第6話 宿す力の名前は、輪紋

肩を引かれるかたちで教会から連れ出されると、大通りを横切って路地裏に入り込んで行った。

その路地裏をずっと進んでいくと、薄暗いアパート街のような場所に到着した。

スラム街というわけではなく、単純に薄暗い場所のようだ。手入れがされていないのか、周囲にはゴミが散らばっている。


そこにカイはゆっくりと腰掛ける。

「耄碌……なのかな。ぼくにはあんな僅かな力はもう読めなかったけれど、あの教会にいた男たち。変だっただろう?」

「変と言われれば確かに……」

一言で表すなら狂信者のような連中だった。なんの恨みかは知る由もないが、この白髪を見た矢先に声を裏げながら殺しにかかってくるほどなのだ。


「おそらく、何か魂から切り分けたものを植え付けられているはずさ。その証拠に、あのような錯乱状態、極めつけに……消え失せた紺色のもやは、間違いない。輪紋りんもんを宿した者がいたのだろうね。逃げ帰ってきたのは正しい判断だったよ」

彼はぶつぶつと訳の分からないことを口にしている。


「その、リンモンってのは何なのさ」

「輪紋。それは昔この世界に生きた15人の誰かの成れの果て。文字通り輪の形をした光り輝く紋章で、それに認められると人ならざる力が使えるようになるのさ」

輪の形をした紋章。僕はそれを見たことがある。忘れもしない、アネモネのきれいな左目に光り輝いていたあの紋章がそうなのではないだろうか。


「ルディア。この世界が何なのか分かっているかい?」

漠然とした質問を投げかけてくる。

「地球……って呼んでいいのかわからないけれど。元いた地球とは全く違う世界なのは分かってるよ。文明のレベルはまさに500年くらい前って感じだし。なにしろ……魔法が存在してる」

「そう、その通り。この世界は基本的には向こうと同じなんだけれど、魂とか精神とか。形を持たないものが色濃く、はっきりと存在しているんだよ。そうだね、魂を燃え盛る炎のようなものだと仮定すると、その炎を切り分けて火の粉を飛ばすんだ。それが魔法な訳で、この世界では当たり前にそれがまかり通っている。けれど、魔法を見る機会なんてまず無いだろう?」

「あぁ……」

この世界ではっきりと魔法を認識したのは、あの夜。あの子が散ったあの村で……あの子の姿をした悪魔が放った業火だ。

確かに僕はその瞬間しか魔法を見たことが無かったのだ。ルビル村の生活では、火を起こしたり湯を作る時は普通に薪を使っていた。


「普通の人間には魔法を使うことができないんだ。魂の灯火を切り分けることがまずできないし、出来たところで彼らは加減がわからない。魂の大多数を放出してしまい、即死してしまうんだ。……ぼくはそんなやつを山のように見てきた。けれど、輪紋を宿せばそんな心配をする必要がなくなる。無尽蔵の魂の貯蔵庫にアクセス出来る感じだね。それに身体も、どちらかといえば植物に近くなるし自在に操れるようになれる。それが輪紋。この世界で最大の力なのさ」

「思い当たる節がありすぎて怖い……身体を植物に変えることができる。つまり僕は、輪紋ってのを持っているってことでしょ?」


「違うよ」

何が面白いのかわからないが、彼はクスッと笑みを浮かべた。

「似てはいるんだけど。言っただろう?死んだ誰かの魂の成れの果てなんだよ。つまり命ってわけだよね。この世界にやってきたぼく達はどうだった?生きたままここに呼ばれただろう?」

カイは腰掛けていた階段から立ち上がり、影がじっとりと伸びる路地裏の先に数歩足を進めた。そして身体の向きをくるりと反転させた。

「輪紋には名前があるんだよ。おそらくさっきの教会に巣食っていた力は『怠惰』の輪紋じゃないかな。その力は輪紋が認めたやつしか使えないから、宿したやつはめちゃくちゃ怠惰なやつなんだろうね。なんでその輪紋が怠惰なんて名前を冠しているのか。それは昔にものすごく怠惰に生きて死んだやつがいたんだよ。………けれど」

僕が腰掛ける階段に向かってゆっくりと歩み寄る。

先程までは真っ暗だった路地裏に、陽の光が射し込んでくる。光は彼の顔を照らし、凛々しいその顔立ちが一層強調される。


「君はまだ死んでいないんだよ。だからその力をどう定めてしまうのか。それすらも君次第ってことなのさ。はい、とりあえずお話はこれでお終い」

手をパンと叩く。

「少しは分かっただろう?この世界のことが。そう警戒しないでよ、ぼくは本心から君の幸せを願ってるし、君のことをずっと待っていたんだぜ?」

「待っていたのは………私も」


首筋に冷たい感触がやってくる。水に浸した果物みたいに冷たい腕を僕の首に回したのは、ロベリアだった。

「私が服を見ている間に何処へ行っていたわけ?それに、その男……何だか薄気味悪いわね」

彼女は目を細めて、明らかに敵意むき出しの様子でカイに目線を突き刺すのであった。


「…………君も」

「うん。どうしたの?」

ロベリアに声をかける。すると彼女は整ったきれいな顔を僕に近づけてきた。


「君もリンモンを持ってるんでしょ?」

「………そうね。あぁ、白髪。そういうこと。そこの虫が教えてしまったのね」

「虫って、辛辣だなぁ」

カイがけらけらと笑う。しかし、その目は全く笑ってなどいなかった。

「それも含めて、私が教えてあげようと思ったのに。ああ、そうね。私の輪紋ですって?うふふ、教えてあげない」

「………なんで?」

「そうね。あの子は何の力を持っているんだろう?なんの名前の力なんだろう?って気になるでしょ。そうやって気になる度に私の事を考えてくれる訳じゃない。だったら……教える必要なんてないわよね?」

彼女は人差し指を唇に当て、なんともまぁ小悪魔的なポーズを向けるのだった。

悔しいことにロベリアは顔立ちが本当に整っているので、息を飲むような可憐さを伴った行動な訳ではあるのだが、正直彼女の思考の薄気味悪さにゾッとしてしまった。


「まぁ、そんな話はいいのよ。それよりも、今後の話なんだけれど。王都の中心街に有名な病院があるらしいの。なんて名前だったかしら……ともかく、そこにはこの国の第一王子が入院してるんだって。その王子様、聞けば不思議な力を扱えるみたいなの」

「つまりそれって、リンモンを持ってるって事だよね」

「ルディア、イントネーションがおかしいよ。それじゃあカタカナだ」

「……うるさい。次に余計なことを言ったらその喉に穴をあけてやろうかしら」

カイに冷たい視線を突き刺すロベリアの目元が小刻みに揺れる。あからさまに不快に感じてるようだった。


「私達には力が必要なんだし、その王子様を殺して力を奪ってやろうと思って」

「…………え?」

「それに魂がぶつかり合えばあの悪魔もやってくるかもしれ……」

「だから!!」

自分でもびっくりするくらい大きな声がでた。声は路地裏にゆっくりと響いた。ギィィ、とか、ガラガラみたいな音が聞こえてくる。おそらく窓を閉めた音だろう。曲がりなりにもこの周囲にあるのは住宅なのだ。あまりの騒音に耳を塞ぎたくなったのだろう。


「なんで君は……いや、そこでニコニコ笑ってるカイもそうだけど。なんですぐ命を奪おうとするんだよ?」

此処が何の世界なのかはもう知らない。分からない事がありすぎて考えるだけで無駄なのだ。それでも、命は命なんだ。僕はもう……訳も分からず命を奪われて涙を流すあの人たちのような人間を見たくなかった。


刹那、目から生命の灯火が消え失せたアネモネの欠けた頭部が思い起こされる。

蘇る記憶があまりにも苦しくて、切なくて。頬を一筋のぬるい涙がこぼれ落ちてしまった。


「別に、それで私達が幸せに生きられるならそれでいいでしょう。ああ!思い出した。確か……カーマイン医院って名前だった気がするわ。騒ぎ立てられたくないから寝静まった夜行く予定なんだろうけれど、見つかったら殺すしかな……」

「もうぃい……わかった。静かにしてくれ」


カーマイン。医者。

その名前と肩書きを忘れるはずもなかった。


(さっきも言ったけど。私のお父さん、お医者さんなんだ。王都でお医者さんやってるって話したけど。だからさぁ、仕事が忙しすぎて帰ってこれないんだよね。自分の病院みたいだし)

(あはは……大変だね。寂しくないの?)

(も・ち・ろ・ん!寂しいよ!!でもね、自慢のお父さんなんだ。ルピナスもあってごらん?ああ、夕方王都に向けて出発するのが楽しみだなぁ……)


忘れない。忘れるものか。

その病院は、赤い髪の。可愛いあの子のお父さんがやっている病院なのだ。


「僕も一緒に行く。だから頼むから……殺すだなんてやめてくれ」

蚊の鳴くような声とはまさにこの声だった。胸が悲しみにつつまれ、苦しみながら声を捻り出したのだ。声が出たことだけでも奇跡じゃないのか。


「ありがとう。流石、私の王子様」

ロベリアは再び僕の背後から腕を絡め、顔を擦り付けるような形で抱擁をしてきた。

髪と身体が触れ、柔らかい感触がする。しかし……


「やめてよ!」

ぱちっ。声を荒らげる頃には先に手が出てしまっていた。彼女の身体が触れていた肘を思いっきり突き出して振り払う。

思いっきり突き飛ばされたロベリアは、ざらつく石造りの階段に目掛けて顔から突き飛ばされてしまった。

「君のことなんて……嫌いだ」

追い打ちをかけるような形で出たその言葉はありのままの気持ちだった。


ロベリアはよろめきながら顔を上げる。

階段で擦れたであろう右頬は皮膚がささくれ立っていて、ぼんやりと瑠璃色の液体がにじみ出ていた。

僕はゾッとしてしまった。無意識に手を出してしまった事、彼女の頬から気味の悪い色の何かがこぼれ落ちたこと。

既にロベリアの発言自体で心が揺さぶられ続けた自分には、何が何なのかもう限界だった。

しかし、それでも確かなのは。罪悪感が溢れて止まらないことだ。


「わかった。もう殺すなんて言わないから……ごめんなさい。どうか、嫌いにならないで」

ロベリアの両目からは涙がこぼれ落ちていた。

「僕も……ごめん」


「ごめんなさい……ごめんなさい」

ロベリアは更に大粒の涙を流し、幼子のようにめそめそと泣き続けた。

カイに助けを求めるように視線を送る。

すると彼は、知るかと言わんばかりに両手を広げて首を振るのだった。


もう何をすれば良いのかわからなかった。正直、泣きたいのはこっちの方なのだ。

ごめん、ごめんねと。そう何度も連呼しながらロベリアの肩をさする。相変わらずいやに冷えた背中であった。


二分ほどそれを繰り返すと、彼女の目元から涙は消え失せた。

「………じゃあ。とりあえず今晩その病院に行こうと思うから」

「絶対に誰も殺さない?」

「うん。そうするから。一度に輪紋を宿した人間が集まれば、そこに吸い寄せられて色々やって来るはずだから。だからあの赤い悪魔も……」

「わかった、わかったよ。僕も行くよ……」

そう簡単に人間のメンタルは立ち直らない。氷のように痛く突き刺してくる彼女の語彙力はどこかに吹き飛んでしまったかのようだった。


あまりにも一日の密度が濃すぎるせいで、どっと疲れてしまった。

こんな行き当たりばったりで何の根拠も無い作戦ではあるが、もしかしたらあの悪魔に出会うことが出来るかもしれない。

まさに藁にもすがる思いだったのだ……

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