第23話 少女と不可視都市

 大都市の中央ターミナルに紫苑と倖亜はたどり着いた。

 あんなことがあり、紫苑はやや倖亜から距離を置いていた。なぜ倖亜は、キスの最中に舌を噛んだのだろう。その後の彼女に敵意がなかったのが、かえって不気味だった。

 倖亜はターミナルに入り、その最上階に向かうエレベーターに入る。扉が閉じる前に、紫苑は小走りで倖亜の隣に追いついた。

 扉が閉まり、エレベーターはずっと上まで上っていく。青いタワーの螺旋階段を上っていたときを紫苑は思い出した。

 ガラス張りの壁からは町の全景が見える。今までのどこの町も爆撃を受けたり、広範囲兵器が使われた痕跡があった。それほどまでにテリオンは非情なのだと、紫苑は思わざるを得ない。

 ちん、と音がして、最上階にエレベーターが到着した。

 つかつかと倖亜は出ていく。紫苑は彼女に置いて行かれないよう、また小走りになる。

 また二人の間に見えない壁ができてしまった。自分が悪いわけではないのに、紫苑は自分を責めた。

 倖亜の中で何があったのだろう。しかしそれを問いただすのは憚られる。


「遺跡で見た情報……ここに、出入り口があるはず」

 ターミナル最上階は宇宙船の発着場のようだ。最上階からマスドライバーが伸び、小型の船があちこちに停泊している。この宇宙船たちを残したまま、人類はどこへ行ったのか。

 倖亜は胸に下げていた金色のロケットを天井にかざした。

 ちょうど宇宙船のような形のそれは、ガラスの天井から見えるマスドライバーに乗せても違和感がない。

「ロケット……マスドライバー?」

 漠然とした予感があったのか、倖亜は発着場の外に出る。

 紫苑は勝手に先に行ってしまう倖亜に振り回されつつも、彼女に取り残されたくないと強く思い、再び追いかけた。


 発着場は内部から空中に伸び、さらに先にマスドライバーがある。

 本来なら宇宙船が発進するレールの上。倖亜はロケットを、マスドライバーに添わせるように動かしてみる。

 マスドライバーの頂点。宇宙船が飛び立つ場所。

 倖亜はモルフォ蝶の翅をはためかせ、そこまで飛ぶ。紫苑も慌てて揚羽蝶の翅を広げる。

 先端になるにつれほぼ垂直になっていくレールは、普通の人間は近づけば落下の恐怖に囚われること間違いない。現に紫苑は、翅が生え空を飛べる身でありながらも、あまりの高所に背筋がぞわっとした。


 倖亜の手にあるロケットが輝き始める。

 そして、不可視だった上空の都市の輪郭が見え始めた。

 それはプリズムの輝きに似ていた。

 浮遊都市の全貌は、水晶の塊のようだった。端から端まで指し渡り数十キロはあるだろうか。

 倖亜は躊躇わず、奇怪な物体に近づいていく。紫苑は初めて見るものに圧倒されつつも、自分も従う。

 倖亜の手のロケットが再び輝いて、水晶の表面に光のゲートが現れ、二人を中に招き入れた。


   ・


 宇宙空間にあるテリオンの衛星に、倖亜の動きはキャッチされていた。

 不可視都市、シティ・カナン。それらしき物体が、何もない空間に出現した。衛星のカメラにそれは捉えられ、回線を通して内部に送られている。

「敵の本拠地を発見、本部にデータ転送します」

 モニターを見つめている宇宙服を着た観測員テリオンが、リーダーらしき人物に伝える。モニターの上に、揚羽蝶とモルフォ蝶のアイコンがあった。それぞれ紫苑と倖亜を示すものだ。白い壁に囲まれた部屋の中心に立つ、壮年の男性が重々しく返した。

「うむ。付近の基地に総攻撃の準備を伝えねばならぬ。これはテリオンの歴史を変える事態だ。引き続き我々は、倖亜様の監視を続行しよう。位置はわかっても、あの方の動向は依然掴めぬ」

 ふぅと壮年の男性……衛星の長官はため息をついた。

「こちらが逐一監視しているのだから、早めに揚羽蝶を始末すればいいものを。王宮の連中は倖亜様が揚羽蝶を倒すことに拘りたいのか。アゾートのみでは戦力不足もいいところよ」

「あっ、長官……」

 モニターの表示が消え、観測員は動揺する。その様子も長官は見ており、目の色を変えた。

 そこにはモルフォ蝶と揚羽蝶を示すアイコンがなかった。そして、モニターの大部分を占めていたシティの姿も消え失せていた。

「倖亜様の反応、消失しました。再びシティのジャミングが働いたものだと思われます」

「何だと。ではシティの位置も移動する可能性がある。至急攻撃命令を出すよう各部署に知らせろ!」

 衛星の管制室は三十名ほどの人員がおり、それぞれ通信端末とコンピュータで急いで連絡を取り始める。

 長官は自身もすべきことを行いながら、不気味なものを感じていた。

 人類軍はこれほどの技術力を持っているなら、なぜ劣勢にされるがままなのだ?


   ・


 水晶の中に入った紫苑と倖亜を待ち構えていたのは、防衛システムの迎撃だった。

 レーザー照射が二羽の蝶を襲う。緑色のレーザーは壁のあちこちから発射され、紫苑と倖亜は羽ばたき、全速力で光の線から逃げた。

 内部に進むたびに照射装置の数は増えていく。二人を狙うレーザーの数は増え、倖亜は機転を活かして避けるも、紫苑は致命傷を受けないのがやっとという風だった。

 紫苑の袖を、翅の端をレーザーがかすめる。じゅっと翅が焼ける音に「うあっ」と紫苑は悲鳴を漏らした。


 倖亜は感づく。自分の周りだけレーザーが近づかない。むしろ、向こうから避けているようだ。見えないバリアが彼女の半径十センチを包んでいるようだ。

 紫苑はレーザーの雨から逃げながら、それに感づいていた。しかしそれ以上を考える余裕はなかった。

「そういうことね……フネス」

 倖亜は呟き、滑空して紫苑の元に向かう。

「紫苑! 私から離れないで!」

 紫苑を庇うように翅を広げ、倖亜は彼女の前に立った。

「ユキっ!」

「大丈夫! 私たちは死なない!」

 倖亜を包むバリアの範囲が紫苑にも及んだようだ。レーザーが発射されても、彼女たちを守る何かがある。

 倖亜は手の中のロケットを握りしめた。

「私の推測が正しければ、このロケットはシティの制御キー……。それに、入った瞬間にこうなるのなら、フネスが何の考えもなしにこれを寄越さないわ。あいつらは宇宙一邪悪な存在よ。興味を持ってるなら、おいそれと私たちを死なせるもんですか……」


 やがてレーザーの雨がやみ、代わりに空中に映像が投影された。

『驚いた。まさか、制御キーのコピーを持っているのですか?』

 CGで作られたアバター。林檎に絡みつく蛇。一見マスコットのようだが、どこか邪悪なものを感じる。スピーカーから発せられるのが合成音声でも、穏やかな物腰では隠せない声の主の威圧感が伝わってくる。侵入された状況下でも、妙な余裕を感じさせるものだったからだ。


『揚羽蝶の翅。それは我々の伝承にあったもの……そして、我々が捜索していたもの。それがどういう風の吹き回しで、テリオンのモルフォ蝶と一緒なのですか?』

 テリオンのモルフォ蝶? 紫苑は耳を疑った。

 倖亜はアバターを睨み、宣言した。

「私は音無倖亜、この子は杠紫苑。二人で、この戦争を止めに来た! シティの市長と話がしたい、中に通して!」

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