第2話 少女は貫かれる

 それから、紫苑と倖亜の奇妙な共同生活が始まった。


 紫苑と倖亜は朝目覚めて、資材を拾いに行く。倖亜の体調はまだ万全ではなく、何日か休息をとる必要があった。

 紫苑は家で寝ているべきだと言ったが、倖亜は自分から紫苑の手伝いをしたいと申し出た。そうは言っても、今まで紫苑一人で何とでもなっていた生活だ。一人増えたところで何をさせるでもない。

 一体何をやらせようか。紫苑が考えたのは、資材集めの助手だった。

 

 体重が軽いとはいえ、倖亜は自分と比べて幾分力があるようだ。重いものを軽々と持ち運べる。行き倒れていた女の子に重い鉄を持たせるのは気が引けたが、倖亜は特に苦にはしていないようだった。


「ゆきあ、さん……でいいのかな?」

「何が?」

「呼び方」

 二人で浜に向かっているとき、紫苑は倖亜に訊いてみた。倖亜は突然の発言に戸惑ったようだった。


「なんで呼び方を気にするの?」

「お互いのキョリ、っていうかさ。そういうこと考えるの、あたし苦手なんだ。だから、あなたが呼んでほしい名前であたし呼ぶよ」

「そうね。でも『さん』付けは正直カタいし、呼ばれていい気分はしないわね」

 紫苑は少ししょげた。倖亜は慌てて取り繕う。


「別に紫苑のせいで嫌な気分になったとか、そんなんじゃないわよ。紫苑の好きなように呼んでくれて構わないわ。他人との距離感とか、わからないもの。私、今まで友達とかいなくて」

「そっか。それじゃあ、ユキって呼んでいい?」

 倖亜は紫苑にとって初めての友達。紫苑は彼女を、ニックネームで呼びたかった。

 ちょっとラフすぎるかと思ったが、自分にとって友達とはそういう関係性でいたい。

 倖亜は奇妙そうに紫苑を見つめて少し考えた後、「いいわよ」と言った。


「よろしくね、ユキ」

 紫苑の顔に屈託のない笑みが広がる。

 倖亜は本当に不思議そうに紫苑を見つめていた。


 浜で漂着物を物色。倖亜が頭陀袋に銃器の破片を入れるだけ入れ、紫苑は大漁だねとまた笑った。

「これなら商人のおじさんも高く買ってくれるよ」

「おじさん……?」

 ぴくっと倖亜は眉をひそめた。

 どうしたんだろう? と今度は紫苑が不思議がる番だった。

 倖亜の顔には複雑な色が込められていた。


   ・


 紫苑を憎んでみようと思った。が、倖亜にそれは無理だった。

 自分に向けられる紫苑の無邪気な笑みを見ていると、自然とこちらも心が緩んでしまう。人間だから、自分たちと戦う種族だからという理由で彼女を憎むことなどできない。


 テリオンのセカイでは、倖亜は常に一人だった。自分たちのセカイを代表する蝶。それが倖亜だ。

 人間を代表する蝶を殺し、テリオンの地球を表の世界にするのが倖亜の使命。倖亜が生まれたとき、テリオンの民衆は沸き立った。

 王族として育てられた倖亜は、他人の愛情を感じることなどなかった。来る日も来る日も剣の鍛錬。それは仇敵を殺すためのもの。人殺しのためのもの。そんなものに、倖亜は誇りなど持ちようもなかった。

 

 倖亜は逃げ出したのだ。あの牢獄から。

 大人たちの期待という重圧から逃れたかった。自由になりたかった。

 他のテリオンがどうなろうが、人間がどうなろうが倖亜にはどうでもよかった。運命の束縛を受けない場所へ、モルフォ蝶の翅を羽ばたかせ飛んでいった。


 そしてテリオンの星から飛び出して、力尽きて地球の海に落ちたのだ。

 そのまま流されて、この島に着いた。そうしたいきさつがある。


 島で出会った少女紫苑。偶然出会ったにしては、彼女の存在は不思議すぎた。紫苑は倖亜にはないものを持っている。純真さ。人を疑わない心。その美しさに、倖亜は惹かれていたのだった。


 体調が戻り次第すぐ島から出ていくつもりだったが、倖亜は紫苑と二人きりでいるときにまどろみを感じた。ずっとこのままでもいいと思ったくらいだ。


 だが、不意に聞こえてきた音に、倖亜は警戒心をあらわにした。


 ぎこぎこ、と遠くから舟をこぐ音が聞こえる。

 紫苑はそれを聞いて、おっ、という顔をした。


「あの人、商人だよ。あたしの島に資材を買いに来るの」

「商人? 何年も来てるの? こんな島に?」

「そうだよ」

 何の疑いもなく言う紫苑に、倖亜は強烈な違和感を覚えた。

 何かが海から、彼女たちのいる浜に向かってくる。それはいかだだった。立派なものではなく、帆もない。その上にはドラキュラ伯爵のように身なりを整えた男がいて、オールを振るっていた。こんなもので海を渡ってきたのだろうか、と倖亜は目を疑った。


 紫苑は水平線より来るいかだに駆け寄った。胡散臭い男は、首をぬるりと伸ばして紫苑を見る。いやらしい顔が少女を値踏みしていた。


「紫苑ちゃん、それはお友達かい?」

 絡みつくような声音で言う男に、紫苑は無邪気に答える。

「そうだよ。最近知り合ったの」

「そうかい……」

 男はため息をつくように言った。


「紫苑ちゃん、可愛くなったねぇ。年はいくつになった?」

「多分……十四歳。お母さんが死んで十年になるから」

「そうか、そうか……」

 男は感慨深げに言った。

 紫苑と何年も付き合いがある、というのは嘘ではないらしい。紫苑の顔に警戒心は微塵もなかった。


「なら、食べ頃だねぇ……」

 男はじゅるり、と舌なめずりをした。嘗め回すような視線が紫苑を捉える。

 その時、倖亜は全てを悟った。この男は敵だと。

 目の前の人物の変貌に、えっ、と顔色を変える紫苑。

 みるみるうちに男の身体が変異した。


「紫苑!」

 倖亜は我知らず叫び、紫苑に向かって走った。

 

 男の身体は内側からめきめきと盛り上がり、怪物の姿となった。

 狼男。そうとしか形容できない存在に男は変わった。

 目を爛々と輝かせ、獲物にかぶりつこうとする肉食獣そのものだ。


 テリオン族。人間のセカイから放逐された怪物。普段は人間と変わりない姿をしているが、その正体は神話の怪物に似ている。

 それはかつて人間と変わらなかったテリオン族が、弱肉強食のもう一つの地球で時代を経て身につけた能力だった。


 倖亜は掌に力をためた。

 彼女の掌から刀の柄が浮き出す。倖亜がそれを掴むと、柄の先端からビームが迸り、剣の形を取った。

 倖亜の背中にある、モルフォ蝶の翅がぴんと緊張し、滑空する。


 しかし倖亜が駆け付けたときには、もう手遅れだった。


 狼男の鋭い爪が、紫苑の痩せた身体を貫いていた。

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