スリーピング・ビューティー

山岸マロニィ

スリーピング・ビューティー

 今日も残業だ。オンボロ原子炉を何とか稼働させる作業は、毎日先が見えない。

 俺はウンザリして、後輩のエリックを呼んだ。

「そっちはどうだ」

「相変わらずっスね」

 俺は欠伸をして、ヘルメットを脱ぎ捨てた。

「後は明日に回そう。……この後、飲みに行かないか」

「いいっスよ、奢りなら」

 相変わらず遠慮のない奴だ。しかし、侘しい晩酌に付き合わせると考えれば、安酒を奢るくらいは安いものだ。


 発電所に隣接する、居住エリアにある小さなバー。狭いカウンターの端に並び、グラスを揺らす。


 発電所を維持するためだけに人類が働くようになって、何年経つか。

 合成酒と合成肉の味にも慣れた。エリックなどは、生まれた時からこんなものだと思って生きてきただろう。


 酔いが回った俺は、グラスの中で氷をカラカラと混ぜながら語りだした。

「昔はな、人間てのは好きな生き方を選べたんだ」

「いつの時代の話っスか?」

「俺がコールドスリープされる前さ」

 その言葉に、エリックは目を丸くした。

「先輩、『目覚めし者』なんスか!」

「あぁ……」


 ――コールドスリープが法的に認められたのは五十年ほど前。

 その頃、俺は交通事故で全身に損傷を負った。当時の医療技術では治療不能とされ、俺の両親はコールドスリープの被験者として、俺の命を次世代に託した。

 そして、俺が目覚めたのは十年前。脳幹制御チップが開発された事で、命が救われたのだ。

 ……しかし、世界はとんでもなく狭くなっていた。

 コールドスリープが頻用され、金持ちは次々に眠りに入った。病気の治療を未来に託す者、美しい容姿を永遠に保とうとする者。その理由は様々だ。

 やがて、人類は二種類に分かれた。――眠れる者、もしくは、眠らせる者。

 低温状態で眠らせるには、多くの電力が必要だった。そのため、コールドスリープを行う施設には、専用の原子力発電所が建てられた。眠っていない者は、電力を維持するために働くのだ。

 給料は悪くない。神の筋書を侵す行為コールドスリープには、多額な資金が必要だ。百年は眠れるだけの金額が既に支払われている。だから、発電所で働けば食いっぱぐれる事はない。――逆に言えば、それ以外に、仕事などない。


 不愛想なマスターがグラスを拭く。

 マスターも、しばらくはアンドロイドだったが、壊れてから、酒好きの爺さんがやるようになった。誰がやったって同じだ。合成酒に合成肉。どこに行ったって同じ味なのだから。


「じ、じゃあ、先輩、何歳なんスか?」

 エリックは合成肉のステーキをパクつきながら聞いてきた。

「多分、七十は過ぎてる」

「マジっすか……」

「四十年眠ってたからな。しかし、それを差し引けば、もう三十だ」

 ――この時代の平均寿命は、およそ三十歳。いつ死んでもおかしくない年齢だ。この現実を知れば、眠れる者たちはどう思うのか。

「……しっかし、先が見えなさ過ぎて、俺、仕事が嫌になってきたっスよ」

 エリックは二十歳前後。ノリは軽いが、仕事には真面目な奴だと思っていたが。

「だって、あと五十年ッスよ、あの原子炉を持たせなきゃならないんしょ? 無理ですって」

「一応、百年以上は耐用できる設計にはなっている」

「原子炉の問題じゃねぇっス。人員の問題っス」

 それには、俺は何も言えない。眠っていた者として、何も言う資格など無い。


 俺が眠っている四十年の間に何が起こったのか。

 ――果てしない高齢化の結果、人類が選んだのは、出生率の低減だった。

 それ以前から、出産育児の環境は厳しいものだったらしい。しかし、出生率の低減を提唱されてからは、結婚する、性交する、妊娠するといった、人間が生物として子孫を残すための行為は、ことごとく野蛮なものとされた。

 世論というのは、為政者がコントロールできるものではない。一度広まった思想は瞬く間に浸透した。出産育児というのは、全ての生物にとって命懸けの苦難なのだ。それを捨てろと言われれば、楽な方に流れるのは当然の摂理だ。

 ……そして、人口は急激に減少した。

 金持ちや知識人は、永遠の命を妄想して次々に眠り、残された低所得者がそれを支える。結果、社会も医療も衰退し、寿命は縮み、人口減少に拍車をかけた。

 そして今、「眠れる者」と「眠らせる者」はほとんど同数。新たなる技術の開発に使う余力などない。地球の資源を食い尽くしながら、必死で発電所を維持して、「眠れる者」を眠らせるしかないのだ。


「先輩が目覚めてくれて良かったっスよ。失われた昔の技術が、『目覚めし者』から得られる事が多いとか、聞いた事があるっス」

「俺は眠る前は技術者だった。だからそのために、無理矢理起こされたんだ。……とはいえ、感謝はしないとな。俺が起きた世代を過ぎれば、目覚める事すら不可能になっていたんだろうからな」


 医療の知識のある『目覚めし者』が集められ、覚醒に向けての研究を行っている。そして、可能な者から次々と覚醒させている。人口の確保のためだ。しかし、その人員も次々と寿命を迎え、研究ははかどっていないと聞く。


「そんな先輩にこんな愚痴を言うのも何っスけど……、俺、この仕事を続ける意味が、分からなくなってきたっス」

 エリックはそう言うと、グラスをあおった。

「だって、この先五十年眠らせたところで、あいつら、生き返る可能性、無いじゃないっスか」


 エリックの言う通りだ。現状のままでは、社会や医療はますます衰退し、発電所やコールドスリープ施設を維持する事さえ困難になるのは目に見えている。


「なんつーか、冷凍人間なんて放り出して、今いる人間だけ集まって、昔みたいな野性的な生活をした方が、人類が存続できる可能性、高くないっスか?」

 俺は冷めた合成肉を口に放り込んだ。――正論だ。正論なのだが……。


 エリックを見ながら、俺は何とも言えない気持ちになった。恐らく、エリックはこの事実を知らない。当時の政府はこれが発覚した時、厳重に隠蔽した。それをエリックが知れば、何もかも投げ出して、死への衝動に走るかもしれない。

 ……しかし、伝える事が、俺の責務であるようにも思えた。


 人工的な旨味しかしない肉を咀嚼し飲み込んでから、俺はゆっくりと口を開いた。

「それは、できない」

「なんで?」


 ――俺が目覚めた時に聞いた話だ。

 出生率の低減を提唱されていた時代、偏った思想でそれを実行に移した者がいた。

 遺伝子操作で「生まれる子供が女だった場合、不妊にする」という情報を組み込んだ精子が、ばら撒かれたのだ。

 それは宗教じみた組織だった。メンバーは婦人科の医師も多く、患者にその精子を着床させ、子供を産ませた。そして生まれた子供たちの世代で、人口の減少が劇的となった。


「……ちょうど、おまえたちの世代だ」

 エリックは絶句した。しばらく呆けた顔で俺を見た後、ゆっくりとグラスに酒を注いだ。

「マジすか」

「遺伝子は精子で引き継がれる。そしていつかは、全ての女性が不妊になる。そういう仕組みの遺伝子だ」

「なんで、そんなものを……」

「当時は、妊娠、出産というものが悪とされた。目先の事しか考えていない、愚かな連中の愚かな狂信が、人類の運命を閉ざしたんだ」

「そりゃ、政府も言えないっスね……」

 不味い酒をいくらあおっても酔えない様子で、エリックは再びグラスに酒を満たす。

「でも、その遺伝子てのを引き継いでるか調べて、引き継いでない女と男だけを集めて、妊娠させるとか……」

「人権団体が許すと思うか?」

「……まぁ、そうっスね……」

「だから、その遺伝子を持っている可能性のない、眠れる者が必要なのさ、人類の未来のために」


 しかし、そこにはひとつ問題がある。

 「眠れる者」には、コールドスリープをする理由があるからだ。それは病であったり外傷であったり高齢であったり、通常の妊娠出産に挑むには難のある状況ばかりだ。

 ……しかし、俺は知っている。

 完全な健康体で眠る、唯一の女性を。


 ――俺が交通事故に遭う前。

 俺は、ある人と会う約束をしていた。婚約者だった。指輪を渡す予定だった。約束の時間が遅れたため、無理な道路横断をした。そして……。

 聞いたのは、目覚めてからだった。

「あなたの婚約者も、コールドスリープされています」

「なぜ!?」

 俺は驚いた。まさか、自分のせいで自殺を図ったのか?

 しかし、俺を起こした医師は首を横に振り、こう告げた。


 ――あなたが目覚めた時に、おばあちゃんになってるのは嫌だもの。


 彼女の意思は、俺を心から悔悟させるに足りるものだった。

 しかし俺は、彼女が眠った理由である俺が目覚めたのだから、すぐに会えるものだと思っていた――その時は。

 彼女はコールドスリープされている女性のうち、唯一の妊娠可能な健康体だった。

 彼女をこのまま目覚めさせ、解放するという事は、人類の未来に辛うじて開いた小さな光を、みすみす消してしまう行為……。

「彼女は! 彼女の意思はどうなんですか!?」

「『眠れる者』には、広義の人権は適応されません」

「じゃあ……!」

「眠ったまま、被検体になってもらいます。コールドスリープ開始時の同意書にも、そうあります」

 俺たちが眠りについた時期は、コールドスリープが開始された直後。「医療向上のための試験に協力する」のを条件に、その費用が免除される制度があった。彼女は、それを使ったのだ。

「そんな……!」

 余りに無茶苦茶な解釈だ。しかし俺に、彼らを論破する力は無かった。


 彼女は「スリーピング・ビューティ」と呼ばれ、今も施設のどこかで眠っている。

 俺が彼女のためにできる唯一の事は、発電所を維持する、ただそれだけ。


 エリックは複雑な表情を見せながら、立て続けに数杯グラスを空けた。

「何スか、それ……」

「悪かったな。言わない方が良かった」

「いや……」

 そして不意に顔を上げると、まじまじと俺を見た。

「でも先輩も『目覚めし者』なんだから、その遺伝子を持ってないって分かってるじゃないスか。なら、先輩が精子を提供すれば……」

「いや」

 言いながら、俺は脚を見せた。

「この通り、事故で下半身はサイボーグだ」

「…………」

「俺は、眠り姫スリーピング・ビューティの王子様にはなれないんだ」

 エリックは髪を掻き混ぜながらカウンターを叩く。

「この不条理のイライラを持ってく場所が分からないっス」

「おまえが気にする事はないさ」

「でも……!」


 マスターが不機嫌な顔で酒瓶を下げた。これ以上暴れるなら帰れとの意思表示だろう。

 俺はエリックをなだめながら、マスターにチップを渡した。相変わらずの無愛想で、マスターは渋々、酒瓶をカウンターに戻した。


「正直、俺もこのまま人生を終えるのは、耐えられない」

「なら!」

 ようやく酔いが回ってきたのか、エリックが紅潮した顔で拳を振り上げた。

「彼女を取り返しましょうよ!」

 俺はその言葉に目を丸くした。

「おまえ、自分の言ってる事が分かってるのか?」

「そんな事をすれば、人類は滅ぶって? でもさ、俺、前から思ってたんスけど、人類にそこまでして生き残るだけの価値があるんスかね」

「…………」

「どうせ滅びるんなら、好きな事して死んだ方がマシじゃないスか?」

「おい……」

「死ぬ時に見るの、俺の顔と彼女の顔、どっちがいいっスか、先輩」


 当然、考えた事がない訳はない。

 ――違法な手段で、彼女を強奪する。

 俺にはその勇気が無かった。彼女を奪うという事は、その後の彼女の人生に責任を持つ事。――そして、緩やかな人類の滅亡に責任を持つ事。そんな覚悟がある奴など、いる訳がないだろう。

 しかし、この時の俺には、エリックの言葉が深く突き刺さった。今までそれを実行に移さなかったのは逃げだと思った。俺の中に燻っていた火種が炎を宿した瞬間だった。


 俺はエリックを見据えた。

「そこまで言うなら、付き合えよ」

「勿論、そのつもりッス!」

「なら、決行は明日……」

「いや、今晩っスね」

 エリックは奥で電話に耳を当てるマスターを見た。

「あのオヤジ、元コールドスリープ管理施設の研究員スから」


 言うが早いか、エリックはカウンターを飛び越えた。そして電話を奪い取ると床に叩き付ける。

「先輩! 紐ください、紐」

 小柄なマスターは、現場で鍛えている若いエリックには敵わない。腕力で取り押さえられている。

 俺は周囲を見渡した。そして、カウンターの端で目障りな音楽を流すラジオのコードを引っこ抜き、エリックに投げた。

「殺す気か?」

「まさか。一晩縛っておくだけっスよ」

 エリックは器用にマスターを縛る。そして、口にダスターを突っ込んで立ち上がった。


「もう、後戻りはできなくなりましたスけど、いいですよね」

「…………」

 正直、そこまでの覚悟ができていたかというとそうでは無かった。しかし、頷かざるを得ない。

 俺たちは照明を消し、「Closed」の看板を出してバーを出た。


「計画はある」

 ずっと考えてはいた。しかしそれは、一人では不可能だった。いや、実行に移す勇気がなかった。だが、今は横にエリックがいる。酒の勢いとは言わせない。


 発電所から盗んだ作業車で、コールドスリープ管理施設の裏手に回る。壁に隠れる位置に停車させ、様子を伺う。

「夜勤の時に観察していた。警備員の見回りは一時間置き。その際、裏門を開けて点検する。そこを襲って小銃を奪う」

「どうやって?」

「お前が酔っ払いのフリをして絡め。俺が後ろから殴る。夜勤の警備員はバイトだ。責任感はない。殴れば逃げるだろう」

 そして、道具箱からレンチを取り出した。

「なんか、ワクワクするっスね」

「時間だ。来るぞ」


 ……裏門から制服を着た男が現れた。手には小銃。予定通りだ。

 エリックは車を出た。そして、千鳥足で警備員に近付いていく。警備員は一瞬銃を向けたが、酔っ払いと見ると銃を下ろした。警備員の注視が逸れないうちに、俺は車を出た。

「……だからあ、あんた、ね、その、俺とさ……」

 エリックはクダを巻いて警備員に絡んでいる。俺は音を立てないよう細心の注意を払い、警備員の背後に回る。

「今晩付き合ってよ、ねぇ?」

 エリックが警備員の首筋に手を回す。――今だ!

 俺は駆け寄り、思い切りレンチを振り下ろす。それは警備員の後頭部で鈍い音を立てた。同時にエリックが銃を掴む。しかし、警備員は銃を離さない。

「…………!」

 俺は何度もレンチを頭に叩き付けた。やがて、警備員が崩れ落ち、動かなくなった時には、俺の上半身は血塗れになっていた。


 エリックは銃を抱いて呆然としている。

「……酔いが、醒めちまったっス……」

 俺だって、こんな予定じゃなかった。仕方がなかったのだ。

 呼吸を整え、震える手で小銃を受け取る。

「おまえは俺に脅されて付き合った。手を汚すのは俺のだけだ。いいな?」

 言いながら、小銃を確認する。――弾は十発。無駄撃ちはできない。


 身を屈めて裏の通用口に走る。そして、中を覗き込む。警備員から奪ったカードを差し込めば、扉は簡単に開いた。

「……先輩、中は分かるんスか?」

「俺が目覚めたのもここだからな」


 覚醒してからしばらく、状態確認のために入院していた。その間に建物をあちこち移動し、中の構造は大方頭に入っている。

 通用口を入り、通路を抜ける。夜間は人手が少ない。そもそも襲撃に備えるような警備はしていない。襲撃したところで、何のメリットもないからだ。案の上、俺たちは難なくエレベーターに辿り着いた。そして、最上階を目指す。


 ……扉が開いた先は、研究施設の最深部。若い研究員と目が合う。俺は小銃を彼に向けた。

「動くな。動かなければ何もしない」

「……な、何が目的だ?」

「『スリーピング・ビューティ』に会わせろ」

 銃口をピタリと研究員の頭に当てる。すると彼は震える指で、奥へと向かう扉のキーを解除した。

 そのまま、研究員を先導させる。通報されると厄介だからだ。

 扉の奥にもう一人、年配の研究員がいた。銃を見ると、彼もまたすぐに手を上げた。


 ――そこは、特別な部屋。数々の機械が設置された中央に、透明な『棺』が鎮座する。

 生と死の狭間を人工的に作り出す、コールドスリープ装置。

 その中に、彼女は眠っていた。

「…………」

 五十年前と変わらない、滑らかな頬、長い睫毛、微笑むように閉じられた唇。


 ――最後に見たのは、電話の画面だった。

「急がなくていいから。気を付けてね」

 その約束すら果たせなかった愚かな俺を、彼女は覚えてくれているだろうか?


 エリックが俺の手から小銃を取り上げた。

「こいつらは俺が見てますから。姫を起こしてください、王子様」

 そう言って俺の背を押した。すると、

「だ、駄目だ! 彼女を起こしては」

 頭に銃を突きつけられている研究員が叫んだ。

「そうすれば……」


 パァン!

 銃声が響いた。研究室のガラスが割れ散る。


「黙れ! ぐちゃぐちゃ言うと頭ブチ抜くぞコラァ!」

 若い研究員はぐったりと倒れた。恐怖で失神したようだ。


 俺は震える手を『棺』の解除ボタンに向けた。……これを押せば、彼女に、触れられる。

「頼むから聞いてくれ! ……今、彼女を起こしても、すぐに彼女は眠ってしまう。コールドスリープから目覚めさせるには、手順が……」

 年配の研究員が声を上げた。

「うるせー!」

 再び銃声が響く。彼は悲鳴を上げて床に倒れた。太腿を撃ち抜かれている。


「待てエリック! ……詳しく話せ」

 俺が促すと、負傷した研究員は続けた。

「コールドスリープから目覚めさせるには、数ヶ月かけて、徐々に細胞単位から覚醒させる必要がある。それをしなければ細胞は持たない。栄養を失って、すぐに再び眠りにつく。長くて二十四時間。それ以上放置すれば、彼女は死んでしまう!」


「…………」

 俺の手は止まった。――彼女を奪う事は、彼女を殺す事。そんな事、できる訳がない!

「それに……」

 彼は続けた。


「彼女は、妊娠している!」


 その言葉は、俺の心臓を凍り付かせた。

「コールドスリープ状態での妊娠の実例は、これまでにない。彼女を失ったら、もう二度と、この研究はできないだろう。彼女は、人類の最後の希望なんだ! 君は、自分のしようとしている事が分かっているのか!」

「誰の子だ?」

「…………」

「彼女は、それを希望したのか?」

 俺は研究員を見据えた。

「貴様は、彼女を人間として尊重したか?」

「…………」

「貴様は、彼女を実験台にしか見ていないのだろう! クソが!」


 俺は殴りかかった。俺の人生の鬱憤全てを拳に込めた。エリックが止めなかったら、再び命を奪っていただろう。


「先輩、逃げましょう! 彼女を連れ出すのは無理だと分かった以上、長居は……」

「いや、彼女は連れて行く」

 俺は躊躇なく『棺』に向かった。そして、解除ボタンを押した。

「エッ……! そんな事をしたら、彼女は……」

「分かってる。だが、人間として生きられないのなら、人間として死ぬ方を選ぶ。俺ならそうする」

 触れた彼女の肌は、氷そのもののように、硬く、冷たかった。俺は上着で包み、彼女を抱き上げた。

「行くぞ!」


 遠くからサイレンが聞こえる。それは徐々にこちらに迫って来る。そのライトが到着する直前に、俺たちは作業車に乗り込んだ。ライトと反対方向へ急発進する。

「……これから、どうするんスか?」

 エリックが声を上げる。

「街を離れる。話はそれからだ」

「こうなったら、とことん付き合うっス!」


 エリックは追跡者に向かい銃口を向ける。乾いた音が何発か耳を裂き、後方で爆発音が響く。反撃の銃弾が窓を貫く。再び放たれる銃声。

「無駄撃ちするなよ。一発は残しておけ」

「一発って何スか?」

「保険だよ」


 銃弾の応酬の中、俺は後ろをチラリと見た。後部座席に寝かせた彼女は、それでも目覚める事はない。朝日が登り、気温が上がらなければ、彼女の呪いを解く事はできないだろう。


 舗装された道路を離れる。悪路では、パトカーよりも作業車の方が圧倒的に有利だ。揺れで舌を噛みそうになりながらも、スピードは緩めない。やがてパトカーの姿は見えなくなり、何もない荒野が広がりだした。

 地平線の彼方に日が昇る。こんな光景を見たのは何年ぶりだろうか。


「……ここまで付き合わせて悪かったな」

 俺は横のエリックに目をやった。……だが彼は、血に塗れた頭を窓の外に垂らし、事切れていた。

 ――こんな事が、こんな事があっていいのか!

 涙に視界が遮られ、俺は車を止めた。エリックの瞼をそっと閉じ、膝に置かれた銃を取り上げる。

 ……残る弾は一発。本当に律儀な奴だった。俺は銃を担いだ。

 それから、後部座席の彼女に向き合う。

 白い肌には結露が浮いていた。溶け始めている。俺は彼女を抱き上げた。驚くほど軽い。そして、太陽に向かって歩きだした。


 灼けるような日差しが荒野を照らす。みるみる気温が上がり、汗が噴き出す。

 深夜だったため、追跡は一旦休止されただけだろう。間もなく、追手は作業車とエリックを発見する。少しでも距離を稼がなければ。


 しばらく行くと林あった。身を隠すには好都合だ。俺はそこに踏み入った。

 草と木の根に足を取られながらも、彼女だけは離さずに、奥へ奥へと進んでいく。


 すると、拓けた草地に出た。朝の陽射しが、鮮やかな緑に降り注ぐ。

 俺はそこに腰を下ろし、彼女を抱いた。陽射しの熱と俺の体温で、彼女の呪いを解こうと試みる。

 長い髪が指に絡む。失った五十年が巻き戻る気がした。


 この時をどれだけ待ち焦がれていたか。そしてこの時のために、どれだけの犠牲を出したのか。

 後悔していないと言えば嘘になる。しかし、今更悔やんだところで、時は戻らない。今はただ、彼女の体温だけを感じていたい。それが個人的な我儘であったとしても、今はそれが俺の全てだった。


 やがて、彼女の体がピクリと震えた。鼓動を感じる。そして、首筋を吐息が撫でた。

「……やっと、来て、くれた」

「あぁ……」

 言葉が出ない。これまで、彼女に掛ける言葉を幾万も考えたのに、全く無意味だった。二度と離すまいと、柔らかな肌をただただ抱き締めた。


 世界がどうなろうと構わない。彼女が生きて、ここに居る。その事実以上に価値のあるものなど、存在するはずがない。

 降り注ぐ陽射しが、ふたつの影を溶かしていく。




「……面白い話だったよ」 

 老人は手を叩いた。

「それで、彼はどうなったのかね?」

「彼女が再び眠りについたのを見届けた後、小銃に残された一発を使い、頭を撃ちました。しかし、致命には至りませんでした」

 アンドロイドはベッドに横たわる老人に、端子を接続していく。

「……それが、君が肉体を持っていた頃の記憶、なのかね?」

 俺は手を止めた。老人は微笑みを浮かべて俺を見上げた。

「機械の肉体に、君の記憶を記録した脳幹制御チップを移植され、人類の存続のため、永遠の就労に従事する。君の罪への罰というには、いささか重いように感じるがね」

「俺には分かりません」

「しかし、君は十分な仕事をした。君のおかげで、発電所は寿命を伸ばし、コールドスリープ装置が起動を始めて、既に三百年になるというじゃないか」

 言いながら、老人はシワだらけの手を胸の前で組んだ。

「――そして、覚醒している最後の人間となった私も、こうして死なずに眠れるのだから」

 目を閉じた老人の上に、透明な蓋を被せる。『棺』を起動させれば、老人に繋がるモニターの波形に変化が見えた。徐々に心拍数が下がり、意識レベルが低下していく。


 結局、人間は生物の域から出ることはなかった。

 「死」の恐怖を克服できず、「眠り」を選択したのだ。


 ――そして俺は、人類を眠らせるだけの存在になった。

 自傷後、俺は脳死状態となっていた。

 しかし、その時既に、発電施設の技術者が他にいない状況だった。そのため脳幹制御チップを取り出され、俺の意識はアンドロイドに埋め込まれた。

 アンドロイドの体というのは非常によくできている。眠る必要もなく、他者の知識を取り入れる事もできる。

 総合的なシステムを再構築した結果、俺一人でこの街を管理できるまでになった。

 俺はこうして、永遠に目覚めることのない、「眠れる者」を眺め続けるのだ。

 モニターが通知音を鳴らした。老人の意識が完全に落ちた。


 こうして人類は、永遠の眠りについた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

スリーピング・ビューティー 山岸マロニィ @maroney

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ