第28話 少女と一人と一人

 場面は地球からテリオンの赤い星に移る。

 赤い星の赤い海。血の池地獄の上に、その城は浮かんでいた。

 中世の王城。それは権力のシンボルでもある。古来よりヒトの遺伝子を持つものには、城こそが権威を表すものであるらしい。

 酸の雨が降りしきる窓辺に王は立ち、ボディガードを侍らせ、部下からの報告を聞いていた。

 形の良い剃った頭が皇位の気風を漂わせ、金の装飾で飾られた軍服を常に着ている。それは、人間界の覇者ナポレオンの風格そのものであった。


「そうか……倖亜は、シティ・カナンで姿を消したか。なに。攻撃の手を止めなくてもよい。続けろ。そのほうが、舞台が整う」

 王は、何かを諦めているような顔をしていた。随分以前から、彼はそのような顔しかしていなかった。それは、彼の妃からモルフォ蝶の翅を持つ倖亜が生まれてからだ。

 それは運命を受け入れる顔だったのだと、戦争が激化している今、側近の誰もが悟っていた。

「モルフォ蝶の娘が揚羽蝶の娘を殺す。そしてテリオンは青い地球を支配する。それが宇宙の決めた摂理だ。我々は、その後押しだけでよい」

 側近の一人が耐えきれなくなったのか、跪き敬意を表しながらも苦言を呈する。


「王よ。あなたの歌劇趣味につきあわされるのも、正直うんざりしています。何が神の兵器ですか。人類とテリオンの伝承ですか。人類を殲滅し、青い地球を我らのものとすれば、それで良いでしょう。人類の首都シティ・カナンの防備は確かに硬い。しかし、多数の軍勢でかかれば落とせるはずです」

「我々は揚羽蝶とモルフォ蝶……輪廻の旅人たちの道標に過ぎぬ。彼らが行く指標にしかならぬのだ」

「王よ。あなたはおとぎ話を信じ、国民の行く末を天に任せるつもりですか」

「そう言われてもおかしくはない。正しくは運命だよ。我々は運命に従い、輪廻を旅しながら生きているのだ。それは知的生命体の思惑を超えた、まさに神の領域なのだよ」

 王は、ふぅとため息をついた。

「あの子は運命から逃げることはできんよ。そういう風に育てた。あれの魂は、元々そのように作られているからな。あの子は逃げ出したが、揚羽蝶と殺し合う運命に結局は屈するのだ」

「王……ロマンチシズムも大概になさってください。そのような異次元の考えに、大衆はついていけません。城の外を見て下さい」

 

 テリオンの城。それを囲むように、テリオンの群れが湧いている。

 怪物の姿に変化し、羽を持っている者もいる。王に反旗を翻したレジスタンスの軍勢だ。

 百鬼夜行。そんな言葉がふさわしい。権力者を引きずり降ろしてやるという悪魔たちの群れであった。絵画『天国と地獄』に表された罪人の群れ、と言ってもよかった。

「王を出せ!」

「我々は青い地球が欲しい!」

「一刻も早く青い地球を占領せよ! できないのなら消え失せろ!」

 怒声があちこちからこだまする。重なり合ったそれらは憎悪のエコーとなり王宮を取り巻いた。

 権力を持つ者が軍備拡張を渋っている、という説が民間に流布していたのだ。そのため、民衆は王への憎しみを募らせていった。

 テリオンの技術なら地球征服などたやすい、と誰もが思っているのだ。


「彼らは人類を隷従させ、テリオンの地位向上を目指しています。彼らのほうがよっぽど現実が見えています。今一度、ご決断を。突然変異でしかない蝶の翅を追うのをやめ、テリオンの王国を建造することをご考えください。そのために作戦会議を開き、より効率よく人類を攻めるべきです」

 王は、またため息をついた。

「お前は……神の声を聞いたことがあるか?」

「は?」

 跪いた側近は疑問を隠せない。滔々と王は続けた。

「神……知覚外の者。この世の条理を超越した者。その声を聞いたことはあるかと問うている」

「何を言っているのです」

「いいか」

 王は咳払いして、続けた。その目は過去、今となっては手を伸ばせないはるか遠くを見つめていた。

「我が子……倖亜が生まれた時、神からお告げがあったのだ。我が脳髄に直接響く声だった」

 王はどこか、甘い記憶を探るような顔になった。

「それはフネスと名乗った。そして、その者は言った。次に青い地球を支配するのはテリオンだと。そのために尽力せねばと、我は出産で死を迎えた妻を前に誓ったのだ……」

「王はご乱心なされた!」

 側近は立ち、懐をまさぐる。

 そこから、光線銃が姿を現した。銃口を王に向け、側近は熱のこもった声で続けた。


「王! これよりあなたを処刑する! 真にテリオンの未来を憂う、レジスタンスの礎となれ!」

「貴様、スパイだったのか!」

 王の取り巻きが次々に側近に覆いかぶさり、銃撃を妨害しようとする。ボディガードたちは次々に肉体が盛り上がり、テリオン……怪物の姿へと変身して、側近を殺そうと、あるいは王を庇おうと走った。

 光線銃が一瞬輝く。

 細いレーザーが護身のボディガード達をかいくぐり、王の、胸に達したのは一瞬だった。

 血を吐く王。そして目の色を変える、その場のテリオンたち。

 医療班が直ちに駆け付け、王の傷の応急処置を行った。

 王を銃撃した側近はその場で数人のテリオンに覆いかぶさられ、首の骨を折られて死んだ。


 荒く息をつく王は、今わの際で、か細い声で遺した。

「これでよい。輪廻の旅人を運ぶ役割を、我々は十分に果たした。後はあの子がやってくれるだろう。我にはすべてが見えている。そう、神の思し召しがあった。それを忘れてはいない……」

 誰もが息を呑み、王の死を見届けていた。

 これ以上ないほどの満足感に満ちた笑みを王は浮かべ、静かに目を閉じる。


 赤い星に巨大質量隕石、ドグマゼロの影が差したのは、その時であった。

 


   ・


 イサクは紫苑と倖亜の前に立ちはだかっている。予想されていた答えをいざ突きつけられると、彼でも戸惑うようだ。蛇のような顔に焦りが見えた。

「神に近づく人類の夢を、我々が捨てる……ハハハ。馬鹿らしい。それは進化を放棄するのと同義だ」

「罰当たりという言葉をご存知かしら。身の丈に合わないものは、いつかその身を滅ぼすのよ」

「ふん。小娘が……」

 ぎょろりとイサクは倖亜を睨む。

「殺し合いが怖くなって我々に交渉を持ちかけたんだろう。そのマスターキーをどこで手に入れたのか知らないが、子供が社会を敵に回せると思ったら大間違いだ」

 イサクは手を上げる。

 壁のスクリーンに、宇宙空間の映像が映し出された。

 それは巨大隕石が、赤い星に向かって進んでいる映像だった。

「ドグマゼロはテリオンの星に近づいている。恒星の核を再現した内燃機関で移動し、テリオンの星に大打撃を与える」

「そうすれば、テリオン軍は背水の陣で地球に攻め入るわ。この都市の防御が堅牢なのはわかる。でも、多勢に無勢ではどうしようもないわよ」

「そんなもの、意味はない」

 イサクはふんと鼻を鳴らした。

「地球で生き残るのは我々富裕層と、遺伝子的に選ばれた人間だけでいい。かつての地球は人口爆発を起こし、星の寿命すら縮めていった。セカイには自浄作用がある。カンブリア紀、白亜紀の大絶滅。それが形を変えて起こっているに過ぎない。人類の発展に何の利益ももたらさない愚民には死んでもらい、完璧に管理されたセカイを再編成する。それこそが我々の目的だ。テリオンによる民間人の殺戮は、我々を手助けしているに過ぎないのだよ」

 紫苑と倖亜は言葉もなく、イサクを見ていた。

 警報が室内にがなり立てるように鳴ったのは、それから間もなくのことだった。

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