第27話 少女と抱擁
紫苑は思えばまともな食事をとったことがなかった。
せいぜいカロリーブロックを何度か、それも蝶の身体になってからは毎日栄養を摂らなければならないわけではない。だから蓮華がタブレットでインスタント食品の一覧を見せてきたとき、それが食べ物だと最初思えなかった。
夕食は紫苑が見た目で洋風、倖亜が和風のチョイスだったので、オッケーと蓮華がサムズアップをし、買い物袋を持って下町まで出ていく。
それほど広くはなく、かといって狭いわけでもない室内に取り残された倖亜と紫苑。
互いに何かを言い出せない、気まずい空気が流れている。
かっち、こっちと壁の時計が鳴っている。その音が逆説的に静寂を際立たせていた。
「あのさ。ユキ」
先に静寂を破ったのは紫苑だった。倖亜は気まずそうな顔をしている。
「全部話して。あたしのこと。ユキのこと」
倖亜は沈黙している。
「あたし、何でも受け止めるから。ユキが言うこと、信じるから」
「……きっと」
倖亜がやっと口を開く。
「あなたはきっと、この重圧に耐えられない」
「ユキ、あたしを信じてないの? あたしを弱いと思ってるの?」
倖亜が硬直するのを感じる。
「ユキ、いっつもそうだよね。あたしに黙って、一人でどこかに行っちゃう。あたし、ユキのこと、こんなに考えてるのに。ユキはあたしを信用してないんだ」
「それは違うわ、紫苑」
「じゃあなんで、あたしに黙ってたの!」
紫苑の感情が堰を切ったように溢れ出す。紫苑自身、自分の感情をコントロールできなくなっていた。
追い詰められた表情で、倖亜はじっと紫苑の言葉を待っている。
「ユキは、勝手にあたしのところに来て、人生をめちゃくちゃにして、それでいて大事なこと何も話さない……こんなの、フェアじゃないよ! あたしにだって真実を知る権利がある! だから……」
紫苑は潤んだ目で倖亜を見る。
「セカイって何? あたしって何? ユキって何? 教えてよ。もう、何も知らない子供のあたしではいられない。ユキ……あたしを大人にしてよ。あなたが何かをずっと抱えてるのは知ってる。それを聞き出せなかったのはあたしのせい。でもね、そんなの、もう終わりにしたいんだ。あたしは……」
意を決して紫苑は言った。
「あたしは、ユキを救いたい」
その一言を聞いたとき、倖亜を縛っていた何かが解かれたようだった。
倖亜は小さく口を開き、震える声で言う。
「私は人間じゃない……あなたも人間じゃない。私はテリオンの、あなたは人間の代表なの。神様がそう決めた。私とあなたのどちらかが死んだら、生き残った方の種族が青い地球を支配する。負けた種族は、地獄の赤い星に送られる。そして、この都市の地下にあるトランペッター……あの、ホルンのような戦艦は、私達の決着がつかなかったときに二つの世界を滅ぼす兵器。私はあなたと殺し合いたくない。だから、トランペッターを破壊しようとここまで来た。あなたに黙っていたこと……本当にごめんなさい」
言い終わった途端。ぶわっと倖亜の目から涙が溢れ出す。彼女を縛り、同時に支えていたものが音を立てて崩れ落ちていった。
「ごめんなさい。ごめんなさい。私、あなたに嫌われたくなかったの。あなたと殺し合いたくなかったの。もしテリオンを憎むあなたが、私をテリオンだと知ったら、殺すんじゃないかって……。あなたの言うとおり、私はあなたを信用していなかった。でも、離れたいなんて思わなかったの。それは本当よ……」
震える倖亜を、紫苑はそっと抱きしめた。
二人の距離が限界まで縮まる。
紫苑は、倖亜の痛烈な感情を労った。好きな人に嘘をつき続ける。それがどんなに辛いことだったか。
離れていた二つの心は、今確かに寄り添い合っていた。
「ユキ、ずっと辛かったね。この世の不条理を、全部一人で抱えて。でも、あたし逃げないよ。ユキのことも嫌いにならない。二人で一緒に、やろう。トランペッターを壊そう。神様の決めた運命なんて、変えてやろうよ。それで……ずっとふたりでいられるセカイを探そう」
倖亜はすすり泣き、紫苑を抱き返す。それから、わあっと大声で泣き始めた。
「紫苑。紫苑。ごめんなさい。大好き……。あなたを離したくない」
「あたしも好きだよ、ユキ」
その震える背中を、紫苑はより強く抱きしめた。
優しい雰囲気が二人を包み込んでいる。
残酷な運命のもとに生まれた二人だが、二人が生を受けここにいるということ、そして深海のようなセカイを放浪して出逢い、こうして愛し合っている。その絆は確かなものだった。
「ただいまー」
がちゃりと玄関が開き、蓮華が入ってくる。
「おーおー。よろしくやってんじゃん」
抱き合う二人を覗き見て、蓮華はにやにやと笑っていた。
「ま、安心したよ。気が済んだらご飯にしようよ。色々ぶつけ合ってお腹、すいたでしょ?」
蓮華の口ぶりは、二人がこうなることも予想していたようだった。
・
その日の夕食は楽しかった。
それぞれの楽しい話を延々と語り明かし、明るい雰囲気を作る。まるで三人家族のようだ。
そして夜。少女たちは川の字になって寝た。
時間経過による陽光の増減は、天井に投影された虚構でしかない。しかし夜のひんやりとした空気は、紫苑に安心感をもたらすのに十分だった。
今までで一番安堵した気持ちで、紫苑は眠りについた。
紫苑の手は、既に寝ている倖亜の手ときゅっと結びついていた。
・
「お返事は考えていただけましたかな」
次の日、イサクは最上階に再度二人を呼び出した。
「とっくに答えは出ているわ」
倖亜は紫苑と顔を見合わせる。紫苑は頷き、倖亜が宣言した。
「運命、災厄の象徴……トランペッターの引き渡し、もしくは破壊を要求します」
やはりか、という顔をイサクはした。
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