血の章

第38話 少女と選択

 終末戦艦の上で、二人の少女は相対していた。

 巨人となった戦艦は紫苑たちの気持ちを察したのか、再び戦艦の形に変形する。その広い甲板が、二人の決戦の舞台だった。

 倖亜はきっと紫苑を睨みつける。

 紫苑は物怖じした顔で倖亜を見ている。

 ごうごうと風が吹き荒れていた。


 紫苑は風の寒さにコートを引き寄せる。この寒さはきっと、気温のせいだけではないだろう。目の前の倖亜は気迫を漂わせている。覚悟を決めた女の顔をしていた。


 トランぺッターはテリオンの星に戻って来ていた。眼下には血の海があり、上空には鉛色の星、地球がある。この超常的な環境で、紫苑はどんな気持ちになればいいのかわからないでいた。

 ただ少なくとも、倖亜と殺し合うことは紫苑の中で最悪の選択肢であった。


「ユキ。やめようよ。あたしたちが殺し合っても、何にもならないよ」

「そうね。でもセカイが滅べば、私たちも殺されるのよ。トランぺッターが自爆してね」

「だって、ユキもそれでいいって……」

「あなたの心はそれでいいの?」

 うっと紫苑は言葉に詰まった。

 倖亜と殺し合う運命を避けたかった。しかし、敵の心臓を目の前にしても、何もできなかった。死んでいく人々を前になすすべがない自分が恥ずかしかった。

 そんな自分の気持ちを読んでいたのだろう。倖亜は今、自分のために死のうとしているのかもしれない。


「心を決めなさい。私と殺し合うか、セカイが滅びるのを黙って見てるのか!」

 鬼気迫る倖亜に紫苑はたじろいだ。

「そんなの、決められるわけないよ! ユキだって、あたしと殺し合いたくないって本当は思ってるんでしょ?」

「そんなことはないわ」

「ユキ、あなたが死ぬことなんてない! あたしのために、あなたが死ななくていいんだよ!」


 しゅっ、と紫苑の頬をビームの刃がかすめる。


 紫苑の頬からつぅと血が流れた。

 瞠目する紫苑を、倖亜は冷たい目で睨んでいた。

「あなたは……どこまで甘いの!」

 ぶぉんとビームの刃をきらめかせ、倖亜は飛び退る。

「私があなたのために死ぬ? 冗談も大概にしなさい。私は死ぬ気なんて毛頭ないわよ」

 倖亜の声はどすが効いていて、とても冗談とは思えない。

 恐る恐る紫苑は頬の傷に触れた。

 倖亜が刃を向けてきた。その事実が紫苑を動揺させる。

「私は本当に、あなたを殺したいの! こんなに一緒にいて、どうしてそれが伝わらないの? 紫苑は、私のことを知ってるようで何も知らない! 嘘をついてるのはどっちよ! 生半可な気持ちで私をわかってるなんて言わないで!」


 思えば以前にもこんなことがあった。

 初めて倖亜とキスをした日。舌先を噛まれた。確かにあの時、倖亜の殺意を感じたのだった。

 あれは本物の倖亜の気持ちだったのか。何かの間違いで噛んでしまったのではないのか。

 そう考えると倖亜の言葉にも真実味が出てくる。本当に紫苑を殺したい。好きと殺したいという気持ちは相反するものだと今まで紫苑は思っていた。

 しかし倖亜は、そうではなかったのだ。好きと殺意が同居していたのだ。

 真実を知った紫苑は、愕然とした思いに囚われた。


 アポカリプスは二人の様子を見て、満足げに頷いた。

「では、心ゆくまで決闘をお楽しみください」

 そして踵を返し、かつかつとトランぺッターの内部に戻っていく。

 少女たちがアポカリプスを見たのは、それが最後だった。

 今や相手のことで頭がいっぱいになり、少女たちは彼のことを認識すらしていない。


「う……」

 紫苑は胸が詰まり、吐きそうになる。

「うぅぅ……」

 紫苑はその場に崩れ落ちる。ぼろぼろと大粒の涙が彼女の目から溢れた。

「何してるの」

 倖亜が一切の温情を感じない、冷たい言葉を投げかけた。


「立って」

 倖亜はつかつかと紫苑に歩み寄った。紫苑は顔を上げない。

「立ちなさい!」

 倖亜は苛立った口調で言う。今までも度々感じてきた、倖亜の怒りの感情。それが自分にぶつけられるのは悲しかった。


「ユキ、あたしを殺したいんだよね? だったらユキが殺してよ。最初からゴミ溜めで生まれてきたあたしに、生きる意味なんてないんだ。あたしが死んで皆が助かれば、もうそれでいいよ」


「あなたはぁっ!」

 倖亜は平手で紫苑の頬を叩いた。

 紫苑はどさりと倒れ込む。

 紫苑のひりひりと痛む頬に涙がしみ込んだ。


 なおも泣き続ける紫苑に、倖亜は絞り出すように紫苑に言い放つ。

「あなたがあなたでいるために、あなたは私を殺すの! 全力でかかってきて! 私は私でいるために、あなたを殺す! お互いの全存在を賭けて戦うのよ! それこそが、自分が自分でいられる最後のラインなんだから!」

 そう言う倖亜の肩が震えていることに紫苑は気づいた。


 倖亜は矛盾する二つの感情の間で揺れ動き、摺りつぶされようとしている。状況に押し流され、ついに紫苑と殺し合うに至った。それもまた、彼女がどこかで臨んでいたことなのだ。

 覚悟を決めねばならない。

 友達の想いに応える覚悟と。

 友達を殺して自分一人が生きる、その覚悟が。

 紫苑もまた、ビームの刃を出して相手に向かい合った。

「そうよ。それでこそ私の紫苑」

 倖亜の顔は満足げにも、寂しそうにも見えた。

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