第12話 少女とまだ見ぬ地平
タワーの妖気が、町から離れても追ってくるように紫苑は感じていた。
あの中にいた、紫苑を見下ろしてきた何千ものフネス。きっと死んだフネスの代わりになるのだろう。
どのような方法でとってかわるのか知らないが、そんなものは想像したくもない。
二人はまた、飛び跳ねるように翅を動かして、町から遠ざかっていく。それでも紫苑は、フネスに感じた視線がまだ自分に注がれている気がしてならなかった。
あの異様な空間は、あそこだけ別の時空に繋がっているような気がした。フネスという少女は、結局人間だったのだろうか?
そうではないだろう、と思った。フネスが何を言っていたのか、紫苑には理解が及ばない。ただ何か、壮大なことだったと思う。
自分と倖亜の行く末を示すような、そんな話だった気がする。しかしなぜ、それをタワーにいただけのフネスが知っていたのか、それは理解できない。
しかし倖亜にフネスとの一連を問おうとしても、どう話せばいいのかわからない。紫苑自体、あの時の感情を整理できないでいる。どのみち、自分たちにとっては済んだ話なのだ。それを倖亜にどう言えばいいのだろうか。
だが。
タワーの中でフネスが言っていたことが紫苑の脳内で渦巻く。輪廻? 魂? 何度も出会う……それは『君たち』。自分と倖亜を指していたのだろうか?
紫苑は倖亜のことを友達だと思っている。倖亜も、紫苑に悪い感情は抱いていない……と思う。
倖亜はフネスを殺害した。それは変えようのない事実だ。紫苑はそれを止めなかった。止める前に、倖亜の刃がフネスを貫いていた。どうしようもなかった。
「ユキ。あの子が言ってたカナンって、何?」
倖亜は紫苑を一瞥した。その目に侮蔑の表情がないことに、紫苑は少し安堵した。センシティブな話題は、倖亜には厳禁だと思っていたからだ。
倖亜は慎重な面持ちで紫苑を見て、言った。
「私たちがたどり着くべき場所よ。あそこには運命の終局点がある……。いいえ、運命そのものと言い換えてもいいわ。それを破壊するの」
「破壊? 薬を見つけるんじゃないの?」
「あなたこそ、何を言っているの?」
「病気になっちゃった人たちを元に戻す、ってことじゃないの? ユキの言ってることって。運命って、病気の人たちが暴れちゃうことなんでしょ? きっとそういう病気なんだ。だって人間が、あんな獣みたいに狂暴になるはずがないもの。それが多分、治療法の見つからない病気だから、そのための薬を探してるんだって思ってた……。ユキは、皆が幸せになれる方法を知ってるんだよね?」
あぁ……と倖亜は紫苑の考えを悟ったようだ。何かを諦めたような顔をしている。
違ったのだろうか、と紫苑は思う。
世界の皆が幸せな世界。こんな終末じみた世界ではなく、誰も苦痛を感じない世界。それを紫苑は望んでいた。
倖亜は紫苑に向き直り、言う。
「私は病気の人たちを直接救うわけじゃない。でも、私はあなたの言う通り、皆が幸せになる未来に向かっている」
「それはどういうこと?」
「真実は、あなたを傷つけるかもしれない。今は私についてきて。悪いようにはしない。これは、あなたの未来のためでもあるの」
倖亜なら、何かを成し遂げると思っていた。それだけの可能性を、何か輝くものを紫苑は倖亜に見出していた。
彼女は何か信念を持っている。紫苑に全部を話してはくれないが、倖亜の水晶のような瞳は輝いている。その目を見ていると吸い込まれそうになる。いつまでも見ていたくなる。
この気持ちは、どこから湧いてくるのだろう? 倖亜が綺麗だから、という理由だけではないと思う。単に小ぎれいなだけの人物なら、自分は心惹かれない。
もしかしたら。フネスの語った、輪廻。運命の人。そんな少女漫画を紫苑は読んだことがある。島に残っていた、誰が持ってきたのか知れない数少ない娯楽だ。数冊の本を、紫苑は擦り切れるまで読んだ。
生まれ変わりの彼と主人公の少女が来世で再び出会う、そんな話だった気がする。
倖亜が自分の運命の相手、巡り合うべき相手。そうだったら嬉しいな、と紫苑は思った。
倖亜は女の子だ。それでも構わない。紫苑は倖亜が好きなのだから。
それ以外に二人の間の真実はないだろう、と思った。
ただ、その言葉が、あのフネスから出たことだけが紫苑は気がかりだった。
・
紫苑はあまりにも無垢だ、と倖亜は思った。
テリオンも人間も、本質は変わらない。人類の歴史、テリオンの歴史を城で学んだ倖亜は知っていた。そして大人たちの汚さも間近で見ていた。
テリオンの王家にいれば、大人たちの政治的なやり取りは嫌でも目に入ってきた。倖亜を政治の道具として利用し、邪魔な者を蹴落として、民衆の統制を計った。人間を憎むテリオンたちの想いを背負うことに嫌気がさしたのもある。だがそれ以上に、地球を乗っ取った後の利権をめぐって血みどろの政治劇が繰り広げられたことも影響していた。
だからといって、人類がテリオンと真逆の清潔な生き物だとも思えない。
以前の輪廻でテリオン族が人類の世界に侵攻したとき。そのときはテリオン族は負けたのだが、人類の歴史書を持ち帰った。それは『聖書』という。
神に滅ぼされたソドムとゴモラの町が、倖亜にとって一番印象に残っている。そして同時に、なぜ神に選ばれた種族でありながら、愚かな行為を繰り返すのかと思った。聖書に書かれた人類の本質は、テリオンとほぼ変わらないのだ。
テリオンの世界は酸の雨が降り、血の味がする水で満ちている。今までテリオンの種族が人類に勝ったことは一度もなく、それゆえ皮肉にも卓越した身体能力をテリオンは得た。しかし知能は衰退しなかった。いっそ獣になってしまえばよかったのに、神が定めた残酷な勝負の再現のためだろうか。
倖亜はテリオンも人間も嫌いだった。いや、人間の形をしたものが嫌いなのだ。
その中で一人だけ、守りたいものがある。
言うまでもない。紫苑だ。
守ってあげたい。殺すなんて、とんでもない……。
自分は庇護欲とは無関係な女だと倖亜は思っていた。しかし今は、紫苑のために、世界を滅亡させる超兵器を破壊しようとしている。
ただ。
道中で紫苑に、穢れた世界は見せたくない。島で一人育った紫苑は、人の汚さを知らない。だからこそテリオンの獣の姿が、病気だと思い込んでいる。
そうではないのだ。
テリオンは、人間に変身能力が付随しただけの種族なのだ。
つまり、人間もまた綺麗なだけではない。
これからの旅路で、自分たちはいろんなものを目にするだろう。綺麗なものばかり見るはずがない。そこに人間の汚さ、怒り、悲しみはついてまわる。終末世界に生き残っている人間は少ない。しかし、カナンに至るためには人間の助けが不可欠だった。人間のいるところが、カナンへと続く道だからだ。それは伝承に書いてあった。
彼女を守りながら進んでいく。倖亜は強く思った。
・
島から出る前、自分に翅が生えたときからずっと、紫苑は夢を見ているような気持ちだった。
しかし色々なことがあり、二人で崩れ落ちた家を寝床にした夜、久しぶりに紫苑は夢を見た。
倖亜のような顔をした少女。
紫苑の顔の自分。
それが暗い空間で二人、刃を交えていた。きぃん、きぃん、と刃がかち合い、鳴る。
そして、倖亜の顔の少女は跪き、紫苑の刃の先に喉元を……。
そこで、はっと紫苑は跳び起きた。
「起きたのね。紫苑」
傍らに倖亜がいる。まだ心臓がどきどきしているが、彼女がいてくれれば安心だ。
「ねぇ、ユキ」
紫苑は言う。倖亜は少し身を固くして、聞き入った。
「あたしとユキ、これからも友達だよね?」
倖亜は少しの間無言。しかしすぐ慣れていない笑顔を見せ、紫苑に言った。
「そうよ。あなたと私は、ずっと友達。守るべき、友達……」
そこにほんの少しの焦燥の色があったのを紫苑は感じ取った。が、それを相手に伝えるべきなのか、気のせいだったのか判断する経験を彼女は持ち合わせていなかった。
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