第26話 少女とディストピア

 居住区はマジックミラー越しで見たものと同じ、人間が過ごすにはこれ以上ない快適な環境だった。

 エレベーターは小高い丘の上に繋がっていた。緑のある公園。外の灰色の世界とは対象的な、色に溢れた空間だった。


「や。待ってたよ」

 エレベーターの前で、一人の少女が二人を待ち構えていた。

 パーカーを着た小柄な少女。紫苑より背が低い。明朗快活な声で、二人に話しかけてきた。

「お二人の居住区はこっちだよ。大丈夫、ここにテリオンはいないから」

 ついてこい、と身振りで示して、少女は丘を降りていく。

 違和感を覚えながらも、紫苑と倖亜は先導する少女についていった。


 丘のふもとは商店街だった。そこそこ人通りがあり、おそらく戦争以前はこうだったのだろう。平穏な毎日を享受する人々。街角で談笑するカップル。学生らしき集まり、店頭で世間話を繰り広げる年配の方々。今の地球上から失われたものがそこにあった。紫苑は幸せそうな人々を見ると、つい顔がほころんでしまう。

「他の人たちは無視していいよ。あんたらの記号のある部分だけ視界を遮断してるから。あんたたちは見えなくなってる。ここの都市の人間は、皆脳幹に植え付けたチップで操作できるんだ」

 その少女の一言で、紫苑は背筋がぞわっとした。

 この都市で暮らしている人々。彼らは自由意志で暮らしているように見える。気ままに他人と会話し、その時々を楽しんでいるように見える。それらの意識すら乗っ取っているというのか。

「普段お客さんなんて来ないから、ちょっと嬉しくなっちゃうな。あたいの部屋を使っていいよ」

 少女が導いた先は、マンション。

 平凡な四角い建造物は五階建てで、周囲に造成工事をしている区画があるのか、がこん……がこん……と遠くで鉄骨の音が聞こえる。


 玄関にカギを差し込み、少女はドアを開けて、二人に入るよう促した。

「上がって上がって。あたい、むしろ無遠慮な人の方が好感持つタイプだからさ」

 紫苑は躊躇った。倖亜は常に周囲を警戒し、中々入ろうとしない。

「二人とも固くなっちゃって。力抜いたら? 少なくともあたいは、あんたらに何かしようなんて気はさらさらないよ」

 少女は笑った。

 紫苑と倖亜は顔を見合わせる。ここは人類軍の手中。ここを抜け出しても行くところなど、ない。

 観念して二人は上がった。

 六畳の慎ましやかな部屋が二人の目に飛び込んでくる。

 変に子供っぽくも、大人の気配もしない。ごく普通の生活空間だった。


   ・


「わー。でっかいちょうちょの翅。すごく綺麗。かわいい……」

 少女は紫苑の翅をつまみ、引っ張ってみる。痛みはない。が、紫苑は何となく居心地が悪かった。少女に敵意がないのはわかる。しかし他人に身体を許し、好奇の目で見られることは慣れていないのだ。

「これ、重くないの?」

「全然重くないよ」

「飛べるの?」

「うん。肩甲骨に力を入れる感じで……」

「ふーん」

 少女は客二人の姿を見る。黒いコートに身を包んだ。蝶の翅を持つ妖精のような少女たち。

「両手に花……いや、蝶娘……」

 少女は呟き、ひとりでにぷっと笑う。怪訝な顔で二人は少女を見やった。

「あたい、蓮華。生まれも育ちもシティ・カナン! 多分あんたらより年下。パパに頼まれて部屋を貸すことにしたんだ。でも正直、あたいのほうが得してる気がするよ」

「パパ?」

 紫苑が訊く。

「あんたらも会ったでしょ? あの蛇みたいな顔した人。あの人が遺伝子上の父親だから、パパ。ママはしいて言えば管理システム。人工子宮でパパの遺伝子を育てたのがあたい」

 イサクのことか、と紫苑は思った。あの人物は悪意を凝縮させたような人格が透けて見え、紫苑は好きではない。

「あっ、あんたもうちのパパ、嫌い? だったら愚痴でも言おうよ。この部屋は監視カメラで見られてるけど、きっとカメラの向こうで歯噛みしながらあたいらの話を聞いてるよ。あの蛇親父」

 カラカラと笑う蓮華。倖亜の張りつめた表情が少し緩和されるのを紫苑は薄々気づいていた。

 この子はシティ・カナンの住人であっても純真そのもの。それだけは本当だと、紫苑も思っていた。


「ねぇねぇ、あなた、ゆずりはしおん、って言うんでしょ? ゆずしお、って呼んでもいい?」

 さっきから蓮華がしきりに紫苑になついてくる。紫苑は戸惑いつつも、妹がいたらこんな感じなのだろうかとも思う。

「ゆずしお……?」

「うん。お菓子みたいで可愛いと思った。ダメかな?」

 正直、そういう人付き合いは慣れていない。しかし無邪気に言う蓮華を、紫苑は怒れなかった。

「じゃあ、あたしも、れんちゃん、って呼ぼうかな」

「あだ名!」

 ぴこりと蓮華が反応する。

「あだ名、あだ名! あたい、友達できた! あだ名で呼び合うのって友達でしょ? あたいとゆずしおは友達! ね!」

 なつく子犬のような顔をする蓮華に、紫苑は抵抗できない。ずるずると相手のペースに飲まれていった。


「ユキユキもさぁ。もうちょっとあたいを信用してくれてもいいんだぜ?」

 蓮華の子犬の牙が倖亜に向けられる。倖亜は自分の張った壁を崩すまいとしていた。冷たい顔をしている。が、それは強がっているだけだ。

 本当は倖亜も人を信じたいのだ。自分と同じなのだ。倖亜と行動を共にするうちに、そう紫苑は次第に思うようになっていた。


「この都市に来たからには、そう簡単に出られないよ。何日か、ここで暮らすと思う。生活に必要なものは全部町に揃ってるよ。お金の心配はしないで。あたいはパパから無限クレジットを貰ってる。環境をすべて含む巨大都市とはいっても、リソースに限りがあるから豪遊し放題、とはいかないけどね」

 蓮華のこの発言に、倖亜が再び警戒の色を抱いたのも、紫苑は悟った。

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