第34話 少女と死の祈り

 宇宙ステーションから宇宙船が次々に発進し、トランペッターに取り付こうとした。

 ことごとくが感知され、レーザーで薙ぎ払われる。全方位に向けられたレーザーの雨をかいくぐったものはごく少数だった。

 船体に取りつき、宇宙服を着た機動隊が爆薬で壁を吹き飛ばして内部に侵入する。

 異様なねじ曲がった空間に機動隊は鼻白んだが、マシンガンを構え次々に突入していく。

 寄生生物の蟹たちは人の数に驚き、道中から巣のある暗がりへ逃げていった。廊下にざんざんと複数人の足音が絶え間なく響く。

 センサーで常に周囲の状況を分析し、先に進むべき道を探し出す。高性能のセンサーは複雑な回廊の内部を次々に表示していった。隊長らしき人物が先陣を切り、その部下たちは後から隊列を組んでついてきた。


 やがて彼らは、トランぺッターの心臓部にたどり着く。そこには二人の少女がぐったりと壁に寄りかかっていた。

 いくら攻撃を加えても心臓は壊せない。ひたすら巨大な心臓はどくどくと鳴り続けている。

 紫苑と倖亜は万策尽き、半ば諦めた状態で休息を取っていたのだった。

 ざっ、と銃口が二人を取り囲む。

 携帯端末で隊長がどこかに話しかける。

「揚羽蝶、モルフォ蝶を発見。どうしますか」

『揚羽蝶は生きたまま連れてくるんだ。モルフォ蝶は即刻射殺しろ』

「了解」

 隊員の一人が紫苑の細い腕を強引につかむ。

「立て!」

 力なく垂れ下がる紫苑。それを見た時、倖亜の目に男たちへの憎悪が浮かんだ。

「紫苑に乱暴はやめなさい!」

 瞬時にビームの刃を顕現させる倖亜。

 しかし立ち上がりかけた倖亜のこめかみに、銃口が押し付けられた。

 目を見開く倖亜。思わず涙がこぼれる紫苑。

 時間が凍り付き、紫苑は叫ぶほどの余力しかなかった。

「待って! 殺さないで! ユキを殺さないで!」


 しかし無情にも倖亜に近づいた隊員が引き金を引こうとした時。


 じゅっ、とレーザーが機動隊員の頭を貫通した。

 レーザーはどこから発射されたのか。

 紫苑が疑問に思っていると、動力室から伸びた廊下の暗がりから、がしゃん、がしゃんと音を立ててやってくるものがあった。


 徐々に輪郭を得ていくそれは、大型のロボットであった。

 しかしそれは、トランぺッターと同じく人間のものではない、異質な質感を持つものだった。太い胴体に山羊のような頭。二足歩行の細い手足は妖怪か悪魔のようでひどく不気味だ。


「ガビジィ……?」

 二メートルほどの人型機械、その姿に紫苑は以前見たものを重ね合わせていた。

「いえ。私の名はアポカリプス。あなた方を導く者です」

 合成音声ではない、流暢な言葉でロボットは喋り出した。

 だだだっと、機動隊員たちがアポカリプスを取り囲み、斉射する。

 アポカリプスの表面で銃弾が跳ね、火花が散った。

「うるさいですね」

 アポカリプスは腕を伸ばした。肉食動物のように俊敏な腕は隊員の頭を掴み、トマトのように握りつぶす。

 ひっと紫苑は短い悲鳴を上げ、残った四人の隊員たちは半狂乱で銃を乱射した。

「化け物がああああああ!」

 銃撃を受けながら、アポカリプスは冷たい視線を人間たちに向けた。

「儀式にあなた方のような雑魚は不要。手順を邪魔するようであれば、消え失せなさい」

 そこから先は、凄惨な現場だった。

 アポカリプスの頭部から発するレーザーが人間の頭に当たり、細い腕は鋭く胸を裂く。冷酷無慈悲な殺戮機械。紫苑は恐れを抱き、倖亜はじっとその様子を見ていた。


 血の臭いが充満する部屋で、アポカリプスは返り血を浴びた悪魔そのものといった形で立っていた。そして座る、二人の少女に向き直る。 

「これで邪魔者は片付きました。お見苦しいところをお見せしました」

 アポカリプスは会釈する。紫苑はそのフレンドリーな物腰を逆に不気味としか思わない。

「人類も舐めたものではないですね。今後、要注意しなければ」

 アポカリプスは、少女たちの前に跪く。目線の高さを合わせるためだった。


「本来であれば、あなた方だけで決着をつけるべきだった。しかし、状況がそうなる方向に進んでいない。そのために私が起動したのです。二種類の知的生命体を、むざむざ消し去るわけにもいきませんからね」

「あなたは……味方なの?」

「……ある意味、あなた方の最大の敵です」


 アポカリプスは胸に手を当て、自己紹介する。

「私は輪廻の案内人。儀式の司祭。儀式が終わるまで、あなたたちをお守りします。これからあなた方は、崇高な儀の主役となるのです」

 倖亜は憎しみを込めた目でアポカリプスを見ている。紫苑はそのまなざしに、フネスに向けられたものを思い出した。ならば、この機械も神の手先ということか。


「あなた方はトランぺッターを破壊しようと、今まで旅をしてきた。それは全て大いなる宇宙の前には無意味なのです。ただ、あなた方の健闘はとても価値があった。そこには我々の持ちえない感情……愛がありましたから。ですが、その余裕もそろそろ終わりということです」

 紫苑は悟った。

 倖亜と殺し合う時間が、近づいているということを。


   ・


「エネルギー充填完了」

「目標位置誤差修正。射程圏内に捉えました」

 移動式無人砲台、月面兵器ニルヴァーナ。ソーラーパネルを持った、巨大な砲台。その口径はトランぺッターのものより大きい。

 元々、これはドグマゼロが不発に終わった時の保険として作られた兵器だった。月面から赤い星まで射程距離があり、敵の兵器を迎撃するには十分な威力があった。今までこれを隠していたのは、真なる最終兵器としての可能性を考慮した結果だった。

「しかし良いのですか。あの中には揚羽蝶がいるのですよ」

「できれば生かして捕らえたかったが、時間がもはや残されてない。殺し合って勝ったほうが地球を得るなど、科学的に解明されておらん。できれば捕獲しておきたいところだが、目の前にあんな脅威があって放置しろというのは無理がある」

 長官は明らかに苛立っていた。人類のトップ、イサクが死に、人類社会は既に滅茶苦茶だ。それもこれも、あの船を破棄せず放置していた連中が全て悪いのだ。

「トランぺッターなおも直進していきます」

 管制官が告げる。モニター上にトランぺッターを示すアイコンが表示され、恐ろしい勢いで宇宙空間を突き進んでいく。

「こちらには目もくれずということか、癪に障る」

 赤い星を破壊してくれるなら人類にとっても好都合ではある。しかし問題はその先だ。敵がさらなる力をつけ、地球に戻ってこないとも限らない。倒せる戦力があるうちに倒すべきなのだ。

 端末に長官は連絡を入れる。

「スズシロ。できるな」

『はい』

 長官の端末への指示を、カテドラルη中枢でスズシロは聞いている。彼女の全身にコードが巻き付き、脳幹に突き刺さっていた。

 ニルヴァーナの遠隔操作は機械天使スズシロが担当する。サイボーグの演算能力は優れており、本人の意志により急遽補助コンピュータとして登用されたのだ。

『父の、姉妹の仇……』

 スズシロは自分に内蔵されたコンピュータに演算を任せつつ、トランぺッターへの憎悪を募らせていった。

 ちりちりと彼女の中で数式が組み上がっていく。敵を確実に仕留める方程式が完成しつつあった。


   ・


 きりきり、と月面でそれは蠢いていた。

 甲殻類の脚を持った砲台。その大きさは指し渡り五百メートルはある。

 ニルヴァーナ。祈りと名付けられたその兵器は何のために、何に向かって祈るのか。

 それは人類の安寧のため、虚空に向かって捧げる祈りであると考えられる。過酷な運命を仕組んだ神に捧げる祈りなどないのだ。


 砲台が、がこん、と傾いて、じりじりと照準を合わせる。その先には真空を渡るトランぺッターがいた。

 相手はこちらに気づいた様子はない。三キロ離れた地点にいるのだから。


 砲口をトランペッターの速度に合わせ微調整する。その照準は遠隔操作だが、正確無比であった。


  ・


「何か……来る!」

 紫苑は怖気とともにニルヴァーナの存在を感知した。倖亜も同様らしく、ただならぬ気配を感じているようだ。

 モニターには何も映っていない。しかし、この近くに威圧感のある何かがいる。

「ユキ。あたしたち、大丈夫だよね……」

「大丈夫、心配しないで、紫苑……」

 倖亜は紫苑を抱きしめた。紫苑は震えたが、どうにもならない現実を前に打ちのめされつつもあった。

 その様子をじっとアポカリプスは眺めていた。

「……ご心配なく。トランぺッターはこの程度では沈みません」

 その言葉は少女たちの気休めにすらならなかった。


  ・


 ぎゅおんと空間が歪む。

 時空を揺るがすほどのエネルギー。それが月の砲台から放たれた。

 ぐわん、と真空の宇宙にも音が鳴るような衝撃波が月面を包み、表面のクレーターを削った。

 激しい嵐のような波動の後、しん……とあたりは静まり返る。

 それはまるで、静寂の祈りに包まれているようだった。


   ・


「うう……うあっ!」

 摂氏二百度。衝撃とともに、その高温が紫苑と倖亜を襲う。

 アポカリプスは手を二人の頭上にかざした。冷却装置。それが肉体の溶けそうな温度を和らげた。

「この程度でもあなた方は死なない。あなた方を殺せるのは、お互いだけ。しかしここで倒れられては困るのですよ」

 熱に浮かされた顔で紫苑と倖亜は、ひたすら耐えている。


 砲撃を受けたトランぺッターは激しく振動した。

『ウオオオオオオオオオオオン』

 トランペッターが唸りを上げている。

 傷つけられた痛みを感じている。そして、激しく怒っているのだ。

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