第7話 つかの間の休息

作戦の決行は今晩。


とはいえ、夜の病院に忍び込もうとしているのだから、草木も眠るような襲い時間帯がいい。

とはいえ、あまりにも遅すぎるとすぐ早朝になってしまうので、24時を回って翌日になった瞬間に忍び込むことにした。


僕たち3人は路地裏を抜けて、少しばかり人通りの少ない通りに出た。

すると、目の前には古くさい店が佇んでいた。

この世界の文字が読めないので、この店がなんの店なのか分からなかったが、穀物が焼ける香ばしい香りが漂ってくる。その店の扉は大きくガラス張りになっていて、外から壁にかけられていた時計を見ることができた。


文字は読めなくても、時間の考え方は同じなようなので今が何時なのかはわかる。時計の短針は4と5の中間を指し示していた。

「4時半か……」

足音よりも小さな声が漏れる。無意識だった。


「7時間あるのね。このまま時間を潰しているのも辛いだけだし、どこか宿でも取って休みましょうか」

ロベリアはそう提案した。率直に名案だと感じてしまった。何しろ、疲労で限界を迎えかけていたのだ。


「僕はそれでいいけど……カイはどうなのさ」

一言も発せずに、ただニコニコと笑ってばかりの彼に声をかける。

「ぼくは遠慮しておくよ。また夜になったら会おう。泊まるとなるとお金もかかるし、振り回すのが悪いな、って心配してくれたんだろう……?優しいね、君は」

「まぁ……うん」

別にそこまで考えが回った訳ではなかった。

今はとにかく身体を休めたい。それも、こんな頭のネジが外れた二人から離れて、一人になりたい一心だったのだ。彼が同行すれば一人になれるチャンスが少なくなるかもしれない。ただ一人になれる算段を考えたかったがための質問だった。


「……安心なさい。別にあなたの事なんて何も考えてないわよ。ねえ、なら早くどこかに行ってくれる?」

「あははっ、辛辣だなぁ……泣き虫のは」

「決めた。まずはあなたの力から奪ってあげる。輪紋ではないけれど、少しは役に立ってくれるでしょう」

ロベリアは今まで見たこともないような嫌悪の表情に顔を歪ませた。すると、彼女の手の側面の皮膚からバリバリと音を立てて葉のブレードが現れた。


皮膚を押し破るような形で現れたのだ。

ブレードからは瑠璃色の血液が滴っており、石レンガで舗装された道に青の斑点を続々と生み出している。


「キャーーーッ!!」

それを目にしていた通行人が悲鳴をあげる。その悲鳴に反応して、他の通行人の視線が一気にロベリアに集中する。どの通行人も悲鳴を上げたり、その場から走り去ったりと、場は混乱に包まれかけていた。


対してカイは、相変わらずニコニコと笑顔のままだ。

まずい、こんなところで騒ぎになる訳にはいかない。早くどこか人目のつかないところに逃げなければ。僕はロベリアの口を塞いで、そのまま力任せに先程の路地裏の方へ引きずり込んだ。


「もごごっ!!」

「あははっ!皆さん。違うんですよこれは!!じゃあね……カイ。またあとで……」

店のガラスに反射する自分の顔は、とんでもないくらいに引き攣っていた。

僕とロベリアはそのまま人通りから離脱した。


路地裏に入り込むと、彼女の口元から手を解いた。彼女のいやに色の白い口元があらわになる。だが、彼女の頬は赤く染まっていた。


「は……?」

僕はますますこの女の子のことがよくわからなくなる。しかも、頬の染まった彼女はこの世のものとは思えないほど可愛らしかったのだ。

彼女の頬が赤く染っていたのなら、僕の頬は白く色が抜けているようだった。


「ブバルディアが私に触れてくれた……」

「いや、それは仕方なく……はぁ。もう疲れた。はやく宿にでも言って休もう……」

固まって動かない彼女の手を引いて、先程の通りからは少し離れた通りを目指すのであった。


路地裏を西の方角に進むと、まだ来たことのない通りにでた。そこを道なりに進むと、宿が密集したエリアに出た。

看板に何が書かれているのか分からないので一度素通りをしてしまったのだが、ロベリアが足を止めたのだ。数多の看板には宿と書かれていたらしい。


色んな宿が軒を連ねていたが、その中でも一番寂れた宿を選んだ。純粋に目立ちたくなかったからだ。

宿の扉を開き、カウンターで帳簿を付けていたであろう中年男性に声をかけた。

「今晩泊めてもらいたいのですが」

「はい、どうもありがとう。二人で一部屋、15Bベリルになりますね。うちは朝食がつかないから……」

「いやいやいやいや!一人!!だから二部屋です!!30ベリル!!!」

実は、ルビル村で滞在していた時に少しばかりの現金を手にしていたのだ。ルビル村は極端に若者の数が少ない村だった。だからこそ、仕事の合間やら仕事が終わった頃に村民から力仕事をお願いされたことが何度もあった。それの報酬に食料などの物品を貰うこともあれば、お金を貰うこともあった。

(といっても、お金を貰ったのは一度しか無かったが)

自分は居候の身でしかないし、お金を貰うだなんて申し訳なかったので辞退したのだが……貰ってくれ!の一点張りだったので、仕方なく貰ってしまった。というような感じだった。なので、15ベリルなら払うことが出来るのだ。


「一部屋で結構」

この宿に入って初めて口を開いたロベリアは、銀貨を乱雑にカウンターの上に置いた。

「ええっ!!いや……あの」

「お金だって、満足に持てていないでしょう?ならこんなところで使う訳にはいかないでしょう」

確かにそれはもっともな意見ではあるけれど、つまり夜まで彼女から離れられないことになってしまう。耐え難いストレスだった。


「……わかりました」

ロベリアの剣幕に中年男性はおののいた。

「いやー、僕は女の子と相部屋なのは流石にまずいと思っちゃって……」

ならばこちらももっともらしい理由で武装する。


「別に私は気にしないから。ほら、お店の人に迷惑でしょう?はやく行くのよ。部屋はどこを使えばいいのかしら?」

「はい、この奥のですね……」

男性とロベリアは店の奥に行ってしまった。

ああ、もうこうなっては仕方がない。僕はがっくりとうなだれて、二人の後を追うのであった。


粗末な部屋だった。部屋には1.5メートルくらいの長机がひとつと、そこに図工室のイスのような椅子が二つ備え付けられていた。

ボロ切れみたいなシーツの敷かれたベッドは30年くらい年季が入っているように見えるし、窓枠にはたっぷりホコリが積もっていた。部屋の隅には蜘蛛の巣がかかっていた。


「仕方ないよね……そりゃ人も来ないわけだ」

とりあえずベッドに腰をかけ、背中を着くような形で仰向けになった。

「ごめん。ちょっと寝るから」

結局一人にはなれなかったし、こんなに薄汚れたベッドではあるけれど、ここでなら睡眠を取ることが出来るだろう。


あまりにも一日の密度が濃すぎて忘れかけていたが、ルビル村が炎に包まれたのがたった一日前なのだ。心身ともにボロボロの状態で崩れた壁にもたれかかって睡眠を取り、その状態で歩いて王都にやってきたのだ。疲れを感じない方がおかしいだろう。


僕は目蓋をゆっくりと閉じて、そのまま夢の世界に脱落していく。

いや……夢に落ちることができなかった。


耳にこびり付いた断末魔の叫び。

細分化されてしまった村の面々。

特に何度も僕の脳内を擦るのは、目の前で爆散したアネモネと助けれなかった男の子だった。


現代日本に生きていて、人の死に直面する機会は非常に少ないと思う。幼い頃、祖父の葬式に出たような記憶はあるのだが、何しろ遠い過去の記憶なのだ。遺体を目撃する機会も少ない。探せば博物館やら本やらで好きなだけ遺体には出会えるとは思うが、純粋に恐ろしく感じるので忌避していた。


そんな僕に突きつけられた、想像を絶する程凄惨な光景。

それは、僕の心に信じられないくらい深い傷跡を残していったのだ。


僕の目蓋の裏で、アネモネが四度目の爆発を遂げた。無意識の記憶の回想にもう耐えられなかった。


ゆっくりと目を開く。

額にはびっしりと脂汗がうかんでいた。


「眠れないの……?」

ロベリアが僕の横に腰掛けてきた。

「当たり前だろう……」

「わかった。私が楽にしてあげる」

彼女はそうつぶやくと、僕の横に身体を横たわらせた。何をされるのだろうか?

もう、それに対して何かリアクションをする余裕が無かった。


ロベリアは僕の頬に手を置いた。

そしてそのまま、ぐいっと彼女の首元に身体を引き寄せられた。

直前、彼女が身につけている瑠璃色の洋服が視界いっぱいに入り込んだ。彼女の身体に頬が触れると、ひんやりとした感触が訪れた。

そういえば、黒焦げにされて着るものが無くなったこの子はアネモネの服を着ていたことを思い出した。あの服はどこに行ったのだろう?


「ねぇ……」

「何?」

「君が前に着ていたあの服は……あの服はどうなったの………?」

「あんな、捨ててしまったわよ」

悪びれもなく彼女はそう呟いた。


ああ。この世界からあの子の痕跡がまたひとつ消え去ってしまう。

やっぱり。やっぱり僕はこの子が嫌いだ。

けれど、そんな子に抱きしめられて眠りにつく自分はもっと嫌いだ。


頬が次第に熱を帯びる。彼女の体温がゆっくりと上昇しているのだ。

僕の頬に、なにか水気を含んだ物が当たる感覚が走った。この感覚は……きっと植物だ。

そして、形容しがたい良い香りが僕の意識を包み込んでいく。


僕は何故か、母親のことを思い出していた。

向こうでは時間が経過しているのだろうか。


悲しむ母の顔が浮かび上がる頃には、僕の意識はすっかりと夢に落ちてしまっていた。


★☆☆


僕の意識は突然夜闇に投げ出された。

目蓋をぱちりと開くと、のっそりと身体をベッドから起こす。

窓から差し込んでいた夕日は、すっかり銀月の光に変わってしまっていた。


「……おはよう」

粗末な椅子に座ったロベリアがそう声をかけてきた。

「おはよう……」

小刻みに震える目元を手のひらで擦り、寝癖でボサボサの髪を乱雑にかきあげる。

なんだか、釈然としない睡眠だった。

夢を見ないことには慣れていた。それでも、睡眠の後に感じる身体機能のリセット感が味わえなかったのだ。

例えるならば、眠りに落ちることができずにずっと目を閉じていた似非睡眠のような感覚だ。


しかし、幾分かは楽になった。


「今って何時?」

ロベリアに問いかける。先程の出来事が恥ずかしくて目線を合わせられなかった。

「23時40分、ってところかしら。ここから少し離れているし、もう出発してしまいましょうか」

「……わかった。行こうか」


ボロボロになったフードを被り、ベッドから立ち上がる。

他の部屋の客を起こさぬように、部屋の扉はゆっくりと開けた。


運が良ければなのか、それとも悪ければなのか。

これから僕は、あの悪魔に再び向き合うことが出来るかもしれないのだ。


そう思うと、足取りが重く感じてしまうのだ。

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