第7話 少女とライオン

 ライオン男は紫苑を舐めるように見た。その視線が島の商人だった狼男を彷彿とさせ、紫苑はぞくりとした。

 男たちからこうした目を向けられることに、紫苑は恐怖を覚えつつあった。


「なんで……なんで、あたしを殺したいの?」

 紫苑はライオンに訊く。

 そんなことも知らないのか、とライオンは意外そうな顔をした。

「自分がなぜ殺されるのも知らないまま死ぬのは可哀想ですね……ま、知る必要もないでしょう」

 ライオンは爪をじゃきんと展開した。長い鉤爪は牙のようでもあり、紫苑を畏怖させるには十分な鋭さを持っている。

 殺られる、と紫苑は思った。


「紫苑に触るな!」

 ついに倖亜の堪忍袋の緒が切れたらしい。

 倖亜は掌から剣の柄を出現させ、握る。それとともにビームの刃が柄の先から現れた。

 ライオンはぐるりと倖亜に顔を向け、「ふん」と腕を振るう。

 ドズン! と肘が倖亜の腹に命中し、人体にあるまじき音が響いた。

 倖亜は「うっ」と呻いて後ろに飛ばされる。そのまま彼女は背中から壁に激突した。

 壁の漆喰が剥がれ、土埃のような粉塵が周りに吹き上がった。


「ユキ!」

 紫苑が倖亜を向いて叫ぶ。紫苑は今すぐ駆け寄ろうとしたが、睨みつけるライオンの目に殺気を感じ、金縛りに遭ったように動けなくなってしまう。

 ライオンはぽりぽりと頭を掻いた。


「これはこれは。モルフォ蝶の君。なぜ私に刃を向けるのです? 我らの救世主であるはずのあなたが、一体どういう風の吹き回しです?」

 倖亜は粉塵の中で立ち上がり、ライオンを睨みつける。

 彼女の目は、鋭い鷹のような輝きを放っている。

「お前なんかに、言うもんか……! 紫苑はやらせない……!」

 話をしても無意味だ、とばかりにライオンは冷めた目を倖亜によこす。

 それからつかつかと倖亜に歩み寄り、立ち上がろうとする彼女に蹴りを見舞った。

 ドガッ! と鈍い音がする。

「がっ……!」

 腹部を蹴られた倖亜は再び呻いて、うずくまった。血の混じった唾が床にぽたぽたと落ちた。


「お父様に教えられなかったんですか? テリオン族の戦い方を。教え込まれてその程度ですか? でしたら甚だ期待外れですね」

 倖亜は再びぎりっとライオンを睨む。

 その手が細かく震えているのを見て、ライオンは何かを悟った顔をした。

「……なるほど。怒りが絡むと逆に弱くなるタイプと見える。本来のあなたは気高くあるべきだ。それがひどく濁っている……。であれば、迷いの源を断てばきっと、本来のあなたになるでしょうね。その場合、もうあなたに誰も用はないのですが」


 げしっ、とライオンは倖亜の背中を足蹴にする。ぐうっ、と無念と屈辱の詰まった声を上げ、倖亜は動けなくなってしまう。

「ユキ、ユキっ!」

 紫苑は叫ぶ。が、どうすればいいのかわからない。

 紫苑には狼男を倒したときの記憶はなかった。暴力を前に彼女はどうしようもなかった。

 ライオンはつまらなそうな顔をしながら、視線を紫苑に移した。

 ゆらり、ゆらりと迫ってくるライオン男に、紫苑は恐怖を抱いて固まってしまう。

「呆気ない。少しは抵抗してくれてもいいんですよ? そのほうが嬲り甲斐がある」


 紫苑は頭が真っ白になる。


「紫……苑!」

 刹那、倖亜は叫んだ。

「そいつを殺すことだけを考えて! そうすれば、武器が出てくるわ!」

 紫苑は必死で、それを考えようと努めた。

 他人に殺意を抱いたことなどない。殺したいと思うなんて、人としてもってのほかだ。そんな感情とは無縁で生きたいと紫苑は思っていた。身近な人々が死に、命の重さを知っている紫苑だからこそ、他人に『死』を味わわせたくなかった。

 母が死んだ時を思い出す。母が死ぬまで、紫苑は彼女に触れていた。命が抜け、体温が下がっていくのを紫苑は肌で感じた。


 しかし、今。

 紫苑の母が感じたような『死』を、暴力でもって紫苑に与えようとする者がいる。今、紫苑は死ぬわけにはいかない。

 紫苑は旅立ったばかりだ。だから、始まったばかりの人生を否定されたくはない。


 頭がさあっと冴えた。本能が『生きる』ことに集中し、そのための最適解を導き出す。

 紫苑の掌から剣の柄が飛び出す。紫苑はそれを掴み、構える。

 びぃん、と空気が揺れる音がして、ビーム粒子の刃が形成された。


 がちぃん、とビームの刃とライオンの爪がかち合う。

 ビームの粒子が物質を侵食し、ライオンの爪を溶断した。

 爪の先が断ち切られ、攻撃が空振りになったライオンはビームを避けるため上体を大きくのけぞらせた。

 ライオンを見据える紫苑の瞳は、完全に据わっている。

 紫苑は自分が生きるために、全神経を慣れない殺意に向けていた。


「やっとその気になりましたか。面白い……血が騒ぎますね……!」

 ライオンのどんよりとしていた目がきらりと輝いた。

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