テリオンの古文書。そこに書かれている文字を倖亜は解読できた。

「揚羽蝶の者。こいつを殺すのがお前の使命だ。お前の生まれてきた意味なのだ」

 殺す。その言葉を聞くといつも倖亜は悲しくなる。

 命を奪う行為の何が尊いというのか。


「……できません」

「なにっ」

「会ったことも、憎んでもいない人を殺したいと思えません!」

「たわけが!」

 倖亜の頬を王は叩いた。倖亜は受け身も取れず床に倒れ込む。

「お前はそのためだけに生まれてきたのだぞ! 自分がこの世に生を受けた意味も知らずに、その使命を否定するのか! テリオンに貢献できないお前など……何の価値もない、ただの女だ! 私はお前がテリオンの歴史を変えると思って、ここまでやってきたのだ! その期待に応えないとでも言うつもりか!」

 倖亜は声を押し殺し、顔を歪めて、目じりに涙をためた。

 この父親には、どんな言葉も届かない。倖亜が他人との断絶を一番感じた瞬間だった。


 そしてある日、倖亜の身体に変化が訪れた。

 幼虫から蛹へ。蛹から蝶へ。

 それまでの幼かった身体を捨て、モルフォ蝶の翅が背中から現れたのだった。

 眠っているときに、それは突然起こった。

 倖亜は身体が熱くなり、自分でも何が起こったのかわからなかった。

 ただ、ぞわぞわと背中が気持ち悪くなり、下腹部が猛烈に痛くなり、何かとても怖かった。自分が自分でなくなる恐怖が倖亜を蝕んでいった。

 幼い身体がばきばきと、キチン質の鱗に覆われていく。まるで生きながら棺に入れられるかのようだ。そして倖亜はどろどろに身体を溶かし、蛹の中で再構成されていく。


 身体が再び出来上がると、蛹から出る時間が来た。しかし倖亜は、外の世界に出るのが怖かった。このまま真っ暗な蛹の中で死んでしまいたい、とも思った。彼女の外の世界への恐怖心。大人たちが嫌なものを押し付けてくる、厳しい世界。そんなところに自分から出ていきたくはない。

 自分から殻を壊さなくても、ひとりでに蛹は剥がれて、ぼろぼろとベッドの上に転がる。そしてあられもない倖亜の身体が現れた。


 気づくと倖亜は全身血まみれで、それに気づいた時恐怖心が最大になって、王宮に響き渡るほど大声で泣いてしまった。使用人たちが血相を変えて起き、倖亜が覚醒したのを知ると、皆喜んだ風だった。

「おめでとうございます」

「おめでとうございます」

 何がめでたいのか倖亜には理解不能だった。

 自分はこんなに怖い思いをしたのに、大人たちは喜んでいる。

 それが不気味でならなかった。誰もが自分の味方のようで、ここには誰も味方はいないのだ。


 次の日の朝、倖亜は王に呼ばれた。王は厳かな声で言う。

「お前は十分に成長した。我々の教育が実を結んだのだろう。お前は十分、立派になった」

 自分の味方を一度もしてくれなかった、どの口がそう言うのか。倖亜は父に不信感しかなかったが、それを表に出すことはしなかった。

「そして……すまなかったな」

 急にしおらしくなる父親に、倖亜は違和感を覚えた。王は窓辺を見る。彼は酸の雨が降りしきる外の光景ではなく、もっとどこか遠くを見ているようでもあった。

「お前に対してやれることは、こんなことしかなかった。それが神の思し召しだったのだから。私の天命だったのだから」

 王は振り返って言う。

「……元気でな」

 別れの言葉。それに他ならなかった。


 その日、倖亜は脱走を決意した。

 こんな場所は自分の居場所じゃない。新天地を求め、ここじゃないどこかへ行きたかったのだ。

 不思議と警備の目はなかった。いともたやすく倖亜は城の外に出ることができた。

 ビームの刃で扉を破り、宇宙研究所にあるランチに乗り込んで、倖亜は宇宙に出た。

 テリオンの技術なら小型艇でも単独で大気圏を脱出できる。

 三日三晩の宇宙空間の航海の後、地球の大気圏に達した。

 宇宙船の窓から見える地球は既に戦争で荒れ果てており、話に聞いていたほど綺麗ではないと倖亜は思った。

 しかし地球の大気圏に突入したとき、小型艇は耐え切れなくなった。二つの星を行き来する用に造られてはいないのだった。

 めりめりと外壁が割れ、高熱の中で崩壊していく。

 倖亜は焦った。そして死に物狂いでモルフォ蝶の翅を広げた。

 宇宙船が全壊したとき、辛くも大気圏は抜けられた。そして倖亜は長時間にわたり、陸地を探した。鉛色の海がどこまでも広がり、人の気配がない。

 そうしてやがて力尽き、海に落ちる。波にのまれ、倖亜の軽い身体はどこまでも運ばれていった。


 そして漂着した先で、倖亜は運命の相手、杠紫苑と出会ったのだ……。


   ・


「こんなところ、なくなって当然だわ」

「……辛かったね。ユキ」

 紫苑は倖亜を抱きしめていた。

「誰も味方がいなくて……ユキも、あたしと一緒だったんだ。あたしも島の大人たちがみんな死んじゃって、一人だった。外の世界も敵だらけで……心を許せるのは、ユキだけだったよ」

「ありがとう、紫苑」

 そんな時、モニターに動く影を紫苑は見つけた。

 テリオンだ。獣の姿となった彼らは、過酷な大地で生を求め必死で駆けている。赤い津波から逃げているのだ。


「まだ生き残ってる人がいるよ。助けないと……」

「紫苑、テリオンは嫌いじゃなかったの?」

「ユキがテリオンだって知って、人類のやり方を見たら、もうそんなの言ってられなくなったよ。今は生きてる人を助けないと……」

 しかし次の瞬間、トランぺッターがビームを発する。

 ビームが着弾し、テリオンのいた付近一帯が蒸発した。

 生命の姿はなく、クレーターが新しく生まれたのみだった。

「ああっ……」

 紫苑は青ざめる。

 トランぺッターは命を感知しては、そこかしこにビームを放った。

 大地がえぐれ、確実に命の火が消えていくのが分かった。

「やめて! やめて!」

「紫苑。何度も言うけどあれは人間じゃない、テリオンよ。あなたが悲しむことじゃないの」

「だからって……だからって生きてる人たちが、こんなふうに虐殺されていいわけがないよ!」

 その紫苑の言葉の痛烈さに、倖亜は言葉に詰まった。

 この子はどこまで優しく、どこまで傷つきやすいのだろうか。

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