第18話 少女と彼女の心
倖亜は集落を出てから、紫苑の様子が変わったと思っていた。
でなければ自分に、あの争いを好まない紫苑が、戦い方を教えてほしいと言わないはずだ。
剣を交え、金属を打ち合うような音とともに夕方の荒野に火花が散る。
ぶぉんとビームの刃が唸り、紫苑はぜいぜいと荒く息をついていた。
「落ち着いて……戦い方は、私達の身体が知っている。遺伝子の声を聞いて、それに身を任せればいい」
「ユキの言ってること、よくわかんない」
「最初に羽化したときのことを思い出して。あのとき、あなたは本能のまま戦っていた。あなたの身体は、自分も知らないだろうけど、戦闘に特化しているの。無駄な動きは極力省いて」
「うん……」
手加減していても、おそらく刃物すらろくに持ったことのない紫苑には堪えるらしい。
紫苑の顔には明らかに疲れが浮かんでいる。玉の汗を流す紫苑に、倖亜は言った。
「今日はこのくらいにしておきましょう。続きは明日」
どへぇ、と紫苑はその場に崩れ落ちた。
・
夜、壊れた鉄塔の上に腰掛けて、二人は休憩している。
送電用だった塔は高熱で溶かされたようにへしゃげているが、基盤は崩れていないため、意外と足場は安定していた。
紫苑は遠くを見ながら言う。
「あたし、自分が何したいんだろうって、ずっと思ってた」
その声はどこか、以前の彼女より大人びていた。
倖亜は黙って聞いている。
「あたし、人が悲しまないために働きたい。近くにいる誰かが悲しんだら、すごく嫌な気持ちになるってわかったから」
「人助けでもするつもり?」
「平たく言うとそう。それだけの力を持ってるから」
紫苑は自分の背中の翅を見やる。
「あの怪物たち……本当は人間じゃない、と思う。あんなに悪意にまみれたものを、あたし、知らなかった。人間に化けるものなんだよね?」
違うわ。
倖亜は言おうとして、口をつぐんだ。
人間もテリオンも、心は怪物なのよ。
薄汚れた生き物なのよ。
「ユキ、あたしがショックを受けると思って嘘ついてた……。あたしも怪物になったんでしょ? 何かが原因で、そうなっちゃったんだ。でもあたし、わかったよ。あたしは、戦わなくちゃいけないんだって。あたしは怪物になりながらも人の心を失わなかった。そういう運命なんだ。きっとユキも同じだよね。人を助けたいんだよね」
あなたは何もわかってない。
あなたの運命は、あなたが考えているよりずっと過酷なもの。
私と殺し合わなくてはならない存在。
あなたは今、テリオンを憎んでいる。
もし私がテリオンだって知ったら、あなたは私を……。
紫苑はにかっと笑った。
「ユキについてくよ、あたし。テリオンさえいなくなれば、誰も悲しまない。今まで会った人たちだって、本当はいい人のはずだもん。あたし、人間を信じてる。どんなに傷ついても、結局人間が好きなんだ」
あなたは。
あなたは、その道を行くつもりなの。
それは間違っているわ……。
倖亜の胸は潰れそうになる。
人間はあなたが思うほど、善きものじゃない。
しかし倖亜の気持ちを伝えるには、あまりにも壁が高すぎる。
紫苑と倖亜は、お互いに触れられる距離でも、心の距離はあまりにも遠い。そして紫苑には、その自覚は全く無い。
倖亜は複雑な顔ながらも、頑張って笑い返した。
「頼むわ、紫苑」
やがて紫苑は鉄塔に身を預けて、すぅすぅと寝息を立て始めた。
ヤマガミの死を乗り越え、相当疲れたようだ。彼が死んだ日、紫苑は夜、泣いていた。
その寝顔は愛おしい。
だが、倖亜は考える。
ここで紫苑の寝首をかけば、全ては終わる。運命の象徴を探す苦労など、何もしなくていいのだ。
無防備な姿を晒す紫苑。倖亜は胃の底からぞくぞくと何かが這い上がるのを感じた。
紫苑の細い首に手をかける。倖亜の力でも、少し力むだけで簡単に折れてしまいそうだ。
もし折ったら、紫苑はどんな顔をするのだろうか……。
どんなに気持ちいいだろうか……。
ハッと倖亜は我に返った。
いけない。倖亜は慌ててよからぬ考えを断ち切った。
倖亜の中で紫苑という存在がどんどん膨らんでいく。
ただ好き、嫌いと言い切れるような感情ではない。様々なものがないまぜになり、頭の中で複雑に絡み合っている。少し触れれば音を立てて崩れ落ちてしまいそうだ。
ただならぬ運命で結ばれた相手。しかし彼女はどこまでも純粋で、疑うことを知らず。
倖亜は紫苑とずっと一緒にいたい。
この深海のようなセカイで、同じ翅を持つものに巡り会えた奇跡。
自分たちを取り巻く、この馬鹿げた運命を破壊する。
それが倖亜の、セカイへの反抗のはずだ。
「ちょっと夜風を浴びてくるわ……」
優しく倖亜は紫苑に語りかけた。
寝ている紫苑に自分のコートをかけ、倖亜は荒野に降りた。
夜のひんやりとした空気が、倖亜の肌を撫でる。さっきまで昂ぶっていた神経が、ゆっくりと落ち着いていった。
頭上には月の代わりに赤い地球。きっと今でも、テリオンの同朋たちは過酷な環境に苦しんでいる。
待ってて。神様の作ったシステムを壊して、全部解決してみせるから。
誰にも言えない使命を、倖亜は自らに課している。
そんなときだった。
「やあ。数日ぶりだね」
そのハスキーな声に倖亜の神経がいきり立つ。
声のする方をきっと振り向くと、金髪にドレスの少女、フネスがいた。
倖亜が殺したはずの少女。
その正体は人間ではない。この世界を作った神のしもべだ。
「あなた、まだ生きているの」
「僕は遍在する。宇宙のあちこちに。宇宙の意志と僕の存在は同一と言っていいからね」
びゅっ、とフネスの頬をビームの刃がかすめる。
とっさにフネスが首を傾けていなければ、刎ね飛ばされていただろう。
倖亜はビームの剣を持ち、凄まじい形相でフネスを睨んでいた。
「ご挨拶だな。僕は君に敵対しに来たわけじゃない」
「今すぐ消えて。こんな運命を仕組んだ神の手先。私の全細胞があなたを嫌いだと言ってるのよ!」
「随分酷いことを言うね」
フネスは笑った。
「君は彼女……杠紫苑を愛している。愛してしまったから、どうしてもあの兵器を壊さなければならないと思っている」
「……それがどうしたというの」
「しかし彼女を殺せば、君は苦痛から開放されるんだよ?」
「やめて!」
倖亜は自分の頭を押さえた。
「私は紫苑が憎いんじゃない! 紫苑を殺したくない! 悪いのは全部、こんなセカイを作ったあなたたちよ! だから私は、セカイに反逆するの!」
フネスはふっと笑った。
「その情動。愛、そして反抗。生物の持つ感情として、とても価値があるものだよ」
フネスは続けた。
「シティ・カナンはこの先にある。けど、テリオンの侵入を阻む不可視の壁が働いている。今の君たちにはたどり着くことはできない。手助けするつもりだったんだよ」
「どういう風の吹き回し?」
「君たちはせっかくここまで来たんだ。野垂れ死にで終わったら、つまらないだろう?」
フネスは倖亜に何かを投げてよこした。
倖亜がぱしっと受け取ると、それは手のひら大の、黄金のロケットだった。
「これを渡しておこう。キーだ。ここから三十キロ離れた旧市街で使えば、道は開かれる」
倖亜はまじまじとロケットを見た。何の変哲もない首飾り。これは一体何なのか。彼女の予想しえぬ何かを秘めているのか。
「気をつけたまえ。君たちはテリオンの衛星に監視されている」
フネスに言われて、倖亜は頭上を見た。
赤い地球を囲むように星々が瞬いている。
だが、衛星はやはり見えなかった。
「幸運を祈るよ」
倖亜の近くから、不意にフネスの気配が消え去った。
きょろきょろとあたりを見ても、彼女の姿はない。
あれは幻だったのか。しかし倖亜の手には、しっかりと受け取ったものが握りしめられていた。
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