第8話

 駒坂こまさか駅から乗った電車の中も、地獄でした。今度は帰る人たちで満員電車になっていましたから。私はドアの横に陣取じんどって、正面の人たちの手や足下をじっと見つめていました。学校鞄も前に回して胸に抱えて、もし何かあってもすぐには捕まらないようにしました。顔を上げることはできません。目が合うのが怖かったんです。みんなが、車両にいる全員が私のほうを見ている気がして。あの顔で、私を……。


 箕山口みのやまぐち駅で降りるなり私はそのままホームの壁に背中を向けて、う人たちを見続けていました。ヘビオに会うにはそこで待つしかなかったからです。雨の日はいつもこの駅から出勤するのを見ていたので、帰りも必ずこの駅を使うと思いました。でも何時に来るのかは分かりません。だからひたすら探し続けるしかありませんでした。


 あとからすると、結局2時間以上も待っていました。でも時間なんて全く気になりませんでした。ずっと次の電車で来るんじゃないかと思って。でもいつの間にか見逃してしまった気もして。途中で見知らぬおばさんと駅員さんから声を掛けられましたが、何もこたえずに首だけを振り続けました。心配されたようですが話せるはずもないですから。


 そうして日も暮れて完全に夜になって、人の乗り降りもどんどん多くなってきた時に、停車した電車からようやくヘビオが現れました。見つけられなかったらどうしようと心配しましたが、のっぺりとした顔とベタッとした髪ですぐに気づきました。何より猫背気味で首を伸ばすようにして歩く姿は見間違みまちがえようがないです。もちろん服装や手に持っている傘も朝に見た通りでした。


 私は怖い気持ちを抑えてヘビオに近づき、思い切って声を掛けました。雨の日はいつも見かけましたが、話をするのは初めてです。ヘビオは、なんだか疲れたように顔色が悪くて、目も赤く濁って充血していました。ただ、真正面から見るとそれほどヘビに似ていないと思いました。


 先に何か言われるんじゃないかと身構みがまえていましたが、ヘビオは立ち止まってじっとこっちを見ていました。それで私は鞄からワニ皮の財布を取り出すと、今朝けさ、この駅のベンチで落とすのを見ました。返すタイミングがなかったので預かっていました。探しておられたならごめんなさい。中は見ましたが何も取っていません。今お返ししますから、どうかもう許してくださいと伝えました。待っている間にずっと考えていた言葉でした。

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