第6話

 同じです。あの電車内の痴漢と同じ、湿った聞き取りにくい声でした。私は怖いのと痛いのと苦しいのがぐちゃぐちゃになって、遥奈はるなの手を外そうともがきました。そのうち教室にいた他の人たちが彼女を引きがしてくれました。それも三人がかりで、一人は男子も手伝ってくれました。


 本当のことです。高校に問い合わせたら分かるはずです。先生も知っています。だってそのあとすぐに遥奈が意識を失って倒れましたから。無事とは聞いていますが、そのまま病院へ行ったそうなので詳しいことは知りません。私は保健室で簡単な手当てあてを受けて教室に戻りました。特に怪我けがはなかったので。


 いいえ、遥奈に財布のことは話していません。でも彼女は知っていました。どうしてって……分かりませんよね? 私も、その時は全然理解できませんでした。ただ、あの財布を持っていることは絶対に良くない。ヘビオに返さないといけない。このままだと誰かに殺されると、はっきり思いました。


 それから私はもう誰とも話さず、ずっと何かにおびえて過ごしていました。授業中も休み時間も周りが気になって震えが止まりませんでした。私の席は教室の真ん中あたりで、前も後ろも右も左も誰かいるんです。左右はまだ良いんです。でも後ろの人がいきなり立ち上がって、飛び掛かってきたら避けられません。それよりも、前の人が振り返って、その顔がまた変わっていたらと思うと……私、他人の後ろ姿があんなに怖いとは思いませんでした。


 でも校内ではそれ以降何も起きませんでした。放課後になると私はすぐに学校を出て帰り道を急ぎました。ヘビオに財布を返すために、いつも会う箕山口みのやまぐち駅で待ち伏せすることにしたんです。どこかに捨ててしまうことも考えましたが、手放したあともまた誰かに返せと襲われるような気がして、やっぱり会うしかないと思いました。


 下校の途中にアーケードのある賑やかな商店街を通るのですが、そこでも私はなぜかみんなに目を向けられていました。いつも通りかかる魚屋のおばさんや、黒いエプロンを付けた喫茶店のマスターや、揚げ物屋のおじさんとか花屋の人とか、みんな立ち止まって私のほうを見ていました。そして口々に、返せ、返せと言ってきました。


 本当です。みんな変になっていたんです。いえ、もしかすると、私が変になっていたのかもしれません。通りを行き交う人も同じです。こちらに向かってくる人たちも、みんな私を見ていました。だから私はうつむいて逃げるように歩き続けました。夕方の混雑する頃だったので、走ることもできません。人の流れに乗りながら、前をゆっくり歩くおじいさんを追い抜きました。


 その直後、お爺さんに腕をつかまれました。

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