結 お見送り、二つの写真、そして。
「先輩早く早く!」
「ちょっと待てよ、お前ほどちょこまか動けないんだよ俺は!」
お姉様から疑問の答え合わせを受けた二週間後の帝都中央総合駅。
私と先輩は人の波を避けながら大陸横断列車の南東方面行きのホームを目指していた。
元々お姉様に指定された時間より既に少し過ぎている。
「もう!」
私は先輩の手首を掴んだ。
中央駅の人混みは凄まじい。
下手に放っておくと迷子になるのが関の山だ。
「わわわわわ」
あたふたしているが知ったことではない。
*
ホームに着くと、お姉様と義兄、そしてお揃いの服を身に付けたカイエ様とマリマリちゃんがサンドレッド氏と一緒にこれから乗るのであろう二等車両の前で談笑していた。
「お姉様!」
「遅かったじゃないのマルミュット! 私ちゃんと貴女に時間言っておいたわよね!」
「先輩のせいです」
ずい、と私は彼を前に押し出した。
「すみません、つい資料読みに夢中になってしまいまして……」
「全く、研究者というものは皆そうなんだから!」
ねえ、とお姉様は義兄の方を向いた。
顔には実に晴れやかな笑み。
「そ、そうだな。やっぱり新しい研究結果とか資料とか届くと読んでしまうよなあ」
「そうですよね!」
先日のこともあり、義兄は先輩に対しやや及び腰だ。
するとサンドレッド氏がわははは、と豪快に笑った。
「ワダムさん、失礼ですのよ」
ちら、とカイエ様はサンドレッド氏の方を見て言う。
喪に服していた様な今までそれとは違う目の覚める様な鮮やかな色の服。
しっかりとまとめていた巻き毛を解き放ち、やはり鮮やかな色の透ける布で肩の辺りで一つだけ大きなリボンの様に結んでいる。
私の視線に気付いたのか、サンドレッド氏は母子の背後に立つと。
「似合うでしょう。せっかく帝都までやってきたのですから、最新の服を妻と娘にってね。工房をちょっと急かしてしまいましたよ」
「ええ、本当にお似合い。太陽の色ですね」
「そう、太陽の色。もしくは市場を鮮やかに彩る南国の果物の様な。
それまでのカイエ様のイメージを全く覆す姿だった。
だがそれも実によく似合っている。
「いやね、これと決めた妻を迎えたら絶対に一番似合う、向こうでも評判になる様な服を着せたかったんですよ」
「サンドレッドさんは、本当に奥様になる方のことをそれまでも考えてらしたんですね」
彼は不敵に笑う。
「そうですね。そう…… 親父に捨てられてからずっと自分の着るものも大して新調せずに必死で俺を育ててくれたお袋を見てきたからですかね。好きになった女には、何でもしてやろうと思うんですよ。それこそ母の分まで」
「……お亡くなりになったのですか?」
義兄はサンドレッド氏に問いかける。
「ええ。勝手に金を持ち出して家を飛び出した親父のせいで、俺の実家の事業は大変なことになりましてね。いやもう。お袋は祖父さん祖母さんと一緒に後始末だの失った信用だの色々大変だったんですよね。その中でも何とか俺を育ててくれたんですがね、何とか負債だけでも処理できた辺りで疲れ切ってしまいましてね」
サンドレッド氏は大変だっただろう過去を立て板に水とばかりにすらすらと義兄に向かって話す。
それは大変でしたねえ、と義兄は頷きながら聞き、相づちを打つ。
「親父が出ていったのは俺がまだ小さな頃だったんでね、顔も覚えてないんですよ。まあ、今は写真というものがありますからいいですよね」
「ああそれは本当に!」
義兄はそこに食いついてきた。
「僕も母を幼い時に亡くしているのですが、その写真がずっと心の支えでした。そう、今も持っています」
「そうなんですか、いや奇遇だ。俺も実はいつも手帳にはさんで持っているんですよ。俺が生まれた頃の両親の写真なんですがね。ご覧になりますか?」
「宜しいのですか?」
「是非! あ、もし良かったら、君の写真も見せてくれませんかね」
義兄は何も知らずに話が合う点があったとばかりに手帳を取り出す。
サンドレッド氏も同様に。
お姉様はそんな男達を尻目に、カイエ様とマリマリちゃんと最後のお別れとばかりにお互いぎゅっと抱きしめ合い、背を優しく叩き合っていた。
「本当に貴女には感謝しかないわトリール…… 私は本当に貴女に迷惑ばかりかけたのに……」
「そういうこというものじゃないのカイエ、私はね、貴女が遠くに行ってしまっても幸せになってくれることが一番嬉しいんだから」
「トリール……」
実に濃密な時間がそこには流れているらしい。
先輩が私を小突き。
「……下手な恋人同士の別れより熱いな、あれ」
私は黙って肩をすくめた。
まあ、お姉様にとってはそうなのだろう。
しかしまあ、今はそちらに目と耳を集中させている場合ではない。
一、二の三とばかりにそれぞれの写真を見せ合った男達ときたら!
義兄は相手の写真を見た瞬間、目を極限まで大きく見開いた。
その視線はおそらくは写真の中の「捨てていった父親」に向けられている。
私は何気なく近付き、ちらと見る――
そう、生き写しのその姿。
ちょうど今の義兄と同じ年頃の、父親。
そして一方のサンドレッド氏は。
「ああ、綺麗な方ですねえ。うん、確かに」
一度そう言葉を切ると、義兄に向かって満面の笑顔で写真を返しながら。
「何で親父が惚れ込んだのかよく解りましたよ」
「……あ、貴方は、あ」
震える手から自身の写真を取り戻し。
「全くもって、女の好みをそれぞれ受け継いでしまったとは!」
ははははは、とサンドレッド氏は豪快に笑った。
「心配せずとも、あのひとは俺がこれでもかとばかりに幸せにするよ。きちんと結婚をして、皆に祝福される子供も、これから望むだけ作って、今まで一人で生きてきたぶん、楽しく笑いに満ちた家を作るからね!」
ばんばん、とサンドレッド氏はぶるぶると震えが止まらない義兄の背を叩いた。
やがて出発の時が来た。
窓越しにいつまでもお姉様とカイエ様は手紙書くわ待ってるわこっちも出すわ写真送ってね、などの言葉をひたすら繰り返す。
一方の義兄はそんな二人の姿が目に入っているのか、呆然としていた。
*
見送りも済み。
駅でお姉様達と別れた私達は、ぶらぶらとそのまま学校や官庁のある辺りまで一緒に行くことにした。
通りをぶらぶらと歩きつつ、私達は先ほどの出来事について語り合う。
「怖いねえ」
「ああ、怖かったですね、サンドレッドさん。結局きょうだいとは名乗らずにあれだけ」
「あ、それじゃないよ」
え、と私は先輩の方を見た。
「服と髪。お前気付かなかった?」
「ああカイエ様の? びっくりしたわ。ずいぶん雰囲気が変わってらして」
「うん、あれな、絶対自分の色に染めたカイエさんを見せつけたかったんだろな」
「え」
「今までのカイエさんの雰囲気って、それこそ写真のお義兄さんの母君のそれっぽかったろ? サンドレッドさん、カイエさんからそれっぽさを一気に蹴散らしたんだよな。南東の鮮やかさとかを思わせる様な、しかもわざわざ最新の。今までほら、ずいぶん古風なもの着てただろ?」
「まあ、喪に服していた部分もあったんでしょうし……」
「喪に服してたのは前の旦那関係だし。全部『俺の色』に塗り替えて前の男に見せつけてきやがった。工房急かして子供とお揃いなんて、どれだけ金積んだんだよ!」
やれやれ、とばかりに先輩は両手を広げた。
「カイエ様はそれだけ想われているってことかしら」
「さあて。結果的にどうなるかは、俺達の知るところじゃなし」
「そうですか。はあ」
そんで、と先輩はひょい、と私のほつれ毛を指に取ると。
「で、俺等の方はいつにしようかね」
そう言い出した。
「え」
「何か勢いついてる時にでもまとめようや」
「あ、婿入りの話ですか」
「全くお前はなあ」
くりくり、と更にほつれ毛をもてあそぶ。
「じゃあ今からうちに寄っていきましょうか」
私は先輩に向かって言う。
「お父様と日取りを考えましょう」
そうだな、とぱん、と先輩は私の手を軽く叩く。
「お姉様の様に段取りはよくないですよ」
「いやいやあれは怖いから止して。一緒に考えようや」
そうですね、と私も先輩の背を叩く。
そして私達はそのまま、横並びでゆっくりと歩き出した。
――きっとこの先も、ゆっくりと横並びで歩いて行くのだろう。
ちょっと待ってお姉様、親友と浮気した旦那とそのまま続けるおつもり? 江戸川ばた散歩 @sanpo-edo
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