第5話 少女とブティック
紫苑と倖亜は海を超え、港に降り立った。
コンクリートで固められた港には人影がなく、粘土にまみれた海鳥が不幸せそうに埠頭で身を震わせていた。
「死の灰に覆われた町……」
そんな感想が紫苑の口から出た。
海沿いの町は、しんと静まり返っている。雪が積もるように屋根屋根は灰を被っていた。おそらく核の灰が風に乗って飛んできたのだろう。倖亜は町がこの有様でも、こともなげに言う。
「とりあえず、服屋を探しましょう」
「服屋? こんな町の服屋がやってるの?」
「やってるわけないわよ。でも着るものを探さないと。あなた、コートの下は裸じゃないの」
言われて初めて、紫苑は痴女のような格好の自分に気づいた。
蛹から出たままの姿で倖亜の前にいても何も思わなかったのに、露出魔のような服装をしている事実に恥ずかしさが込み上げてくる。
「早くお店探そう! さ……寒くなってきた!」
病は気からというが、悪寒までしてきて、紫苑は倖亜をせかした。
倖亜が少し笑ったのは気の所為だったろうか。
・
町角のブティックは人気がなく、黒いフレームで囲われているものの寂れている。もはや客が来なくなって久しいと察せられた。
ブティックの扉には『CLOSED』の札が掛けられている。裏の『OPEN』が表にならなくなり、どれほどの時間が経ったのだろう。
紫苑は躊躇ったが、倖亜はお構いなく扉を開ける。ぎぃ、と音がして扉は開いた。鍵はかかっていないようだ。
棚に並んだ服は誰も手入れしていないのか埃を被っている。倖亜は手近にある女性向け衣類を手にして、紫苑を振り返る。
「紫苑、何が着たい?」
「何でもいいよ、お洒落なんてしたこと、ないし」
「ここには何でもあるわよ。好きな服を着ていいの」
「そう言われてもなぁ……」
紫苑はうーん、と店内を見回した。
元々ここは洒落た店だったらしい。紫苑はTシャツ的なものがあればそれでいいと思っていたが、あちこちに設置されたマネキンに着せられた服、棚に貼ってある広告は若者向けのファッショナブルなものだった。
マネキンはにこやかにほほ笑んでいる造形だったが、白く瞳のない目は虚空を見つめており、何に向けるともない笑みがその顔に浮かんでいる。
紫苑は悩みつつも、倖亜の服を見た。彼女の服装は簡素ながら、黒を基調とした統一感がある。ダークグレーのやや膨らんだシャツ、ぴっちりとした黒いミニスカート。今は紫苑が着ている黒のコートを彼女が着れば、女性的でありつつも格好いいシルエットになっていた。背中のサファイアのようなモルフォ蝶の翅もコントラストを添えている。
姿見がそこらに置いてあり、紫苑はコートを倖亜に渡して、改めて自分の背格好を凝視する。裸の自分は一度生き返ったこともあり、以前のざかざかした肌ではない。しかし悲しいほど痩せた胴体。細い手足。何も主張しない胸。本当に面白みのない身体だ。
こんな何もない自分が何を着たところで、意味などないのではないか。しかし紫苑の思いをよそに、倖亜は勝手に服を探して、何着か手に取り、紫苑のところに戻ってくる。
「これなんかいいんじゃないかしら」
そう言って服を差し出す倖亜の顔はどこか楽しそうだった。まるで着せ替え人形で遊んでいるような表情だ。
紫苑は苦笑しながら、差し出された肌着と服を手に取った。やけに厚みのある服だった。
試着ルームで紫苑が服を着ると、ゴスロリ衣装の少女が現れた。フランス人形の着るような衣装と自分が釣り合っているとは思えず、紫苑は恥ずかしく思いながらも倖亜の前に姿を現した。
「これ、恥ずかしいよ……」
そんな紫苑を満足げに倖亜は見る。しげしげと観察し、彼女はため息をついた。
「中々可愛いじゃない」
「可愛い……あたしが?」
「そうよ。言われたこと、ないの?」
「ないよ」
意外そうに倖亜は紫苑を見つめた。それが本当に意外そうな顔だったので、逆に紫苑が怪訝な顔をした。
紫苑としては、自分に価値があるとは思っていない。しかし倖亜にとっては違うらしい。それが不思議で仕方なかった。
それから、倖亜は急に丸く笑って言った。
「そう……じゃ、紫苑の可愛さを独り占めできてるのね」
「こんなのでよかったら、いくらでも」
そう言われて調子に乗ったのか、倖亜は色んな服を持ってきては目を輝かせて紫苑に着せた。
お嬢様のような服。メイドのような服。執事のような服。紫苑の背中の翅が邪魔になるので、その都度倖亜がハサミを入れた。そんなことしていいのか、と紫苑の方がハラハラした。
どれも紫苑は自分に似合っているとは思い難かったが、倖亜は紫苑の移り変わる姿に興奮しているように見える。それを見て、紫苑は自分も少し楽しくなってきた。
外の景色はだんだん暗くなっているが、昼でも灰色の空なので、少女たちは夜の訪れを実感できずに長々と店に居座っている。
最終的に紫苑は、倖亜と同じ服を着ることにした。
黒を基調にした服は、自分の揚羽蝶の翅と主張し合うことなく溶け込んでいる。これがいい、これが落ち着くと紫苑は思った。紫苑が選んだ服に、倖亜は疑問を抱いたようだった。
「なんでそれを選んだの?」
倖亜が訊いてきたが、紫苑はにこりと笑って答える。
「ユキと同じ服だから、いいんだよ」
「なんでよ」
「あたしが好きなユキと同じ服だから、だよ」
倖亜はそれを聞いて、複雑そうな表情になった。が、すぐ笑顔に戻った。
「紫苑がそれでいいと思ったのなら、いいんじゃないかしら」
紫苑は調子づき、倖亜をいじるような顔をする。
「ユキも何か着てみてよ」
「私は……いいわよ」
「誰もいない店なんだし、バチは当たらないよ。待ってて。ユキに似合いそうなの、探すから……」
紫苑は自分も服を持ってこようとした。倖亜は若干困った顔をする。
だが、そのまどろみは次の瞬間に失われた。
少女たちが服選びに興じているところに、がしゃあんと入り口のガラスの割れる音が乱入する。
紫苑と倖亜が目を向けると、瞬く間に防護服姿の男たちに取り囲まれる。
「動くなっ!」
それは男の声だった。男たちは銃を持っていた。いくつもの銃口と、スーツに備わったライトが二人の少女に向けられる。
「我々は自警団だ! この町への侵入者は連行する!」
やれやれ、と倖亜は肩をすくめる。それと対照的に、紫苑は冷や汗を流していた。
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