第17話 少女と別れ
「ガルルルゥア!」
アゾートは獣そのものの声を上げ、ガビジィに飛び掛かる。
今度はガビジィも対処しきれなかった。
押し倒されてがしゃあんと倒れ、部品が散乱した。
「クルルルルルルル……」
アゾートは喉を鳴らす。その眼下には、明滅を繰り返すガビジィの目がある。
ぐしゃりと、アゾートの前脚がガビジィの頭を踏み潰した。
がらくたでできたガビジィの顔は砕け、部品が飛び散った。
「Arrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrr!」
アゾートは勝利の雄たけびを上げる。
倒れたガビジィは目のライトが消え、死んだように、機能を停止していた。
ぐしゃぐしゃと、肉食動物が獲物を屠るようにアゾートはガビジィを解体し始めた。
人間であれば内臓に当たる歯車、ラジエーター、コンバーターなどがえぐり出され、放り投げられる。
血のようなオイルがガビジィから吹き出ていた。
「あ……あ……ガビジィ……」
紫苑は傍らのヤマガミが絶望しているのを見て取った。
ヤマガミはガビジィに絶対の自信を持っていたらしい。最初は自信がある顔をしていた。しかし今は、それは儚くも崩れ去っている。
屠られるガビジィを前に、ヤマガミは指をくわえて見ているほかなかった。
「くそーっ!」
ヤマガミは耐えられなくなり、アゾートに向かって走り出す。
「テリオンども! これ以上、俺の友達を傷つけるなぁーっ!」
ヤマガミは半狂乱になっていた。失恋と友達の死。同時にやってきたそれを受け止めきれず、自分で自分がわからなくなっているようだ。
「ヤマガミさんっ!」
紫苑は叫び、揚羽蝶の翅を展開する。
目まぐるしく変わる現状に、紫苑は何をしたらいいのかわからなかった。自分がやるべきことに、彼女は今やっと気づいたのだ。
戦う覚悟。それもなしに今まで彼女は戦った。彼女は初めて自我を保ったまま、自分から戦おうと思った。
だが、アゾートがガビジィの内臓を弾き飛ばし、それがヤマガミに衝突したのは一瞬だった。
がつん、と音がして、破片の一つがヤマガミの頭部に命中した。
ヤマガミの頭から血が噴き出す。
彼は、急に放心した顔になった。
やおら、彼は倒れる。地面に血がゆっくりと広がっていく。
紫苑はずっと目を見開いていた。
ヤマガミが倒れている。さっきまで自分と会話していた人が、生気を失い、ぐにゃりとなっている。
「うわあああああああっ!」
紫苑は叫ぶ。
ヤマガミの負傷に火をつけられ、紫苑の闘争本能に火がついた。
瞬間、紫苑の掌から剣の柄が生成された。柄の先からビームの刃が伸びる。
紫苑はガビジィから離れ、ヤマガミにとどめを刺そうとするアゾートに斬りかかった。
アゾートは危険を察知し、飛びのいた。
紫苑はヤマガミに駆け寄る。
彼は既に虫の息だった。血まみれの顔で、こひゅー、こひゅーと呼吸している。
「ヤマガミさん、ごめん」
紫苑はヤマガミの目を見て、謝罪した。どんよりとした目には、何の表情も浮かんでいない。
紫苑は翅を広げる。揚羽蝶の翅は、紫色の妖艶な光を放っていた。
「これが、あたし。多分あたし、人間じゃない。だから……あなたの気持ちには応えられない。でも、全力で皆を守るから」
紫苑は自分が人ならざるモノだと自覚し始めていた。
人間のように、人間を好きにはなれない。
紫苑が夢見た人とは、紫苑が思い描いたものに過ぎない。現実はそうではなかった。理不尽に敵意を向けられることもあれば、望みもしない好意を向けられることもある。
だが、紫苑は人間を守りたいと思った。
それは元・人間としての同朋意識だろうか、誰かの生活を守りたいという本能だろうか。
そうではない。自分には今、確固とした意志がある。
自分の立ち位置を知る。かつてヤマガミに言われたことだ。紫苑は今、自分が何をしたいのかわかるような気がした。
「ヤマガミさん……もう、あなたみたいに悲しむ人を見たくない」
誰も悲しい思いをしないでいい世界。それが紫苑の望みだった。
テリオンがいなければヤマガミは町で暮らせていた。そして怪我をすることもなかったろう。
テリオンが全ての元凶だ。
目の前で誰かが悲しい思いをすれば、それを癒す。もしくは敵から守る。それが紫苑の信条となっていた。
しかしそれも、少し遅かったようだ。
ヤマガミは吐血した。
紫苑の顔に絶望の色が浮かぶ。
「カロロロロロロロロロ」
アゾートが喉を鳴らしている。
きっと紫苑はアゾートを睨みつけ、ヤマガミを地面に丁重に置き、たっと跳躍、翅で滑空してビームの刃を振るった。
刃で斬られたアゾートの体表から、ばっと血が飛び散る。
アゾートはぎょっとした目で紫苑を見た。
「ガルルァ!」
アゾートは怒りの声を発し、紫苑に向かった。
圧倒的な質量が紫苑を追いかけてくる。紫苑は殺意の塊からの爪を、縦横無尽に動いてかわした。
突破口が見えない。今までだって、本能のみで戦ってきた。しかしこの敵は、紫苑の力で陵駕できない力を伴っていた。
「このーっ!」
紫苑は無我夢中でビームの剣を投げた。
それが怪我の功名か、どすっ、と刃がアゾートの額に突き刺さる。
「ガギャアアアアッ!」
怒りの声がアゾートから発せられる。
「テリオン……許さない!」
どうすれば相手を殺せるのか。紫苑はひたすらそれを考えていた。だが、未知数の怪物に対して想像できることは限られている。
アゾートの怒りの爪が振り下ろされる。紫苑は飛び退り、爪の一撃が地をえぐって、土埃を立てた。
アゾートの眉間に剣が突き刺さっているものの、この生き物は脳が頭にないらしい。目は焦点を失いぎょろぎょろと回っている。その様子がかえって恐ろしかった。
「グエッ!」
アゾートが何かを吐き出す。紫苑は跳躍して避ける。強い酸が、地面を焼いた。
どうする。紫苑は考える。
紫苑は新しく剣を掌から生成した。
剣を握ったとき、ずんっと体が重くなるのを感じた。武器を作るのは相応の体力を必要とするらしい。これ以上武器を無駄にはできない。
肩で息をする紫苑に、アゾートが迫る。
その時、もう一つのビーム刃がアゾートの喉を後ろから貫いた。
モルフォ蝶の翅がはためくのが見えた。
「ユキ!」
倖亜が戻ってきたのだ。
アゾートは半狂乱になり、身体を揺する。
まだ生きていられるようだ。
「くっ!」
倖亜は飛び退き、紫苑の脇に着地する。
「恐ろしい生命力だわ……」
「ユキ、大丈夫?」
「あいつを倒すためには、二人の息を合わせて心臓を狙うしかないわ!」
だが、硬い皮膚を持ち暴れまわる相手にどうやって?
その時、がしゃがしゃと、何かが立ち上がる音がする。
壊れたと思ったガビジィが動き出したのだ。
体中から内臓たる歯車を飛び散らせ、目を明滅させながら、ガビジィは最後の力を発揮した。
「ガビジィ、やれーっ!」
気がつくと、後ろのヤマガミが倒れたまま叫んでいた。
肺を裂くような声だった。
ガビジィは主人の声に呼応、アゾートにしがみつく。アゾートは唸り、身をよじったが、執念でガビジィはその動きを止めていた。
「ガビジィごと貫くんだ!」
ヤマガミが叫ぶ。
紫苑と倖亜はうなずき、それぞれアゾートの正面と背後に回る。
「はああああっ!」
紫苑の刃がアゾートの胸を、倖亜の刃が背中を貫いた。
ビームの粒子同士が干渉し、増幅して巨大な刃となる。
ガビジィは刃に挟まれる形になり、今度こそ粉々に砕ける。
ごみの体が焼け付き、火葬されるように焦げ、燃え尽きていく。
最後に目のライトが、まだ生きたかったと言うように瞬いた。
「Gyaaaaaaaa……!」
アゾートは虚空に雄叫びを上げながら、段々衰弱し、ついには地に倒れ込んだ。
どぉん、とあたりを揺るがす音。
紫苑と倖亜は、巨獣の傍らで亡骸を見下ろし、周囲の人々は畏れを抱いた目で彼女たちを見ていた。
・
戦いを終え、場に静寂が戻ってくる。
広場にアゾートの死骸が横たわっている。
そして犠牲者たちの亡骸を、残った人々は処理し始めた。
ヤマガミは息も絶え絶えで、紫苑の腕の中で薄い呼吸を繰り返していた。
「あんたは……俺を好きになってくれなかった」
ヤマガミは苦しそうに言う。彼の最後の言葉だと思い、紫苑は悲しみをこらえて聞いていた。
「でも、それは仕方ないことだと思う。俺は後悔していない。俺はあんたが、好きな人に巡り合えたらいいと思ってる。それが人間、一番幸せなことだから」
最後にヤマガミは、紫苑の頬を撫でた。
「幸せになれよ……」
それきり、糸が切れたようにヤマガミの身体から力が抜けていった。
彼の見開かれた目を、紫苑は慈愛でもって閉じた。
少ししてから、ヒビノがヤマガミの遺体に青いビニールをかけ、手を合わせる。
紫苑がヒビノに語りかけた。
「あの、あたし……」
「出ていけ……」
ヒビノは眉間にしわを寄せる。
周りの人々は黙って、それぞれの大事な人の死を悼んでいる。
「あんたたちが来てから、みんなおかしくなった。あの怪物は、あんたらを追いかけてきたんだ。そうとしか思えない。我々は日々を生きることしか考えていなかった、敵に目をつけられることなんて、していなかったからな」
「あたしにできることなら、何だって……」
「出ていけえっ!」
ヒビノは叫んだ。その声に悲痛さがこもっている。
紫苑は泣き出しそうな自分をこらえるのに精一杯だった。
肩を震わせる紫苑を、そっと抱いてなだめるように倖亜は言う。
「行きましょう、紫苑。ここは最初から私達の居場所じゃない」
そうして二人は、集落を後にした。
・
アゾートに埋め込んだ生体発信機からの信号が途絶えたとき、アザドはその死を知った。
軍用ヘリで帰投する中、タブレット型端末を見つめるアザドの顔は、驚くほど冷静だった。
「お前の作品も、失敗に終わったか」
隣の男が訊いてくる。
アザドは無表情のまま答えた。
「失敗なくして成功はあり得ない。あれもまた、なにかの礎となるのだよ」
「その前に戦争が終わらなければいいがな」
男の皮肉を、アザドはふっと笑って流した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます