後編
三番目の兄とは、また彼の家で会うことになった。
「兄さんたち、引く気は無いみたいやわ。僕や美里と違って、会社があるからな。だから、どうにかしてあの遺言状を無効にしたいんやわ」
「そう」
あたしはそんな話に興味が無かったが、当事者であるという自覚は持ち合わせていたため、きちんと彼の話を聞いた。時折、眠くなってしまったので、手の甲を自分でつねって持ちこたえた。
「それでさ、美里……」
「ええよ。今日も、したいんやろ?」
あたしはベッドに連れ込まれ、ゆっくりと全裸にさせられた。翼につけられた痕はもう消えていた。
「こんなことしたら、あかんのにな」
そう言いつつも、兄の身体は反応していた。だからあたしは、優しく彼を包み込んだ。ああ、とても退屈だ。しかし、止められないのも事実だった。
セックスが終わり、あたしは服を身に付け始めた。その途中で、兄が言った。
「美里。一緒に死のうか」
「なんで? あたしは死にたくない」
「もう僕らは堕ちるとこまで堕ちたんや。もう死ぬしかない」
「だからなんで、そういうことになるの? 迷惑やわ。死ぬなら一人で死んで」
苛々したあたしは、さっさと服を着てしまうことにして、手を早めた。部屋を出ようとするあたしの腕を、兄が掴んだ。
「行かんといて」
あたしは兄の腕をはたき落とした。
「嫌や。もう今日は帰る。死ぬんやったら勝手に死んだらええ」
そう一息に言いきると、兄はうなだれた。あたしの苛々は収まらなかった。それで雪子に連絡をした。
「ミリちゃん、どうしたん? 急にうち来たいなんて、珍しいなぁ」
雪子は一人暮らしをしていた。物は少なく、テレビも無いその部屋を、あたしは気に入っていた。
「あのね。三番目の兄貴に、一緒に死んで欲しいって言われてん」
「えっ?」
「堕ちるとこまで堕ちたんやから、もう死ぬしか無いんやって」
「どういうこと? お兄さんと、何があったん?」
あたしは雪子に兄との情事のことを話した。さすがの彼女も、兄妹の一線を越えてしまっていたことには絶句したようだった。しばらく下唇を噛んで押し黙っていた彼女だったが、絞り出すような声でこう言った。
「私はミリちゃんに生きていてほしい。だって、私の一番の友達やもん」
「ありがとう、雪子」
雪子は泣いていた。あたしはどうすればいいのかわからなかった。なので、とりあえず彼女の身体を抱き締めた。か細く、頼りない身体だった。
「ミリちゃん、あったかいなぁ……」
さらに雪子は泣き続けた。なぜ彼女が泣くのかは分からなかったけど、してほしいことは分かる気がした。それで彼女にキスをした。
「ミリちゃん?」
唇を奪われたことで、雪子の涙は引っ込んだ。鳩が豆鉄砲を食らったようなその表情が可笑しくて、あたしは続けてキスをした。今度は舌を入れ、深く長く。
「もう……ミリちゃんってば」
「くすぐったかった?」
「うん」
雪子の顔に笑みが差したので、あたしのしたことは正解だったのだと思った。そして、あたしは彼女の服の左袖をめくった。
「最近も切ったん?」
「うん。ちょっとだけね」
真新しい傷痕を、あたしは指でなぞった。そして、雪子に質問をした。
「死にたいって思ったこと、ある?」
「うん。何度もあるよ。ミリちゃんは?」
「無いよ。死ぬんはこわいもん」
「そうやろうね。ミリちゃんは、自殺なんて考えへん子やと思うわ」
実際、あたしはそうだった。死にたいという気持ちが分からなかった。雪子の傷痕をなぞりながら、想像してみようとした。それでもダメだった。兄が言った死にたいも、理解ができなかった。
そりゃあ、あたしだって辛い時はある。母が電話越しに何度も頭を下げていた時。祖母に出来損ないの恥娘と罵られた時。それでもあたしは死にたいとは考えなかった。
だけどどうやら、人間は一度や二度くらいは、死にたいと考えるらしい。あたしはそのことについて、思いを巡らせた。答えは出なかった。どうしてあたしは自殺を考えないのか、それがとても気になった。
それで、あたしはまた陽平を呼んだ。
「最近、ミリからのお誘い多いな」
「嫌やった?」
「別に。暇やったから来た」
ホテルのダブルベッドで、まだ服を着たまま寝転びながら、あたしは陽平に聞いた。
「なあ、死にたいってどんな気持ち?」
「なんや、いきなり」
「あたし、死にたいって思ったこと無いねん。陽平はある?」
「あるよ。詳しくは言わへんけどな」
陽平はあたしの右手をきゅっと握った。そして、真っ直ぐにあたしの瞳を貫いた。とても綺麗な焦げ茶色だな、とあたしは思った。
「死にたい、っていうのは、生きていたくないってことやと思う。生きるんが嫌やから、死にたいんや」
「そうなん? だったら、やっぱりあたしには分からへんわ。あたしは生きたいもん」
あたしは生に対して貪欲なのだろう、と答えを導きだした。それでも何かが正しくない気がしたが、ひとまずそう落ち着けた。
その日も陽平と夜を過ごし、朝焼けを迎えた。ホテルを出たときの、白いもやのかかったような寒気がとても心地よかった。ほら、やっぱり冬は良い。この冬が来るからこそ、あたしは生きている。生きていく。
ミリの感情 惣山沙樹 @saki-souyama
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