高級車の男

根竹洋也

高級車の男

 ロールスロイス。

 誰でも知っている高級車の代名詞、富裕層の象徴。だが私はそれが単なる成金の乗り物では無いことを知っている。英国の生んだ、ジェントルな貴族のための乗り物だ。

 幼い頃から自動車が大好きだった私は、他の同級生達と同じく、フェラーリやランボルギーニといったスーパーカーに心奪われた。だが、知識が深まり、また年齢を重ねるにつれて、そのような派手な車ではなく、英国貴族のために作られた重厚な高級セダンに心を奪われたのだ。美しく輝き、道行く凡庸なる乗用車達に格の違いを知らしめるパルテノングリル。紀元前の昔、ギリシャで作られた神聖なる巨大建造物の名を冠する、このあまりにも有名なグリル。その重厚かつ繊細な造形。前を走る車はプリウスだろうがメルセデスだろうが——「ベンツ」などと呼ぶのは3流の人間のやることだ——、レクサスだろうが、その威光に蹴散らされるのだ。堂々たる車体は優に5mを超え、6mに迫る。快適極まりない後席をその内に宿し、職人がその生涯を尽くして磨いた技を尽くした美しいインテリアは、木目調とか、金属のような偽物には絶対に出せない風格を醸し出す。触れる場所の質感、可動部品の動作音、そしてその車内の匂いまでも美しい。「必要にして十分」な動力性能を生み出すパワートレインは、まさに必要以上にその存在を誇示することは無い。しかし、ひとたびその力を解放すれば、道行く凡庸なる乗用車ども——つまりBMWや、レクサス、そしてプリウスなどのことだ——がいくらアクセルをベタ踏みしたところで、鼻歌交じりにぶち抜くのだ。彼らはバックミラーの彼方に消え去るだろう。そしてそんな場面でも、改造車のような下品な排気音エグゾーストノートを響かせるようなことはない。たた静かに、エレガントに、パワフルなのだ。

 ずいぶん好きなのはわかったが、乗ったことはあるのかって?ふふ、当然だ。私はロールスロイスファントムを新車で購入したのだ!どうだ、参ったか。

 私はいつものように、これ以上ない程の誇らしい気分で愛車のハンドルを握っていた。


 時折、頭をかすめるのは35年ローンの支払いがあと何年残っているか、だが。


 私は自動車向けに35年ローンを組める金融機関を探すことに数年を費やした。

 さびれた田舎の空地。そこに郵便ポストと表札だけが立っている。そこへ、堂々としたパルテノングリルをその鼻先に得意げに引っ提げて、悠然と私のロールスロイスが入ってくる。空地は車の大きさの2回りほどの余裕があるだけだ。

 ここは駐車場ですか?いやいや、ここが私の家なのだ。

 この美しいインテリアに包まれていれば、凡庸な狭苦しい住宅を建てる必要は無い。土地だけ買って、そこに我がロールスロイスを停め、車内で暮らせばよい。そんな名案を思いついたのは、35歳をすぎた頃だっただろうか?そうして私は家を建てることをやめ、全力の長期ローンで5000万円を超える新車のロールスロイスを購入したのだ。

 まったく実に誇らしい。つまらない会社の仕事もこの車を維持するためと思えば、頑張れるというもの。最初はこの自宅兼自家用車で通勤すると、どういうわけか怒られたものだ。社長より良い車に乗るなだとか。そんなたわごとは聞き飽きた。この美しい芸術品の価値をわかる人間が乗って何が悪いのか?そんな野暮なことを言う社長や課長は、金だけあって心が貧しいのだ。そして、そのうち何も言われなくなった。彼らもようやくわかってきたようだ。最近はほとんど誰も話しかけて来なくなった。この車に感じる畏敬の念を、そのまま私に感じているのだろう。時よりかわいそうな目で見られるような気もするが、気のせいだ。

 そういえば今日は会社の帰りに、「もう二度と来なくて良い」、と言われた気がする。あれはどういう意味だろうか?私からにじみ出てしまう英国貴族の気品が、相対的に社長をみすぼらしく見せてしまう、だからもう来ないで欲しい、お願いします、と言うのがその本音なのだろう。私が愛車の中で仮眠を取る時間が少しばかり長いのは、関係がないはずだ。

 この車は完ぺきに近いが、残念ながら家にするには困ったことが一つある。そう、トイレが無いことだ。これも仕方の無いこと。この美しい芸術品にトイレは似合わない。付いていないのはまさにエンジニアたちの英断だ。私はその柔らかな革の感触に名残惜しさを感じながら、用を足すために扉を開けた。私は自分で運転をしているからもちろん運転席から出るのだ。この車は自分で運転する車じゃない、という嘲笑を浴びせる輩がいるが、とんでもない。後席は確かに快適だが、後席にはハンドルもアクセルも無いのだ。それでは運転できないではないか。動かない自動車など不動車だ。後席は夜寝るときに座るものだと、私はしっかり理解している。さて、徒歩で15分ほどかかるところにある公園の公衆トイレに向かうとしよう。

 ん?なぜ車で向かわないのかって?おいおい、勘弁してくれよ。公衆トイレにロールスロイスで向かうイギリス紳士はいないだろう?それに運動不足解消にもなるのだ。

 そうして用を足しに公園に向かう。ロールスロイスに乗っていない自分というのはまるで自分では無いようだ。そう、ロールスロイスに乗っている自分こそが自分なのであり、今は仮の姿。トイレに行くための仮の姿なのだ。そんなことを考えながら、用を足した私はまた来た道を戻る。往復30分。決して便利な立地ではないが、その分穏やかな自然が広がる心地よい土地を見つけることが出来た。そしてお手軽な価格だ。ロールスロイスを末永く美しい状態に保つためには、限られたコストをうまく分配しなければならない。住所を得て車庫証明を出すためだけの土地にコストを割くわけにはいかないのだ。結婚も同じだ。嫁や子供に割くコストなど無いのだ。特別なローンの金利は特別に高かったのだし、仕方の無いことだ。

 そうして私は自分の家に帰ってきた。そこには寂しい土地と表札、郵便ポスト、そして不釣り合いにぴかぴかなロールスロイスが停まっている。


 気が付くと、私は泣いていた。

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