華奢な子供は飯で抗う

@sahiro326

第1話



1話



「経験値を全て調理師スキルに」

薬草採取のミッションを終えた少年、アルバーノは冒険酒場『黒龍亭』のマスターにカードを見せてそう呟いた。年齢がまだ十歳であることを考慮しても背は低めで、身体も極めて細い。明らかに栄養が足りていないその少年は、薬草採取に行っていたとは思えないほど服がボロボロになっており、体のあちこちに擦り傷を作って血まみれだった。

「……坊主。悪いことは言わねえ。そろそろ戦闘系のスキルも取りな」

今年で齢五十を超える『黒龍亭』のマスター、ロードリックはアルバーノに向かい、ぶっきら棒だが諭すような口調でそう言い、アルバーノのカードをトントンと指で叩いた。

「経験値を全て調理師スキルに」

同じ口調、同じ声色でもう一度アルバーノが繰り返す。ロードリックは諦めたように溜息を吐き、カードを手に取って専用の台座に置き、左手の指を台座の上で躍らせた。

「はいよ」

返されたカードには『調理師レベル 5』と書かれており、それ以外のレベル欄は空白になっていた。

「こんなスキルじゃゴブリンも倒せんし、身も守れんぞ。飯を作りたいのなら冒険者じゃなく飯屋で働きな」

低く小さな声を出し、警告するような口調でロードリックが言う。アルバーノは表情の無い顔で彼を見つめて、ゆっくりと口を開いた。

「お前には大局が見えていない」

抑揚の無い声でアルバーノが言う。ロードリックは小さくため息を吐き、それ以上何も言わなかった。



* * * * *



「おいアルバーノ!」

街中で名前を呼ばれ、振り向こうとした瞬間、鈍い衝撃がアルバーノの頬を襲った。地面に倒れたアルバーノが殴られたことに気付くと、次に腹部に痛みが走った。

「がはっ!」

血の混じった胃液を吐き、アルバーノが呼吸出来ないでいると、頭上から複数人の笑い声が聞こえてきた。

「お前、小銭を拾ったんだって? 俺達にも分けてくれよ」

アルバーノの目に、膝を曲げて屈みこみ、にやにやと笑いながらアルバーノを見ている太った大柄な男の姿が映った。その男の後ろにも二人の男が立っており、同じような笑みを浮かべてアルバーノを見下していた。

名前も知らないが、アルバーノが黒龍亭で依頼をこなす度に現れる、三人のごろつき共だった。普段は黒龍亭などで昼間から酒を飲み、アルバーノのような弱そうな冒険者が現れるたび、食い物にしている連中だ。黒龍亭に限らず、彼らのような存在は何処に行っても必ず存在した。

通りを歩く通行人達は、アルバーノに同情的な目を向けながら関わらないよう避けて通るか、あるいは迷惑そうに睨み付けるか、嘲笑を浮かべるかのどれかだった。街中で大人が子供を虐めていても、助けようとする者など一人もいなかった。

「おい。さっさと金出しな」

太った男が片手でアルバーノの首を絞め、低い声を出す。

「……が……」

アルバーノの喉からか細い声が漏れる。

「あん?」

太った男は一瞬首を絞める力を緩め、アルバーノの口に耳を近づけた。

瞬間、太った男の脳内にガリッと何かが噛みつく音が聞こえた。

「ぎゃあああああ!」

耳を強く噛まれた太った男が、野太い悲鳴声を上げる。アルバーノは本気で噛みついたが、細く小さい彼のアゴは耳たぶを嚙み千切るほどの力も無く、ただ歯形を残しただけだった。

「クズ共が。真面目に働け!」

荒い息を吐きながら、自身の倍以上もある男たちを睨み付けて叫ぶ。

「こンのクソガキが!」

耳を噛まれた男が、怒りに任せて拳を振るう。

アルバーノは咄嗟に避けようとしたが、避けた先に別の男が立っていた。

瞬間、襲ってくる激痛。それはアルバーノの身体のあらゆる角度からやってきて、意識が無くなるまで続いた。



* * * * *



人気のない街の外れで、アルバーノは枯れ木をくべて火を起こし、その上に彼のウエストの半分ほどのサイズの鍋を乗せていた。アルバーノの全身には打撲の跡があり、所々青黒く腫れていたが、アルバーノは痛みで震える手でおたまを動かし、カチャカチャと音を鳴らしながら鍋の中をかき混ぜていた。

フツフツと泡が立つほどに煮込まれた鍋の中には米、山菜、香草、茸などが入っており、辺り一面に香草の爽やかな香りが広がっていた。

「変わった匂いじゃな。それは雑炊か?」

いつの間にかアルバーノの傍に来ていた、長く艶のある黒髪をした若い女性が、尊大な態度と口調で尋ねる。黒髪の女性はこの街、ウォルガーナの平均的な成人男性と比べても身長が一回り高く、細身ではあるがすらりと伸びた手足は引き締まっており、大きく背中が空いたドレスで身を包んでいた。

「ヘイロン。食べる?」

アルバーノが振り向いて、黒髪の女性を見て尋ねる。

「ぶははははははは!」

途端、ヘイロンと呼ばれた黒髪の女性は豪快に笑いだした。

「な、なんじゃヌシのその顔は! ようもその面で生きていられるものよの!」

余程面白かったのか、ヘイロンは腹を抱えて一分ほど笑い続けた。

ひとしきり笑い続けた後、不意にスイッチが変わったかのように真顔になった。

「誰にやられた? 言え。ワシが殺してやる」

「気にしなくていいよ」

「そうか」

アルバーノがそう言うと、ヘイロンはすぐに頷き、表情から殺気を消して鍋の中身を見た。

「もう食えるのではないか?」

ヘイロンの声に頷き、アルバーノがリュックから大きい器と小さい器を取り出す。

「ヌシも食うのであろう。半分で良いぞ」

微笑を浮かべ、慈悲をかけるような口調でヘイロンが言い放つ。まるでヘイロンが自身のものをアルバーノに分け与えているような態度だったが、アルバーノは取り合わず、所々が欠けた大き目の器に雑炊を盛り、木製のスプーンを添えてヘイロンに渡した。次いでアルバーノは自分用の小さめの器にヘイロンの半分ほどの量の雑炊を盛って、木製のスプーンで食べ始める。鍋の中には、アルバーノがもう一杯おかわり出来るか否か程度の微量の雑炊だけが残っていた。

「薄味だが不思議と旨いな。しかし肉は無いのか?」

「高くて買えない」

「この山菜や茸はヌシが狩ってきたのじゃろうが。獲物も狩ってこんか」

「兎になら勝てるけど、見当たらなかった」

「情けない奴よのう」

文句を言いながらヘイロンが器に残った中身をスプーンでかきこみ、空になった器をアルバーノに差し出す。

「お替りじゃ!」

アルバーノは無言でそれを受け取り、鍋に残った中身を全て掻き入れてヘイロンに渡した。

「これだけしか残っておらんのか。半分は食うてええと言うたが、ヌシャア遠慮と言うものを知らんのか」

ヘイロンが呆れたような口調でアルバーノを睨み付け、文句を言いながら雑炊を掻き込む。アルバーノはそれにも反応せず、空になった鍋を上下逆さまにして、未だ燃え続けている火を包んで消した。

「ヘイロンが来るって知っていたら、もっと多めに採ってきたよ」

「口答えする気か。生意気な奴め、食うてやろうか」

「それで、何の用?」

「ふん」

食べ終えた器をアルバーノに向かい下から放り投げる。アルバーノはそれを受け取り、ヘイロンの次の言葉を待った。

「今晩ワームの群れがこの街を襲う。ヌシなど一呑みにされるぞ。早う逃げた方がええ」

「ワーム? ウォーム?」

「虫ではないわ。下等な蛇の群れよ」

「どうしてヘイロンの眷属がこの街を?」

アルバーノが『眷属』と口にした瞬間、ヘイロンは殺気の篭った鋭い視線をアルバーノに突き付けた。アルバーノは一瞬ビクッと身体を震わせたが、すぐに何事も無かったかのように再びヘイロンを見据えた。

「口と根性だけは一丁前じゃな。並の人間なら気を失っておるぞ。まして再びワシと目を合わせるとは、つくづく生意気な奴よ」

「怯えてはいるよ」

「当たり前じゃ! まあええ。その根性に免じて答えてやろう」

そう言いながら、ヘイロンの視線に再び殺気が篭る。その殺気はアルバーノに向けられたものではなく、虚空に向けられていた。ヘイロンの瞳孔が蛇のように縦に伸び、赤い光を放った。

「ワーム共め、ワシが弱っている隙に縄張りを荒らしよった! ワシは身体が回復するのを待ち、奴らの群れを半分ほど食うて追い出してやった!」

「わざわざ街の方角に?」

「当たり前じゃ! この国のバカ共のせいでワシは傷を負ったのじゃぞ!」

ヘイロンが叫ぶと、晴れていた空に黒く分厚い雲が差し掛かり、昼間とは思えないほど薄暗くなっていった。

「恩を売るつもりはないけれど、飢えて倒れたヘイロンを看病したのは私だよ」

「じゃからヌシだけは逃がしてやろうというワシの慈悲よ」

「私は逃げない。戦うよ」

当たり前のような口調でアルバーノがそう言うと、ヘイロンは驚いたように目を見開いた。

「戦う、と言ったか? ヌシがか?」

「この街にはもう強い冒険者はいない」

「ワシが殺したからな」

「だからこの街にはもう、私しかいない」

「ヌシャアどこまで本気なんじゃ?」

理解出来ないといった表情で、ヘイロンがアルバーノを見つめる。

火消しに使っていた鍋を開ける。火は既に消えて燃えさしになっていた。薪に水を撒いて完全に鎮火し、その後諸々の後処理を終えると、アルバーノはヘイロンを気にせず、リュックを背負って歩き始めた。

「何処へ行く?」

「近くの森に、素材を集めに」

「素材じゃと? いや、その身体でか? 傷は熱を帯び、やがて全身が腫れあがるぞ」

「雑炊食べたから」

そう言って、ぎこちない動作でゆっくりと歩き始めるアルバーノを、ヘイロンは眉根を寄せて見つめていた。

「……まあ、あやつの飯がおかしな効果を持っているのは確かじゃ」

己の手のひらを見つめ、全身に力がみなぎっているのを感じて、ヘイロンは微笑み人の姿のまま翼を広げて宙を舞った。



* * * * *



ウォルガーナというこの街から少し離れた場所に山があり、その山を越えると海があった。その山あるいは海には昔から黒い龍が住んでいると言われていて、山や海は黒龍山や黒海と名付けられ、その地に人が踏み入ることは長年禁忌とされてきた。

しかしこの街の領主、あるいはその領主の上に立つ国王の命令により、二か月ほど前に黒龍討伐が命じられた。それから二十日ほどが経過し、A級あるいはB級と称される上位の冒険者十二人がこの街に集められた。

アンナは十二人の内の一人であり、討伐隊唯一の生存者だった。ひどい火傷を負い、全身包帯だらけになった彼女を、ウォルガーナの住民たちは英雄として迎え入れた。それは、討伐失敗の責を負わされると思っていたアンナにとっては思いがけない幸運だった。

人々は誰しも、A級冒険者である彼女から龍の話を聞きたがった。長年禁忌とされて接触を断っていた黒龍の存在は、この街ではある種神聖化されており、黒龍の形が掘られた彫刻や饅頭などが名産品になるほど人気があったのだ。その黒龍と会い、ただ一人戻ってきたアンナは何処へ行っても注目の的だった。

アンナはベテランが多いA級冒険者の中ではまだ二十四歳と若く、また容姿端麗であった為、非常に人気が高い冒険者だった。その彼女の全身が焼け爛れ、包帯塗れとなった姿は多くの同情を買った。特に龍討伐の噂を聞いて駆けつけた多くの吟遊詩人が彼女から言葉を聞きたがり、それぞれが歌を作って周囲に広めた。

アンナは今、ある貴族の家に招かれ、そこで手厚い保護を受けていた。食事も衣類も豪華なものを用意され、アンナは気が向いた時にだけ客間に出向き、そこで冒険譚を語るだけの日々をしばらく過ごしていた。

「黒龍はオーガの倍ほども大きく、その叫び声は天地を揺るがした。私は剣を構えて十二人の中で真っ先に飛び掛かり、黒龍に立ち向かった。すると黒龍はその巨大な口から灼熱のブレスを吐いた。その熱量は凄まじく、仲間から水の加護を得ていた私の肌を焦がしていった」

黒龍の話をする時、アンナは必ずこの冒頭から入った。ほとんどが真実であり、そして全てだったからだ。ブレスに焼かれたアンナは全身が燃える激痛と熱さに苦しみ、その場から逃げ出したのだ。

それから他の仲間がどうなったかは知らなかった。街に戻った後も、どれだけ経っても誰も帰ってこなかったので、全員死んだことにした。

最初は話を求められても火傷を理由に誰にも話さなかったが、時が経ち、民衆からの期待に耐えられなくなると、「龍と互角に戦ったが、敗れた」と偽りの物語を話すようになった。最初は誰もが面白おかしく聞いていただけだったが、やがて国から噂を検証しに黒龍の様子を窺う観測隊が派遣されたことを知ると、アンナの背筋は凍った。

結果として、アンナの話の真実が立証された。観測隊が調べた結果、黒龍は深く傷ついており、あまり動けない様子だった。更に深く調べると、龍の近くでバラバラになった複数人の死体が見つかったのだ。その数は、少なく見積もっても十人分はあったと言う。

その報告を受けて、この街の領主はアンナを英雄として扱い、多くの貴族たちもそれに倣った。アンナは最初、己の幸運に感謝した。そしてすぐに己の行動を恥じ、眠れぬ夜を過ごした。

仲間はあの恐ろしい黒龍を相手に奮闘していた。自分が先走らず連携を取っていれば勝てたのではないか。自分だけが何もせず逃げた。自分だけが生き残った。自分だけが英雄扱いを受けた。当時足手まといとバカにしていたB級冒険者達は何故逃げなかったのか。彼らは自分のことをどう思っただろうか。これからも嘘を吐き続けるのか。その嘘は何年、何十年語り継がれるのか。生き恥を晒したままこれからも過ごしていくのか。

「――ナ様 アンナ様!」

名を呼ばれ、ハッとした。アンナが顔を上げると、見覚えのある召使いの女性がいた。

「アンナ様、大丈夫ですか!?」

自分用に用意された広い部屋。目の前には、アンナ以外で唯一入室を許可されている召使いのマーガレットがいた。アンナはどれだけの時間そうしていたのか、部屋のソファに腰かけ、両手で顔を覆っていた。顔に火傷の痕は残ったが、包帯は必要ないほど身体は回復していた。

「すまない、マーガレット。大丈夫だ」

「ひどい汗です、アンナ様。お背中を流しましょうか?」

「いや……そうだな。頼む」

「その後で、是非とも聞いて頂きたいお話があるのですが……」

言い淀むマーガレットを見て、アンナが首を傾げる。

「どうした?」

「恐ろしい竜の群れが、この街に近づいてきているそうなのです」

マーガレットの言葉を聞き、アンナの脳裏に耐え難い恐怖が蘇った。



* * * * *



「まだいたの」

陽が沈み辺りが暗くなる頃、アルバーノが森から戻ると、そこにヘイロンが座って待っていた。

「一度帰ったんじゃが、やはり気になってのお。ヌシがどのようにしてワームの群れを追い払うのか見たくなったのじゃ」

アルバーノは気にせず、森から採ってきた数種類の草を、背負っていたリュックから出した。

「また飯の準備か? 間もなく奴らが来るぞ」

アルバーノは束にした草を手に取り、ヘイロンを無視して瓦礫のような彼のねぐらへ入って行った。

それから数分経つと、ヘイロンの鼻腔をくすぐる爽やかな香りが漂ってきた。

(何を考えておるのか分からん奴じゃ)

呆れるような眼差しとは別に、腹の虫がぐうと鳴った。

「おい、ワシの分はあるんじゃろうな?」

「入ってこない方が良いよ」

ヘイロンがねぐらに近づきアルバーノを見ると、彼は布で鼻と口を覆っていた。

突如、ヘイロンの鼻にツンとした刺激臭が襲い掛かった。

「な……なんじゃこの臭いは!?」

「良かった。やっぱり龍でも臭いんだ」

慌ててヘイロンはその場から逃げ出し、距離をとった。

「げほげほっ! ひどい臭いじゃ。まだとれんわ!」

鼻をつまみ、ぱたぱたと手を振る。涙と鼻水が止まらず、口からよだれが顎を伝いぽたぽたと地面に落ちた。

しばらくすると、皮の水袋を手に持ったアルバーノが瓦礫のねぐらから出てきた。皮袋に入っている為か臭いは幾分マシになっているが、中に悪臭の素が入っていることは離れた位置からでも感じ取れた。

「近寄るな! そこで止まれ!」

ヘイロンが命じると、アルバーノは言われるがままにその場でとどまった。

「そ、それをどうするつもりじゃ!」

「ヘイロン。上」

言われ、上空を見上げると、十数匹のワームの群れが近くの空を飛んでいた。

「間に合わなかったか」

アルバーノは息を吐き、真っすぐにヘイロンの方へと歩み寄って行った。

「近寄るなと言うておろうに! 早う奴らの所へ向かわんか!」

「ヘイロン。背中に乗せて」

「殺すぞ小僧」

ヘイロンが真顔になり、自らアルバーノに近づいていく。

「ワシを馬か牛とでも思うておるのか。乗せろじゃと? もう一度言うてみい。その首刎ね飛ばしてくれる」

「歩いていたら対処できない。お願いだから乗せて欲しい」

ヘイロンの手がアルバーノの首に伸びる。首をつかんだまま、ヘイロンは全く力を入れていなかったが、それでもアルバーノは苦しそうに呼吸していた。

「私は一度、君の命を救った」

表情を歪めながら、アルバーノが声を絞り出す。

「だからどうした。命令されて人を背に乗せるくらいなら死んだ方がマシじゃ」

「これは契約だ。乗せてもらう代わりに、あの日の出来事を無かったことにしてもいい」

「ほう」

ヘイロンがアルバーノの首から手を離す。アルバーノは地面に膝と手をつき、何度も咳き込んだ。

「契約の期間は?」

「ワームを追い払うまで。十分もあれば終わるはずだ」

「十分じゃな。ではその後、ワシの背にあるゴミを潰そうと投げ捨てようと好きにしていいということになる。何の義理も無くなるわけじゃからな」

「そうだね」

「何故そこまでして街を守る?」

「別にこんな街どうでもいいけど、自分だけ逃げて知らない振りをするのは格好悪い。ただそれだけだよ」

「それが命を賭けるほどの理由か? 意味が分からん」

「そういう価値観の国で生まれたんだよ。私はね」

そう言って寂しそうにアルバーノが笑うと、ヘイロンは少しの間彼を見つめた後、背を向けた。

「乗れ」



* * * * *



バリスタの矢や石弾が宙を舞う。それらはワームの群れまで届かず落下し、家屋を壊し、いたずらに被害を広げていた。

「衛兵、矢を止めさせろ! 指揮官は何をやっている!」

アンナが兵に向かい声を荒げる。ワームが仕掛ける前から辺りはパニックに陥っており、通りは逃げ惑う人々で溢れていた。

「街の中での戦闘は想定外です。ましてや、飛竜の群れなど……!」

アンナの傍にいる兵士の一人が、ワームが飛んでいる空を見上げながら慌てた声を上げる。

「アンナ様!」

「アンナ様だ!」

アンナに気付いた民衆が、彼女の傍に群がり始める。

「お救い下さいアンナ様!」

「どうか我々に光を!」

「退け貴様ら! 邪魔だ!」

群がってくる民衆を突き飛ばし、アンナが弓を手に取る。

おおっ! と民衆がどよめく。一同はアンナの弓を一点に見つめ、次の彼女の挙動を待った。

(城壁にあるバリスタですら届かない距離の空に、地面からのロングボウが届くものか!)

一身に期待を受けているアンナが弓を取ったのは、あくまでも自衛の為だった。ワームが急降下してきた場合、その時弓を準備していては遅いのだ。

「あれはなんだ!?」

誰かが叫び、視線がアンナから上空へと向けられる。そこにはワームの倍ほどもある謎の飛行物体が、凄まじい速度でワームの群れに近づいていた。

「……嘘だろ」

アンナの顔が絶望に染まる。闇に紛れたそれは、常人では存在を確認することさえ難しかったが、闇に慣れ視力の優れたアンナには、それが何なのか理解することが出来た。

「黒龍だ」

誰にも聞こえないほど小さな声で、アンナがボソッと呟いた。



* * * * *



「ヘイロン! ワームが散らばっていく!」

ヘイロン――黒龍が近づくと、ワームの群れはたちまちに散開し始めた。

「奴らめ、またワシに食われると思うて怯えておるわ!」

「食べるの?」

「食わん。ヌシがどうするのか見届けるだけじゃ」

アルバーノは最初ヘイロンの背に乗っていたが、すぐに風圧で吹き飛ばされると思い、頭に移動して両手でヘイロンの頭に生えた二本の角を持ち、それで身を支えていた。

「背に乗るどころか角まで持ちおって! 今すぐ殺してやろうか!」

「ゲームのコントローラーみたい」

「何のことか分からんが無性に腹が立つのう!」

「街の中心部に回り込んで、風上に向かって」

「十分後が楽しみじゃ!」

アルバーノの指示に従い回り込み、数匹のワームと対峙する。ワームの群れも覚悟を決めたのか、これ以上逃げようとはせずヘイロンと向かい合っていた。

「動かないでね」

ヘイロンに向かいそう言って、アルバーノが持っていた皮袋を開ける。すると中から緑色の粉末が宙を舞い、風に乗ってワームの群れに向かって行った。

ぎゃあぎゃあ!

粉末がワームの群れに近づくと、たちまち群れは騒ぎ出し、背を向けて逃げていった。

「効いておるぞ! あれは毒か?」

「ただ臭いだけの粉末だよ」

「役に立つのか!?」

「ヘイロンもまずい獲物を食おうとは思わないでしょ」

その言葉を聞き、ヘイロンがハッとする。

「その粉末、ヌシにも付着しとらんじゃろうな!?」

「手にべっとり着いているよ」

「それでは食えんではないか!」

「ヘイロン、次はあっちの群れに向かって」

「その手で角に触るな! 振り落としてやろうか!」

「まだ十分経ってないでしょ?」

「がああ!」

ワームに近づくと、ヘイロンは口から炎を吐き、数匹のワームを焼き殺した。

「え、なんで……? ああ、八つ当たりか」

一人で納得すると、アルバーノは口元を綻ばせ、僅かに微笑んだ。



* * * * *



「黒龍様……!」

「黒龍様が、この街を守って下さっている!」

ワームよりも大きな龍種――皆、黒龍と呼んでいる――がワームの群れに近づくと、たちまちにワームの群れはそれを恐れて逃げ回った。そして一度だけ凄まじいブレスを吐き、何匹かワームを焼き殺した。

黒龍は執拗にワームを追い回し、遂には街から全てのワームを追い払った。

人々は一様に黒龍様と叫び、歓声を上げ拍手を鳴らした。

やがて黒龍は街はずれの方へと飛んでいき、姿が見えなくなった。

「本当にあの黒龍が街を救ったのか……!?」

僅かな間の出来事だったが、その一部始終を民衆と共にアンナも眺めていた。

アンナがもう一つ気になったのは、ブレスを吐いた時、黒龍の頭上に人間の子供が乗っていたような気がしたことだ。ブレスの光が消えると見えなくなったが、確かに何かがいた気がした。

(なんにせよ、この街にはもう居られないな)

ワームを追い払ったのは間違いなく黒龍であり、それを討伐しようとしたアンナや領主の立場は危うくなるだろう。庇護してくれていた貴族にしても、これ以上アンナを引き留めようとはしないはずだ。そしてまだこの街に残っている吟遊詩人達もまた、新たな歌を作るだろう。

アンナは未だ熱狂している人々の間を通り抜け、人知れず街を去った。



* * * * *



冒険酒場『黒龍亭』は大勢の人で溢れかえっていた。ただ飲みに来る者もいたが、多くは報奨金を貰いに来て、そのまま祝杯をあげているのだ。

ワームに立ち向かった冒険者達に、領主から幾許かの報酬が与えられることになった。それは名目上『報酬』と銘打っていたが、実際は黒龍を討伐しようとした領主が自身に怒りが向かないよう、金をばら撒いていることは誰の目にも明白だった。それ故に修繕費や慰労金など色々と理由をつけて街の住人にも金を配っていたが、これらは素直に感謝された。

黒龍亭の扉が開き、一人の子供が忙しそうに働いている酒場のマスターの傍まで歩いて行く。

「ワーム討伐の報酬を」

「なんだアルバーノか。お前はダメだ」

アルバーノの姿を見て、黒龍亭のマスターであるロードリックは首を左右に振った。

「何故?」

「何故って、お前はまだ酒を吞めないだろう」

「お酒は関係ないと思うけど」

「ダメだ。そもそもお前がいたところで、何の役にも立たなかっただろう。いい加減戦闘職のスキルも身に着けろ」

ロードリックの頑なな態度を見て、アルバーノは諦めて元来た扉へと戻って行った。

そのアルバーノの頭に、勢いよく飛んできたコップが命中した。

「小遣いが貰えなくて残念だったなクソガキ!」

アルバーノがコップが飛んできた方向を見ると、三人の男たちが笑いながら酒を呑んでいた。昨日、アルバートを襲い金を巻き上げたごろつき共だった。

アルバーノは気にせず再び扉の方へと向かい、店から離れた。



* * * * *



「肉は買うてきたのか?」

ヘイロンに問われ、アルバーノは首を左右に振った。

「お金を貰えなかった」

「なんでじゃ? ワーム共を追い払ったのはワシとヌシじゃろう」

「認めてもらえなかった」

「では、どうする?」

ヘイロンに問われ、アルバーノは観念したように目を閉じた。

「一思いにどうぞ」

「くだらん! もっと泣き喚け! 恐怖で震えろ!」

「そんなこと言われても」

「面白味の無い奴じゃのう! もうええわい!」

「え、いいの?」

アルバーノが問い返すと、ヘイロンはアルバーノの頭を右手で小突いた。かなり手加減したのだろうが、コップを投げられた時よりも痛かった。

「今日中に獣を狩って飯を作れ! ワシが満足するまでずっとじゃ!」

殴られた頭をさすりながら、アルバーノが「えー……」と小さく声を上げる。

「ヘイロンが狩ればいいのに」

「何か言ったか?」

「何も」

溜息を吐き、リュックを背負う。

「日本に帰りたいなあ」

心からの願いだったが、その言葉は誰の耳にも届かなかった。

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