『息子が語る』

『ユウジの顔が、私と裕二を救ってくれたんです』


 ええ、これは確か、母が数年前に出演した討論番組ですね。

 確か「母親が子供にすべきことは?」というテーマだったでしょうか。

「日本初のバーチャルチャイルドアクターの母親」として、出演していたものだったと思います。


 母の言っていることは正しいですよ。僕もだいぶ「ユウジ」に助けられたんです。


 あの頃、本当に僕は子役の仕事が辛かった。

 周りの子たちと違う、という点が最初の頃は誇らしくもあったんですけどね。10歳ぐらいになる頃にはだんだん恥ずかしさも感じるようになっていったんです。


 それに、誰とも話が合わない。人気の配信番組も知らないし、ゲームも知らない。

 学校で友達はたくさんいましたが、だんだんと自分から話しかけることも難しくなり、疎遠になっていた時期でした。


 そんな時、母に連れられ、バーチャルチャイルドアクター作ることになったんです。

 やはり「ユウジ」を初めて見た時は驚きました。まだ大人のバーチャルアクターだって一般的になってない時です。そんな時に、自分そっくりの人が目の前に現れたんですから。まるで、ゲームのキャラに自分がなったみたいでした。


 ただ、その後、テレビに出ている姿を見るにつれて、最初の頃は気持ち悪いと思っていたのも事実です。最初の頃はまだ技術が追いついていなかったのか、顔はリアルなんですが視線が不自然だったりして。


「僕の方がうまくやれる」なんて、思ったりもしていましたね。


 だから、今と違ってその頃はまだドラマとかに「ユウジ」は出る事は少なくて。

 CMや"初のバーチャルチャイルドアクター"ということを売りにした特別番組とかに出ていることが多かったと思います。Vtuberの皆さんと配信で共演なんかしたりもしていましたね。

 でも、次第に友達と遊んだり、普通の生活が戻ってくるにつれて、「ユウジ」の演技を気にすることは減っていったと思います。


 中学に上がる頃には「ユウジ」の姿もいろんな場所で見るようになりました。

 だいぶアニメーションとしての動きも滑らかになっていたと思いますし、SF系のドラマや映画の脇役とかで見るようになっていましたね。

 ちょっとした芸能人と同じぐらい、毎日見るぐらいには活躍していました。


 中学、高校時代はよくそのことを人の聞かれたりしてました。

「あ、裕二君ってあのユウジのモデル?」、なんて声をかけてもらう事も少なくなかったんです。私も「あ、そうそう」とか自慢げに言ってしまったり。

 おかげでこれでも僕、その時は結構モテたんですよ。


 だから、こう言ってはなんですが、"顔を奪われた少年"のような形で僕の不運な人生を取材しようとしていたのなら、期待外れなことしか話せず、申し訳ありません。

 意外とこの境遇のおかげで幸せだったことの方が多かったんですよ。


 自分が確か大学の後半ぐらいだったかな。

 その頃から「ユウジ」も子役からアップデートし、成長し始めていたんです。

 ええ、大人の姿の「ユウジ」が必要となってきていて。本当の子役と同じように成長しているように見せるためです。

 そのために、僕も中学の中頃までは、成長用のデータを定期的にスキャンしに行っていました。でも、高校生ぐらいになると、もう、CG側で補正されたりしてその必要もなくなってきていました。

 成長予測用の自己学習のデータも溜まっていたみたいです。


 そうして出来上がった大人の「ユウジ」を世の中でも見るようになりました。

 予測データから観測した、痩せてシュッとした姿で。自分でも中々イケメンだなーなんて思っていましたね。

 それに、大学時代はちょっと太っちゃった時期だったんで、顔もだいぶ違く見えちゃっていたんですよ。イケメンの「ユウジ」とは違って、自分は全然いけてなかったですね。


 その頃だったと思います。「ユウジ」をはっきり自分とは違う、と認識し出したのは。ああ、彼は僕とは違うんだなと。そう認識していました。自分は。


 でも、社会ではそうでもなかったんですよね。

 実際、皆さんもこういった取材をしているってことはそうなんでしょう?

 僕と「ユウジ」を比較して、その違いと人生を話として取り上げたいと。


 え、ああ、今は何をしているかですか?

 僕はこれでも役者をやっているんです。子役の時の記憶が頭に染み付いていたのか、大学からふとまた演じてみたくなりまして。

 卒業後は小さな劇団で端役をずっとやらせてもらっているんですが、10年以上もやって芽が全くでない。役者の卵、と言えるかどうかも怪しいくらいです。

 今ではあらゆる場所で活躍する「ユウジ」の元の人間が、まだ全然表舞台に立っていない、というのはなんか滑稽ですよね。自分でも思います。


 昨日もある舞台のオーディションを落ちたんですけど、そこでも言われました。

「『ユウジ』は日々君よりもっと進化しているよ」だとか。

「『ユウジ』との違いを見せてくれ」だとか。

 そう言われてもね。僕は「ユウジ」とは違う人間の「裕二」なんですけどね。

 なんとか「ユウジ」にはできない演技をしようとしているんですけどね。もうそれも難しいのかな、なんて思ってしまいます。


 それでも、改めてですが、僕は決して自分自身の人生が不幸には思ってはいません。むしろ幸せだと思っています。それこそ、「自分の青春時代を費やしたのに、中々認められない」と今でも嘆いている役者仲間とかを見ていると、自分の"顔"だけでも成功した自分は報われているのだと。


 僕はそう言った彼らにも同情する権利もない。

 だからこそ、僕はどういった顔をすればいいか、しても良いのか。

 それが今でもわからないんです。


 それに、今の妻とも「ユウジ」のおかげで出会えたということもあります。

 さっき話した高校時代の話です。彼女とは「ユウジ」の話をきっかけで、話すようになって、そのまま大学後もずっと付き合うように。

 今では結婚し、僕もしっかり父親なんですよ。そう思うと、番組で語る母の言葉も少しわかるようになってきたのかな、なんてよく思います。


 自分の人生ではなく、子供を思う親の気持ち。それだけじゃなく。

 自分が何もなしえない、何者でもない、というこの感情も。


 母には感謝しています。子供の頃、子役の仕事が辛かったのも事実です。

「顔の提供」が僕のためだった事もわかっている。でも、母が僕に期待したことが「ユウジ」という顔となって、僕の顔の代わりになってしまったような気もしているんです。それが世界中に満ちている。僕の生活の中にも。

 だから、そうですね。憎しみ、とかは感じていないです。どちらかというと、戸惑い、とかそんな感情ですよ。



 すいません、なんか暗くなっちゃいまして。

 でも、もしかしてこんな感じの内容を期待していたんじゃないですか?


 では、これで。この後、用事がありまして。

 ああ、今日は娘の稽古の日なんです。それに立ち会うために。来月には彼女も子役デビューするんです。

 え? あ、いやいや。「顔の提供」はもちろんしないですよ。

 僕とは違って、彼女には生身の役者になってもらって、自分の顔で幸せになってほしいんです。自分でしっかり勝ち取ってほしい。


 何もなしえられなかった僕と違い、彼女には何者かになってほしいですから。


 <了>

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誰が為の顔 蒼井どんぐり @kiyossy

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