第9話 少女と遺跡
紫苑と倖亜はひらひらと荒野を飛んでいく。
歩くより翅を使ったほうが負担が少ないことに、紫苑もようやく気づき始めた。
空中を跳ねて進むようにテンポをつけながら、遠くまで翅を広げる。
肩甲骨を剥がすように背中に力を入れると、翅が開いたり閉じたりする。空を飛んでいると、今まで自分に翅がなかったのが不思議なくらい、解放感と躍動感に満ちた気持ちになった。
しかし、自分はどこに向かっているのだろうと紫苑は思う。
彼女の先を行く倖亜は、これから向かう場所について何も言ってくれない。それについて倖亜はちょっとした会話の中でも口にしないことから、何となく訊きづらい雰囲気があった。
しかし意を決して紫苑は訊いてみた。
「ユキ、どこまで行くの?」
「……」
倖亜は無言で周囲の景色を確認する。
紫苑も倖亜の視線の先を見た。そこにはまた、壊された町があった。
荒野を進んでいく中で、町の残骸らしきものをいくつも見かけた。廃墟と化した町には人影はなく、破壊された建物が無造作に並んでいるだけだ。
「あそこ、人っているかな?」
紫苑が訊くと、倖亜は何とも言えない表情をする。
「いるともいないとも言えないわ。人間たちは、テリオンの侵攻で地下に潜ってる。ドームに守られた地域以外で表に出てくるのは、自殺行為に他ならないわ」
「詳しいんだね」
「色々調べてたから」
どのように調べたというのだろう。紫苑は不思議に思ったが、詮索しないことにした。どうせ解説されても、自分の足りない頭では理解できないと思った。
おそらく人間たちは、あの自警団のように隠れて暮らしているのだろう。ただの一人もいなくなっているなら、地上はとっくにテリオンのものになっていてもいいはずだ。
だとしたら、と思うと紫苑は少し悲しくなった。島に来ていた商人はテリオンだったし、人間を見たのは自警団の男たちが久しぶりだった。しかしあのような形で終わるとは、空しすぎる。
人のぬくもり。そうしたものを紫苑は島の外で感じたかった。しかしその望みは儚くも断たれた。人間とテリオンが戦争をしていることは知っている。それでも、あんな風に拒絶されたのは傷ついた。
この世の誰も自分に優しくしてくれないんじゃないか、とさえ思うときがある。
だが、倖亜は違う。
倖亜は多くを語ってはくれないが、確かに紫苑を思いやっているという気持ちを感じられる。それだけが紫苑にとって救いだった。
できればずっと倖亜と友達でいたいと思う。
旅をするうちに、また人間たちのいる場所に行きつくだろう。そこでまた傷つくこともあるだろう。だが、倖亜と共にいれば、何があっても乗り越えられる気がした。
町の上を飛んでいると、廃墟の街の中に聳え立つものが見えた。
空を突くような青い塔。エキゾチックな装飾を施した外見は、燃えかすのような瓦礫の中でも焦げ付くことなく立っており、異彩を放っている。
「あった……あれが『タワー』。私が探しているものの目印よ」
「それって、何なの?」
「どうやら、何世代も前の先祖が遺したものらしいわ。私達の種族での、何百年も前の伝承だからあてになるかわからないけど。でも、あれが戦争の中でも立ち残っている以上、調べる価値はある」
倖亜は青い塔を見据えていた。紫苑にはその意味は掴みかねたが、どうやら倖亜にとって重要なものらしいことはわかる。
気づけば、太陽が西に傾いていた。半日以上飛んでいたのだ。紫苑は初めての体験に夢中になって翅を動かしていたが、倖亜はどうだろうか。
「ユキ、疲れてない? だいぶ飛んだよね、あたしたち」
「私は慣れたものよ。あなたこそ、大丈夫? 翅が生えてから、あんまり日が経っていないのに」
気遣いを返されるのは想定外だった。紫苑はその気持ちに感謝した。
「平気だよ。ありがと」
紫苑は倖亜に微笑む。
倖亜は少し驚いた顔をして、頬が少し赤くなる。
まるでねぎらいの言葉をかけられたのが初めてというように。
「……でも、一旦降りましょう。このタワーのデータを知る必要があるわ」
ふわりと倖亜は降下体勢に移った。紫苑もそれに倣う。
二人の蝶は廃墟の町に降り立つのだった。
・
音無倖亜は、杠紫苑について考えを巡らせていた。
テリオン族の伝承に伝わる仇敵。揚羽蝶の翅を持つ人間。
モルフォ蝶の翅を持つ自分たちの代表と同等の能力を持ち、そいつを倒せばテリオンが地球人に取って代わることができる。
だが、倖亜はどこかで、その揚羽蝶の者を運命の相手だと思っていた。
永劫に渡り殺し合うことが宿命づけられた相手。それはもはや前世から因縁のある恋人と言っても差し支えない。
テリオンの王族の城に生まれたときから、勇者と魔王の話は読み聞かせられていた。その度に、自分が戦うのは誰だろうと寝床で一人思いを巡らせていたのだ。
倖亜はそれに会うことができたなら、何か話をしてみたかった。
相手は自分の宿命についてどう思っているのだろうと。
輪廻は、魂は存在する。この世でもあの世でも、自分たちは報われることはない。
そこに意味はあるのだろうか。相手の視点から聞いてみたかった。
地球に逃げてきたのは、厳しい戒律から逃げることと同じに、それを知りたかったためもある。
だが、実際に会った揚羽蝶の者は、自分の運命について何も知らなかった。
倖亜としては彼女に真実を教えることなど、到底できない。残酷な真実を突き付けるのは、紫苑にとって悪夢でしかないだろう。
だから、もう少しこのままでいたい。
殺し合うような事態は避けたい。しかしそれよりも、紫苑の温かみあるまなざしを、もう少し感じていたい。
そのために嘘をつき続けることに罪悪感を感じながらも、倖亜はそれを選んだ。
テリオンが地球に侵攻を開始してから、その近況は王宮に届いていた。倖亜は毎日人間が衰退していく様を、ニュースとして聞かされていた。
可哀想だ、と思ったが、自分が救いたい、とは思わなかった。人間がより身体能力の優れたテリオンに滅ぼされるのは弱肉強食、自然界の掟に他ならないからだ。
でも、紫苑は守りたいと思う。
彼女には純粋さと、何も知らないからこその危うさもある。彼女は世界の邪悪さを知らない。
自分が守っていかねば、と倖亜は強く思った。
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