第40話 少女と感情

 紫苑はこれまでの倖亜への気持ちを思い出していた。

 島で出会い、道中でお互いの感情を何度もぶつけ、今もぶつかり合っている。

 シティ・カナンで一度分かり合えた。そんな気がすると思った。だが、人間の心は複雑怪奇で、ドラマのように簡単にいざこざが解けはしない。

 人を好きになるということは、何度も衝突し、削り合うことかもしれない。そう紫苑は思い始めていた。

 だからこそ今、倖亜の気持ちをすべて知りたいと願う。

 この戦いでどちらかが死ぬのだから。


「ユキっ!」

 紫苑は刃の切っ先を倖亜に向け、突進する。

 倖亜はひらりと跳躍してかわし、紫苑は脚で急ブレーキをかけ、体勢を立て直した。


「ユキは、あたしをどうしたいの?」

「決まってるでしょう! 殺したいのよ!」

「本当にそう思ってるの? 本当はずっと一緒にいたいくせに!」

「一緒にいたいわよ!」

 ぎぃんと倖亜が攻勢に出る。

 刃越しに倖亜が紫苑の瞳を覗き込んだ。

「あなたの瞳に最期に映るのは私。その時、二人の瞬間は永遠になるの。それが二人がずっと一緒にいるということなのよ」

「そんなのおかしいよ!」

「おかしくなんかないわ!」

 紫苑が返す刀で倖亜をはねのける。

「ユキ、最後に聞くけど、これがもし嘘だったら、優しさで嘘をつき続けるのはやめて! そんな優しさ、あたしは望んでないよ!」

「嘘じゃないわ!」

「だったらタチ悪いよ!」

 紫苑は踏み込み、びゅっと斬撃を食らわせる。

 倖亜の胸から、ばっと血が飛び散った。

「あっ……」

 やってしまった、と紫苑は思った。

 しかし傷は浅く、心臓に至ってはいないようだ。


「うふふふふふふ……」

 倖亜はべっとりと付いた血をすくい取り、舐める。

 指を這う舌遣いが性的なものを想起させた。彼女の顔は、いつか見た吸血鬼の表情そのものだった。

「これが、紫苑の殺意。私に向けられた愛。紫苑、やっとあなたの本気が見えた」

 倖亜は恍惚の表情でビームの刃をかざす。


「私も、これをあなたの中に入れたい……」

 紫苑は鼻白む。

 倖亜は時々、とても怖くなる。紫苑はその理由を必死に探した。

「あなたの胸に刃を突き刺して、その感触を味わいたい。気持ちよくなりたい。あなたを徹底的に壊してしまいたい。子供がおもちゃを壊したりするでしょう? あれと同じよ。自分の所有物を壊さずにはいられない性分なの」


 紫苑が倖亜に抱いていた違和感の正体が分かった。

 この表情の時の倖亜は、獣の目をしている。

 それは倖亜も、獣の一族であるテリオンの一人である証拠だ。

 抑えきれない獣性。それがテリオンの本性だ。


 倖亜の中には人間らしい感情と、先祖由来のテリオンの獣の感情が同居している。それが、倖亜が善と悪に振れ幅が大きい理由だったのだ。

 倖亜の深淵を紫苑は理解した。

 理解したからといって、倖亜を救う手立ては思いつかなかった。


 紫苑に出来ることはただ一つ。

 倖亜の想いをそのまま受け止め、返すことだった。


「……あたしも」

 紫苑はいよいよもって決意を固める。

「あたしもユキを殺すよ。ユキを殺して、新しい世界で旅を続ける。死んだら、すべて終わりなんだ」

「そう……それがあなたの選択」

 倖亜は満足げな顔をする。


「言っとくけど、あたしはもっと平和な道があったと思ってる。誰も悲しまなくていい道が」

「でも、それを探すには時間がないこともわかってる?」

「わかってる。だから、もしあたしたちが輪廻を繰り返して、もう一度出会うことがあったら……その時は、また仲良くしようね」

 倖亜は眉をひそめる。

 まるで目尻から涙がこぼれまいとするように。


「はああああっ!」

 倖亜が滑空し、再び肉薄して連撃してくる。何度も何度も叩きつけられる刃を、紫苑は受け止めきっていた。

 紫苑の技量もまた、最初に比べると格段に上がっている。戦闘を経験し、どう戦うべきかを感覚で知っていた。

 ぎぃん、ぎぃんと空気が振動し、イオン臭が立ち込める。

 紫苑は攻撃を受けながら、反撃の機会を窺った。

 

 連撃といえど、全く隙ができないことはない。その一瞬に勝機がある。

 倖亜は技量こそ高いが、スタミナの面では難がある。体力の側面では、揚羽蝶とモルフォ蝶に大差はない。

 であれば、攻撃を続けるほうが疲労する。

 紫苑は倖亜に生じる一瞬を待った。


 倖亜の連撃に揺らぎが見えた。

「そこっ!」

 ばしっ、と紫苑は自分の刃を跳ね上げる。

 倖亜の剣が手から離れて宙を舞い、後方に落下する。

 甲板にざくっ、と刃が突き刺さった。

 倖亜は薄く笑う。

「やるようになったじゃない、紫苑」

 紫苑の切っ先は倖亜の喉元を捉えていた。


 紫苑は全身が震えている。

 このまま刃を突き刺せば、全てが終わる。

 しかしそれは同時に、倖亜の死を意味していた。

 倖亜はしばらくじっとしていた。が、紫苑に動きがないのを見ると、さっと身をかがめる。

「だからあなたは甘いのよ!」


 紫苑の懐に滑り込み、カポエラの要領で上に向かって蹴りを放つ。

 アッパーで突き上げられた紫苑は上方に蹴飛ばされた。

 即座に紫苑はくるりと舞い、揚羽蝶の翅で滑空する。

 倖亜が剣のもとへ戻り、剣をかざして上空からの紫苑の一撃を防いだのはわずか数秒の出来事だ。

 

 紫苑は弾き飛ばされ、今度は空中で姿勢制御できず甲板に墜落する。

「形勢リセット、ってところね」

 倖亜は勝ち誇る。

 やっぱり倖亜は強いな、と紫苑は思ってしまった。

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