第3話 不穏な結婚式

案内人にいざなわれて大聖堂の扉の前に立った。


扉の向こうには、オイジュス王太子様がわたしのことを待っていてくださる。


お父様も、わたしをエスコートするために扉の前にいらっしゃった。


わたしは、お父様に目礼で挨拶を交わした。


その眼差まなざししから、お父様もこの結婚を喜んでいらっしゃるに違いないと感じた。


侍従の者たちが手早くわたくしたちの衣装をととのえ、その場をはなれた。


いよいよかと緊張しているわたしにお父様が、声をかけてこられた。


「おめでとう。マリー。わしも鼻が高いよ」


「ありがとうございます。お父様」


「今日という日は、へスぺリデス家の宿願しゅくがんの日だ」


「そんな、大袈裟ですわ」


「いいや、マリー。わが一族は、家名の歴史からすれば王家よりも歴史が長い。だが、出自しゅつじのせいで、宗主国から『この地を治めるにあたわず』と判断された」


「どうしてですか?」


お父様は、周りに人がいないことを確認してからより声をひそめた。


「海賊の出だからだ」


「!?」


「驚いたか。無理もない。このことを知るのは、へスぺリデス家の跡取りだけだ」


「どうしてそんなことを」


「マリー、当家の次期当主には、このことは伝えん。だれがつとめようとよそ者だからな。このことを知るのは、お前が最後だ」


「……」


「安心しなさい。海賊かつての稼業は初代と二代目だけだ。あれからゆうに300年はたっている」


「安心しました」


「当たり前だ。だが、わしらへスぺリデス家の当主はこの地の王になれなかったこと、有力者どもがこぞって、我が一族を権力の中枢から締めだしたことは、忘れてはおらん。お前が、オイジュス王太子を色香でからめとってくれたおかげで、いよいよ、わが一族の積年の恨みをはらす時がきたのだ」


隣に立つお父様の考えに、わたしは青くなった。


わたしたちの純愛も、お父様の考えにかかれば、政略結婚以上のもっと禍々しいものに、塗り替えられようとしていた。


長女とはいえ、家長に『娘』が逆らうことは許されない。


ここは、黙ってやりすごすのが最善策だ。


真実がそうではないことを、わたしとオイジュス王太子様がちゃんとわかっていれば、それだけでいい。


大聖堂の扉が開き、お父様の腕に手をからめた。


わたしは誘われ、一歩づつ赤じゅうたんを踏みしめる。


聖堂の中は、厳かな空気に満ちていた。


「お前のために、金を使ってきた甲斐かいがあった。これで、貴族どももわかったろう。金に勝るものはない。これからは、わしは、爵位もちの王族の親戚すじだ。お前が、次期国王のご生母様になればなお安泰。しっかり励めよ。わしのために、もっと儲けさせておくれ。マリー、お前は金の卵を産むアヒルだ。」


お父様は、前を向いたまま口をあまり動かさず、わたしにだけ聞こえるように言った。


その囁きは小さいものだったが、わたしへの精神的なダメージは大きかった。


足元から冷たさが、這い上がってくるようだ。


気を抜けば、その場にへたり込んでしまいそうだ。


眩暈めまいがする。


「とんだ強欲家だ」


きっ、聞かれた!?


お父様は、気づいていらっしゃらない様子だった。


視線だけを、声のする方へむけた。


よりにもよって国賓席からだった。


そこにいたのは、漆黒の長い髪の美しい女性だった。


肌に血の気は感じられないほど、白い。


反して、唇は鮮やかな赤いルージュに彩られていた。


切れ長の目は、クジャクの羽を連想させるほど、長い漆黒のまつ毛に縁どられていた。


だが、一番印象に残るのは、その眼の色だ。


艶やかなオニキス。


全てを飲み込むような、漆黒だった。


でも聞こえてきた声は、地を這うような低い声音だった。


誰かしら?


昨日の朝、エリス王女様から渡された王家の招待客のリストに、のっていただろうか?


失礼のないように、名前と顔の特徴などをあらかた頭に入れておいた。


すぐ下の妹のケールが覚えやすいようにと、リスト化してレクチャーしてくれた。


ケールは、しっかり者だ。


次期当主は、ケールの夫になる者が勤めるだろう。


歳が近いせいか、姉の私にあけすけにモノを言いがちだ。


昨日も口論になりかけた。






午後のひと時を優雅に自室で過ごしていると扉をノックする音がした。


「どうぞ」


神妙な面持ちのすぐ下の妹のケールが、言いずらそうに口を開いた。


「マリーお姉さま。……あまりエリス王女様を信頼するのは、どうかと思うわ」


「何を言うの!?藪から棒にケール!」


「だって、よく考えてみて。来賓者リストをこんなギリギリによこすなんて」


「それは……」


「それらしいことを言っていらっしゃったけれど、要は、へスぺリデス家を信用できないと言われたのも同じよ」


「そんないいかたをしなくても……」


「だいだい、どうして王太子様の名代みょうだいが王女様なの?」


「国王妃殿下も亡くなっていて、陛下は病床についているの、他に誰が」


しかるべき大臣よ。いいこと、王太子様より二つも年上の王女様が名代なんておかしいわ!」


「そんなこと!?女性の年齢のことを言うなんて、はしたないわ、ケール!」


「はしたない!?そんことを言っていていいの!?お姉さまを心配しているのよ?あの姉弟は変よ」


「変て……なに?」


「……やけにベタネタしてるわ」


ケールは、新年の祝賀パーティーでのことを言っていると察した。


あれは、社交界で噂になっていた。


新年が明けるとと同時に隣り合う男女は、新年を祝して挨拶のキスを交わす風習がある。


オイジュス王太子様の右隣がわたし。左隣がエリス王女様。


オイジュス王太子様は、迷わず、エリス王女様にキスをし、次にわたしに向き直ってから、わたしにもキスをした。


そのことを陛下が感心しないと近臣にもらしていたとも聞いた覚えがある。


「たまたま、会話をしていたからと……」


「婚約者のお姉さまが隣にいるのに?陛下もいぶかしむはずよ」


「昔から仲がよろしかったと聞いているわ」


「マリーお姉さまが、よろしければいいのよ。でも、わたしは無垢なお姉さまが心配よ」


結局、ケールは姉思いの妹なのだ。





ケールからもらった来賓者リストの中に、声の主はいない気がした。


わたしはグルグルと思考をめぐらした。


やはり、名前も顔も一致する人物はいない気がした。


お父様が、後顧の憂いになるような失態をおかすのもめずらしい。


「お父様、人に聞かれましたわ」


「誰にだ?」


目線だけで、探そうとしたが、お父様の視界に入らない位置らしいい。


「黒い長い髪の」


「女か?」


「ええ」


「女なら問題ない。『女の戯言たわごと』ですむ」


わたしはそっとため息をついた。


男性優位社会のこの世の中で、女性の立場は低い。


だから、こんな不条理な物言いをされても我慢するしかない。


お父様にとって、わたしは「大切な娘」ではなく「大切な手ゴマ」なだけだったようだと寂しく感じる。


「国賓客の席の方でしたわ」


「……まずいか……」


「覚えたリストに該当する方はいらっしゃりません」


「……愛人か何か。だれの近くに座っていた」


「わかりません」


「役にたたん奴だ」


お父様の吐き捨てられたつぶやきに、心がますます冷たくなっていく。


「申し訳ありません」


「顔を上げろマリー。恰好かっこうがつかんだろ」


わたしは、知らずうつむいていた。


うつむきたくなる気持ちをぐっとこらえて、前を見る。


深い赤の毛足の長いヴァージンロードを、しずしずと歩く。


でも、その一歩は鉛のように重く、深い赤の絨毯に深くめり込んでいくようだ。


でも、こんな世界とは、もうすぐ離れられる。


目の前に、愛しい王太子様がいらっしゃる。


お父様の思惑から解き放たれ、わたしは、自由と愛を得られるんだわ。


オイジュス王太子様がこちらを向き直り、わたしの方へ歩みだした。


王太子様は、今日は一段と素敵だ。


いつもの軍服ではなく、式典用の白い軍服姿だ。


肩当などの装飾にところどころゴールドが使われていて、華やかな雰囲気をより引き立っていらっしゃった。


逞しい胸には、あまたの勲章がつけられている。


それは、オイジュス王太子様の多くの武勲を示している。


甘いマスクに反して、王太子様は、男らしい面もあるというあかしだ。


最近では、恐れをなして誰も手をつけなかったデスピオ火山地帯に兵を進めている指揮官をしていると伺っている。


あまり無理はしてほしくはないが、そんな勇ましい一面も私は好ましく思っている。


ヴァージンロードの中ほどで、お父様とわたしは、歩みを止めた。


王太子様は、わたしの手をお父様から受け取り、わたしたちは腕を組んだ。


祭壇にむかいオイジュス王太子様とわたしは、一歩づつあゆみをすすめた。


もうすぐ、神の御前にて永遠の愛を誓うんだわ。


これで、やっと真実の愛ある世界で生きていける!


(そんなものは、まやかしだ)


頭の中で声がした。


だれの声……?



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