第24話 少女とシティ・カナン

『では、こちらです』

 球形の浮遊するロボットに案内され、紫苑と倖亜は都市の内部に入っていった。

 水晶のような外見の都市内部は階層になっており、回廊が延々と続いては枝分かれしている。ガイドロボットがいなければ迷って、二度と抜け出すことはできないだろう。


 紫苑たちはエスカレーターを乗り継いで、上へ上へと上っていく。

 まるでショーウィンドゥのように区切られた内部構造に、紫苑は息を呑んでいた。

 シティ・カナンには人間が生活するうえで必要なものが全て揃っている。その生活はまるで戦争以前の地球だ。

 人工の空は失われた太陽の光を再現し、整備された居住区は清潔感があって、人々は日常生活を送っている。階層に分かれた区画はそれぞれの身分に合った仕事環境に特化されており、工業プラント、農業プラントそれぞれ、快適に過ごせるように構造そのものが変化していた。

 紫苑たちのいるエスカレーターは階層の外縁部を通っていて、彼らと紫苑たちを隔てる壁はマジックミラーになっているのか内部の人々が彼女たちに気づく様子はない。

 彼らは、外の世界で戦争が起こっていることを知っているのだろうか?

 あまりにも自分が過ごしてきた世界とかけ離れた暮らしに、紫苑は疑念を抱いた。

 世界の歪さ。恵まれない者はとことん恵まれず、一方で良い生活を享受できる者がいる。なぜこんな不平等が生まれるのか。紫苑は、あのゴミが流れつく島で育ちたくはなかった。倖亜に出会うまで、自分が惨めだと思わない日はなかった。

 恨み言がふつふつと心に湧いてくるが、紫苑はそれらを押しとどめた。生まれなんて誰にもわからない。そのことについて不平不満をぶつけても意味がない、そもそもぶつける相手などいない。

 むしろ倖亜に感謝すべきだと紫苑は思う。あの島から抜け出して、広い世界を見せてくれたのだから。彼女に出会わなければ一生を島でゴミ漁りをして終わっていただろう。


 しかし、倖亜と旅をして、どれだけ階段を上ったり飛んだりしただろうか。そのうち天国まで行ってしまうんじゃないか、などと想像し、不吉な考えをかぶりを振って追い払う。


 ロボットが案内した先の自動扉が開く。そこは制御室のようだった。宇宙センターのそれに近い内観の室内は、コンピュータのサーバーが立ち並び、ジーッと音を立てている。おそらく人々の生活基盤を支えるため、日夜稼働しているのだ。

 そこに彼はいた。清潔そのものの身なり、埃一つ立てない白いスーツを着ている。彼は若いのか老いているのか、判別がつきかねた。若者とするには老成した雰囲気があり、老人と言うには肌がみずみずしさを保っている。発達した技術によるアンチエイジングの成果に違いない。

 紫苑は彼を見るなり、アバターの主だとわかった。蛇のように狡猾そうな顔。アバターには、作った人物の性格が表れていたのだろう。

「ようこそ、人類の代表、揚羽蝶の君。そしてテリオンの女王」

 スーツの男性は紫苑たちに会釈した。

 倖亜は彼を目の前にして、努めて何の表情も出さないようにしているらしい。彼女は平静を装っているが、心の中では様々なものが渦巻いていることを紫苑は薄々気づいていた。それがわからないほど付き合いは短くない。


「単刀直入に言うわ。トランぺッターはどこにいるの?」

 倖亜が鋭く訊く。トランぺッター? 聞きなれない単語に紫苑は疑問符が浮かんだ。

「おや。この世界の仕組みを随分ご存じで」

 男性は怜悧な笑みを浮かべた。余裕そのものといった顔だ。

「調べ上げたのよ。人類とテリオンの歴史を。それが今まで、どんな変遷をたどってきたのかをね」

 くっと男性は笑った。

「申し遅れました。わたくし、イサクと申します。市長を務めさせてもらっています」

「そんなこと、どうでもいいわ。あなたたちは何世代にもわたって青い地球を支配してきた。今更、揚羽蝶とモルフォ蝶のことを知らないわけではないでしょう? あなたたちの歴史にも残っているはずよ。青い地球に埋まっている『それ』が、やがて二つの世界を滅ぼすって……」

「それはあなた方の決着がつかなかった場合では?」

「私は紫苑を……この子をどうにかしようなんて思わないわ。だからあの兵器を破壊するの」

「それは無理なことですよ。あれは、上手く使えば我々の発展に役立つ。宇宙の未知数な定理の詰まったブラックボックスそのものであり、何千年経っても解析しきれない。やがて宇宙に進出するにあたって、あの存在は必要不可欠なのですよ」

「あなたたち、まだそんなことを言って……!」

 ぎりっと倖亜は奥歯を噛んだ。


「人類はやはり醜いわ。私利私欲に溺れた生命体。テリオンと同じよ」

「あなたは自分の立場をおわかりですか? 壁のレーザー照射機が狙っている。今この場であなたを始末し、地球の主導権を人類に取り戻してもいいのですよ?」

「やってみなさい。さっき、それは効かないってわかったでしょ。私の剣があなたを斬り殺すわ」

 紫苑は目の前で繰り広げられる会話の意味が分からなかった。

 ただ、それが青い地球と赤い地球に関するものであることは、漠然とわかっていた。そして、倖亜はなぜすべてを自分に教えてくれないのか、それが気がかりだった。紫苑に話せない理由でもあったのか。


 張りつめた空気を裂くように、室内にアラートが鳴り響く。

『警告メッセージ。敵機、シティの上空に侵入』

 どこかからかコンピュータの合成音声。倖亜の顔色が変わる。

「テリオンにつけられてたのよ……脱出しないと、都市ごと沈められるわ!」

「ご心配なく」

 イサクはいたって冷静な顔だった。


 コンピュータ群が状況を解析しているのか、機械音が鳴り響く。耳障りな音に紫苑は耳を塞いだ。ややあって、機械音は鳴りやんだ。

「テリオンの爆撃機だったようです。しかしご安心ください。シティ・カナンはこの程度では沈みません。すべて防衛装備で落としました」

 紫苑と倖亜は呆気に取られてイサクを見る。

「都市の住民は爆撃があったことにすら気づかないでしょう。それほど堅牢なのです、シティ・カナンは。人類の技術の粋を結集したシステムを甘く見てもらっては困る」

「なぜ……なぜ人類が、こんなに強力な装備を持っているの?」

 倖亜が訊くと、イサクは得意げな顔をした。

「その理由をご覧に入れましょう。ついてきてください」

 イサクはそう言って、二人に部屋を出るよう促した。二人は従うしかなかった。


   ・


 二人が案内された先は格納庫のような場所。エレベーターで都市の最下層まで潜った。狭くがんがんと唸るエレベーターの中はエスカレーターと打って変わって息苦しく、紫苑は狭い室内から何度も逃げ出したいと思った。

 エレベーターを出ると、長い廊下を歩かされ、突き当りの自動扉が開くと、広い空間に出た。

 格納庫は広い。軍用機が保管されているのかと最初は思ったが、紫苑は独特の雰囲気をすぐ感じた。

 三メートルはあるだろうコンピュータ制御がなされた楔が墓標のように並んで、床に無数に突き刺さっている。下にあるものを起こさないように。まるで封印の場だ。

 只者ではない何かが、この下に眠っている。

 そこから階段を降りたさらに下層に、赤い海がある、と紫苑は思った。血の臭いのする水が、広い格納庫に満たされている。


 そこに浮かんでいるのは、巨大な戦艦だった。

 戦艦のように見えた、というのが正しい。正体不明の物体。

 よく見ると、巨大なホルンのようなものだ。両側に天使の羽が生えている。

 これは誰が、何のために作ったのか。

 全長三百メートルはある物体に、紫苑は圧倒されていた。


「終末兵器トランぺッター。我々人類はこれを掘り出し、無限のエネルギーをこの都市に転用しているのです」

 イサクは言った。その顔は余裕を崩していなかった。

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