第8話 少女と戦いの後

 紫苑は据わった目でライオンを見ている。

 ライオン男は思わぬ反撃を受け、やや驚いたものの、狩りを楽しむ者の顔つきになった。


 紫苑は命のやり取りに巻き込まれつつも、思った以上に冷静な自分に驚いていた。まるで頭脳よりも魂が、こうした状況に慣れているかのようだった。

 自分の生み出した剣がどのように相手の命を奪えるか、その構図が頭に思い浮かんでいる。頸動脈を切断する、胴体を袈裟斬りにする、色々な方法が考えつく。


 ライオンは余裕ある体勢から瞬時に相手の動きを伺う体勢に移った。それはライオンが紫苑の力を認めた証だった。

 紫苑は考える。考えると同時に身体が動く。

 これから自分が通るべき空間に糸のような線が刻まれ、それを辿っていけばいい。紫苑の目には、常人には見えない感覚が宿っていた。

 まるで瞬間移動のように、紫苑はたっと床を蹴り、相手の懐に飛び込んだ。冴えわたったセンスに用意されているに等しい行動には、迷いなどない。


 ざんっ、とビームの刃が軌跡を描く。

 ライオンの喉元に迫った刃はその皮膚を抉り、ばっと血を撒き散らせた。

 しかし間一髪で頸動脈を外れたのか、ライオンは飛び退って傷口を押さえ、ぎりっと奥歯を噛んだ。

「速い……やりますね!」


 紫苑は湧き上がる自身の力を感じていた。戦いのために身体の全細胞が躍動し、相手を殺すためにどうすればいいかを弾き出す。

 取調室であるこの部屋は、大きな空間ではない。

 ライオンの体躯であれば、この狭い部屋では大きな跳躍はできない。一方で敵の攻撃を避けにくいということでもあるが、紫苑の小柄な身体ならば潜り抜けることができるだろう。


「こっちの番です……!」

 じゃきん、と爪が唸る。

「しゃあっ!」

 ライオンは案の定、直線的な攻撃に移った。

 溶断されていないほうの爪で紫苑を斬り裂こうとする。が、その大味な動きは紫苑は既に見切っていた。


 スライディングし、爪の一撃を避ける。空振りした爪は床に突き刺さり、ライオンは身動きが取れなくなった。必死で爪を抜こうとするものの、その時は既に紫苑に背中を取られていた。

 ぎょっとした目で、ライオン男は首を向けかける。

「呆気なかった、のは……」


 その瞬間、紫苑の刃がライオンの首を切り落とした。


 ざくっ、と断ち切る音がした。


「私、でしたか……」


 空中に舞ったライオンの首は回転し、呆然とした顔で紫苑を振り返った。くるくると回った挙句、ライオンの首はどさっと床に落ちた。

 だくだくと血が傷口から溢れ、首を失った身体は力なく倒れる。

 床に転がった首には、未だに「信じられない」と呟き続けているかのようだった。


 這いつくばりながら一部始終を見守っていた倖亜は、紫苑の無駄のない殺戮に見入っていた。

 

「紫苑……」

 倖亜はその先をどう続けようか迷っているようだった。

 ふっ、と急に紫苑の肩から力が抜ける。

 紫苑は床に倒れ、ひゅー、ひゅー、と細く息をした。虫の息の紫苑は、病み上がりのような目をしている。今ので相当エネルギーを消耗したのだろう。

 倖亜は這いずりながら、紫苑のもとにやってきて、その手を掴んだ。


   ・


 拠点の出入り口には見張り兵が立っていたが、内側から出てくる紫苑と倖亜を見て驚く者はいれど、止めようとする者がいなかった。

 倖亜が「どきなさい」と言うと、防護服の男たちは道を譲った。くたびれた紫苑に肩を貸す倖亜の目は、鋭さを帯びていた。

 死の灰を被った町から離れ、荒野に少女たちは歩き出す。

 紫苑に意識が戻り、身をよじったところで、倖亜は紫苑を近くの岩まで運び、座らせた。


 紫苑の腕はがくがくと震えていた。戦いの余韻がまだ残っているようだ。

「ユキ……あたし、さっき、何したの?」

「あなたは凄かったわ。あんな怪物をやっつけられるなんて」

 倖亜は微笑んで、紫苑を褒めたたえる。しかし紫苑は、自分の手が命を奪ったということを許容できないでいた。


 そして倖亜に疑惑の目を投げかける。

「ユキ、あのライオンはあなたが自分たちの仲間みたいに言った。あなたは一体、何者……?」

「それはね」

 倖亜は言った。そして、空に浮かんでいる赤い惑星をバックに続ける。

「私、空にある赤い地球から落ちてきたの。あそこは怪物の星よ」


 いたって涼しい顔だった。紫苑は更に青ざめる。

「じゃあ、ユキはやっぱり、あの怪物の仲間……!」

「紫苑、落ち着いて。テリオンは元々、人間と同じ種族。これは……そう、別の世界で病気が流行ってるの。人間の姿が変わっちゃう病気。その世界と地球が近づいて……。厳密に言えばあなたも、同じようなものよ」

 紫苑は押し黙った。

「……つまり、病気のせいで凶暴になった人たちが、地球をこんな世界にしちゃったの?」

「そ、そうね……。そうよ。そして、このまま放っておいたらみんな死んでしまう。それくらい怖い話なの」

「ユキ、これからあたしたち、どうしよう……?」

「世界が滅ばない方法を見つけに行く!」

 ぐっと倖亜は語気を強く言った。


「私は紫苑と共に生きられる未来を作ろうとしてる。変えられない運命なんてない、そう信じてる。一緒に行きましょう。あの赤い星にはなかったけど、青い地球上に、未来を変える手掛かりがあるかもしれないのだから」

 倖亜は紫苑に手を差し伸べる。

 うん、と紫苑は頷いて、倖亜の細い手を握った。


「ユキ、あったかいね」

「紫苑、新しい服はどう? 温かい?」

 紫苑はくしゃっとした笑みを倖亜に見せた。

 倖亜の話は、完全に理解したとは言い切れない。倖亜が最終的に何をしたいかもわからない。薬でも見つけるのだろうか?

 それでも、倖亜が紫苑を思いやる気持ち、世界を何とかしたいという気持ちは伝わってきた。

 傷ついた心と体に、その温かさがしみこむ。今はそれでよかった。

 

 荒野に雪がちらつき始めた。


   ・


 倖亜は深い罪悪感に囚われていた。

 多少の真実を混ぜた嘘の方が信用されやすい、と言っていたのは誰だったか。

 病気が流行っているのは嘘。世界が滅ぶのは本当。紫苑もテリオンかもしれない、というのは、神が人とテリオンを隔てたときに、揚羽蝶の魂を持つ者の遺伝子に細工をした可能性がある。


 実際に紫苑はテリオンと互角、いや、それ以上の戦闘を繰り広げた。

 あれほどの力は、自分……モルフォ蝶の魂を持つ者を殺すための本能的なものだ。

 本来なら刃を向け合うべき二人。しかし倖亜は紫苑を騙し、自分の目的に協力させようとしている。


 もし倖亜の目論見通り『あれ』を破壊できたなら、人類とテリオンの地球が滅ぶことはない。


 それならば紫苑も自分と戦わずに済む。これが最適解なのだ。

 そう思いつつも、友達を騙している事実が倖亜の心を蝕んでいった。 


   ・


 荒野に黒いコート姿の少女が二人。揚羽蝶とモルフォ蝶の翅を持つ少女たちの背中は、儚さを帯びていた。

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