第8話 サルビア・カーマイン

夜の街並みは、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。

道行く人など誰も居らず、街を照らすのは通りの該当と銀色の月明かりだけだ。


とはいえ、誰に見られているのかもわからないので、大通りを使うことは避けた。

夜の路地裏は昼と比べて薄暗かった。

建物と建物の隙間から月明かりが射し込むので、全く進行不能ではない。しかし、足元は真っ暗なのだ。

文字通り闇雲に歩みを進めていく。時には地面の凸凹に足を引っ掛けたり、時にはネズミが股の間を抜けて行ったりと。不安感と不快感しか感じぬ行路だった。


しかし、街にそよぐ夜風が心地よかった。

夜風は火照った僕の身体を冷やし、荒んだ心の中を突き抜けていくような感覚がした。

僕は、少しばかりの涼を噛み締めるのだった。


20分ほど歩みを進めると、おびただしい量のつるが絡まった黒い門が目の前に見えてきた。

門は長方形を描くようにして建物をぐるりと囲んでいる。建物は二階建てで、かなりくすんだ色をしているが壁の色は白色だ。月光と夜闇に染められ、壁は深い青色に見えた。そんな壁にも、何かの植物が壁を這うように芽吹いていた。

建物の屋根は街並みに合った朽葉色の洋瓦が敷き詰められている。


ここが目的の場所、カーマイン医院だ。


「遅かったね」

門の内側には既にカイがいた。

当然のように白髪は隠していないし、気づかれんばかりの大声を出している。


「チッ……」

ロベリアの眉が強ばる。彼女は露骨に不快感を示していた。僕はそんな彼女など気にせず、正門にある扉の鍵穴付近を調べることにした。


扉の円形の取っ手に手をかける。右と左に一度捻ってみる。当然鍵がかかっていたので動かなかった。

どうやって中に入るべきなのだろうか。途方に暮れていると、手から大きな葉を生やしたロベリアが僕の横にやって来た。嫌な予感がする。


「待って……!それはまずいから」

ロベリアの袖を掴む。埒が明かないので門を破壊して中に入るのであろう。彼女の葉の切れ味が良いことは百も承知であるが、金属に硬いものをぶつければ大きな音は鳴るだろう。難なく一刀両断出来たところで、門の破片が地面に落ちればそれでも大きな音が出てしまう。こんな序盤で誰かに見つかる訳には行かないのだ。


「わかったわ。じゃあ、そのままじっとしていて」

ロベリアは膝をついて片足立ちになると、僕の後頭部と両膝の裏に手を伸ばしてきた。

「うわああああっ!!」

思わず頓狂な声を出してしまった。声が静かな街にごおおっ、と反響していく。

身体がぐいっと彼女の方へ引き寄せられると、ロベリアはすっと立ち上がった。

簡単に言ってしまえば、お姫様抱っこだ。

あんな細い腕のどこにそんな力があるのだろう。彼女はよろめいたり腕を細かく動かしたりはしなかった。まるで大木に支えられているようだった。


ロベリアはルビル村で見せたかのような跳躍をした。門の2メートルは上部を飛んでいるので、5メートルは飛び跳ねているのだろう。

医院の近くには二、三階建ての建物が殆ど存在しないので、王都を囲む城壁や奥にそびえる山地がよく見えた。


彼女はそのまま門の内側に着地した。また彼女は片膝立ちになり、僕を地面に下ろした。

「力持ちなんだね……」

「それを言われて喜ぶ女の子なんていないと思うのだけれど」

少し不機嫌そうな様子を見せると、彼女はカイが立っている建物入口の方へ黙って歩いていった。慌てて後を追いかける。

彼女が僕に負の感情を見せるのは初めてだった。だからこそ面白いとも思ったし、不意にも少しだけ可愛らしいとも思ってしまった。


ダメだ。笑っている場合じゃない。

両頬を手のひらでぱちんと叩く。痛みを帯びた頬がゆっくりと夜風で冷やされていった。


建物の扉は黒っぽい木材で出来ていた。歴史のあるものだろう。古めかしいその姿からはどこか高貴さを伺うことができた。

王子が入院しているみたいな話だったが、やはり庶民が気軽にやって来れるような病院では無いのだろう。

とはいえ、これはどう突破するべきなのだろうか。今度こそ困ってしまった。


すると、ロベリアが再び葉のブレードを顕現させた。彼女は声をかけるよりも先に口を開いた。

「扉くらいならどうにかなるわよ。任せて」


彼女はブレードの先端をを右の手のひらに深く押し当てた。そこからドクドクと瑠璃色の血液が溢れ出て閉まっている。彼女はそんな青く滴る右手を握りしめると、目の前の扉に向けて手を振ったのだった。

彼女から離れた瑠璃色の飛沫が扉に染み込まれる。扉の色に加え、今は真夜中なのだ。見えやすい形で血痕は残っていなかった。


ロベリアは右の拳をゆっくりと開いた。そして、手のひらを扉の前に突き出した。

するとどうだろうか。彼女の血液が着弾した所から、まるで滝のような勢いで小さな植物が溢れ出てきたのだった。

その植物は小さな茎や葉の集合体のような構造をしており、所々に小さな深い青の花が入り交じっていた。それは一瞬にして扉を包み込み、まるで苔がむして緑色に染まった墓石のようになってしまった。


そんな扉へ目にも止まらぬ早さで間合いをゼロに詰めると、右手のブレードで扉を下から右斜めに切断をした。そして今度は左手のブレードを構え、扉を上方向から左斜めに切断した。

扉に計2回、X字の切れ込みが入ると、扉は4つに崩れ落ちた。扉を包む植物はクッションの役割を果たしているようで、扉の残骸が地面と接触しても小さな音しか響かなかった。


扉の奥の様子があらわになる。

薄暗い院内を、銀色の月光がじっとりと照らしていた。

扉の奥は大きな部屋になっていた。背もたれは無いが、黒い革で包まれた長椅子が沢山並んでいた。突き当たりにはカウンターのようなものが見える。おそらくここは待合室なのだろう。

壁には日に焼けた院内の案内図が貼り付けられていた。何が書いてあるのかはわからないが、この病院がやたら細長い長方形のような構造をしているのだけはわかった。

視線を案内図から扉の正面にあるカウンターに移す。カウンターの右には二階に続く階段が見えていた。また、一階の左右に続く廊下も見えている。


「三手に別れよう」

あまり時間をかける訳にはいかないのだ。

僕がそう提案するとロベリアはあからさまに不機嫌な様子を見せたのだが、目線で訴えかけた。

彼女は渋々納得したようだ。


僕は一階の右側に行き、カイは左側に行く。

ロベリアは二階へ行くこととなった。

(二階は一階部分の右半分しかないので、一人でも大丈夫だろうと判断をしたのだ)

二人と待合室で別れる。


僕はいちいち膝を床につきながら、ゆっくりと足を忍ばせて歩いていた。静かに移動はしているものの、建物自体が古いのか床板が軋む音がする。僕はその都度周囲を見渡して人の気配を確認していた。

待合室から先のうまく見えぬ廊下を進み、計七個のドアを過ぎた時だった。


目の前の扉から薄い光が漏れていたのだ。

音と気配を殺しながらその扉の前に耳を近づける。

頬が古びた扉に触れたその時だった。

体重を寄せた扉はいきなり前方向に動いてしまったのだ。


予想外の出来事に何も反応することができず、顔から扉の奥の室内に倒れ込んでしまった。

扉は横方向の引き戸ではなく、押し込み式だったようだ。

「ぐえっ」

ごとっ。身体が床に叩きつけられる鈍い音が廊下に響いた。自分が情けなかった。


「誰だ……!?」

大きな音に驚いたのか、机に向かって突っ伏していた男性は飛び起きたようであった。その人物は白衣の胸ポケットに入れていた細い縁のメガネを慌てて装着すると、ドアの前で座り込んでいる不審人物ぼくに訝しげな視線を向けてきた。


男性と目線が合う。その人物はぼさぼさの赤い長髪を後ろで束ねており、口元には無精髭が現れていた。年齢は4、50代付近のやつれた医者だった。

しかし、彼の風貌は僕に昨日朝までの蜜月を思い出させるには十分すぎたのだ。


似ている。あまりにも似ていたのだ。

その凛々しい目元は、かわいいあの子にそっくりで……

目元に刻まれた深い皺にその精悍な顔立ちは、あの寡黙な老人にそっくりで………


ああ、彼こそがアネモネの父なのだろう。


僕は静かに目を閉じると、頭を覆っている鬱陶しいフードを振り払った。

「白髪……あんたはまさか……」

医師の顔が更に強ばった。

自分が何者かを照明するのなら、この頭を見せるのが一番手っ取り早いだろう。

そして、彼なら僕を理解してくれるはずだ。だって、彼の娘と父がそうだったのだから。


「あなた、名前なんて言うんですか」

「……カーマイン。サルビア・カーマイン」

サルビアと名乗ったアネモネの父親は、声を震わせながらそう答えた。

その名前を聞くと、僕の左側頬を一筋の雫が通り過ぎたのだ。


「ごめんなさい……僕は、僕は」

こんなことを彼に伝えても何の罪滅ぼしにすらならないことは理解していた。

それでも、なぜか言葉が止まらなかったのだ。


「とりあえず、扉を閉めてそこに座ってくれ。君は……一体なんなんだ」

サルビアは診察室の椅子を指さした。

僕はゆっくりと幽鬼のようにその場から立ち上がり、部屋の扉を閉めた。そして、彼が指さした椅子に座った。


気持ちを落ち着かせるために、大きく息を吸い込んだ。薬剤と埃の匂いが鼻腔いっぱいに広がりこんだ。


「僕の名前は、ルピナス・ブバルディアと言います。つい先日まで、ルビル村で……」

がたっ!!大きな音を立ててサルビアは立ち上がった。そして、その両手で僕の方を掴みこんだ。

「娘は!娘は無事なのか…!!」

彼の骨ばった指が僕の肩に食いこんでいく。彼の手は鳴く虫の腹のように震えていた。


「………ごめんなさい。僕以外は……みんな死んでしまったんです」

下目蓋いっぱいに涙がたまり込んだ。視界が磨りガラス越しの景色のように不明瞭になる。


ぼやけた景色の先では、彼も肩を震わせて泣いていた。

僕はもう一度息をゆっくりと吸い込むと、事の顛末をゆっくりと語るのだった。

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造花に花言葉はありますか? 弓張 みはり @umihari_mhr

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