第2話 勝算ナシ
少し前、クウカと初めて出会った日のことだ。俺は大会期間中に生活するこの家に彼女より少し早く入り、そこで運営職員から説明を受けていた。
「ジン、といったね。君が担当する闘士の名前はクウカ、狼系亜人の少女だ」
担当の情報から大会のルール、その他注意点など、俺は職員が口にする内容をメモに書き写す。
「あの、すみません。ひとつ気になるところがあって……奴隷に自由を与えすぎじゃないですか? もっと檻に入れたり、錠で拘束したりするものかと」
「ああそうか、君はこの仕事初めてだったね。説明するよ」
話し始める職員。
どうやら、それほど危険性の高くない、すなわち勝算の薄い種族の場合は、ある程度の自由を与えたほうがいいらしい。あまり強く制限しすぎると、自分で舌を噛み切ったり、無気力なまま試合に入ったりしてしまうそうだ。
一方ある程度の自由を与えると、生への執着が生まれ、闘いに本気で挑むようになるんだそう。
とはいえ個体差があって完璧には読めないので、この仕事はかなり危険らしい。まあ、だからこそ俺みたいなのに回ってきたともいえるが。
「おっ、来たみたいだよ」
「ああ、彼女が……」
もうひとりの職員に連れられて、少女が俺の目の前に現れる。狼のような耳と尻尾。それ以外、人間の女の子と何ひとつ変わらない外見。
この子が、これから殺し合いをさせられるのか……。
「ジンだ。今日からよろしく」
「…………クウカ」
俺たちは事務的な挨拶を済ませる。
この頃は確か、どうせすぐ敗退するだろうし情を感じるだけ無駄だな。なんて考えていた。
結局、一緒に生活していると手の掛かる妹のようで、早い段階で打ち解けてしまったわけだが……。
さて、この感情を一体どうしたものか。
その答えは、未だにはっきりとしていない。
◇
クウカが大番狂わせを起こした二回戦の翌日、俺は三回戦の対戦カードを確認するため、抽選結果が張り出されている街の掲示板を訪れていた。
「えーっと、あいつの名前は……あった」
クウカという文字を見つけ、その隣に名前の書かれた対戦相手の情報を手元の資料で確認する。
「こ、これは……」
昨日とは反対に、帰ってきた俺をクウカが出迎える。
「おかえり、どうだった?」
「ああ、明後日の対戦相手、ちゃんと見てきたよ」
俺は帰宅早々、コップ一杯の水を口に含んだ。
「どうした? 落ち着きがないな」
「いや、なんだ、その……次の相手、ちょっと強いかもしれない」
「どんな相手なんだ?」
「…………竜人族だ」
会話がピタリと止まる。
無理もない、竜人族といえばこの闘技大会で何度も優勝している最強の亜人。三回戦で当たる次の相手に至っては、ここ二戦で無傷だったらしい。
「な、何とか言ってくれよ……勝機はあるのか?」
「いや、ない」
クウカはあっさりとそう答える。自分で言うのはどうかと思うが、正直俺も同じ意見だった。
二回戦以上に相手が強いのに加えて、今回は彼女自身が既に満身創痍だ。
「…………じゃあ、逃げるか?」
俺は無意識にそうこぼしてしまう。
それを聞いたクウカは少し驚いた表情をした後、大声を上げて笑い始めた。
「あはっ、あははっ!」
「おいおい、笑いすぎだろ」
彼女がそんな反応だったので、俺も冗談っぽく返す。
それからしばらくは、二人で笑い合っていた。
「逃げたところで、私の身分じゃどこに行っても酷い目に合うだけだ」
「まあ、そうかもな」
「でも闘士として闘っていれば、少なくとも大会中はみんなに認めてもらえるだろ?」
そう言って、一枚の紙を見せてくるクウカ。
「さっきその辺の子供から似顔絵をもらったんだ。『おうえんしてます』って」
「よかったじゃないか、かわいらしい絵だな」
「だろ!」
クウカが嬉しそうにぴょんぴょんと跳ね回る。怪我をしてるというのに元気だ。
「握手もしてあげたんだぞ。私もう手洗わない!」
「お前が洗わないのか……」
本当に幸せそうでなにより……。
だが、今の怪我の状態で外を歩き回るのはあまり好ましくない。
「で、いつの間に外出したんだ?」
「えっ、あっ、それは……ジンがいない間にこっそり」
「はあ、安静にしとけって言っただろ。いやでも傷が良くなったところで……って感じか」
自然とトーンダウンしていく声。まったく、なんで俺の方が落ち込んでるんだか。
それからも、一応無断外出について反省している素振りは見せつつ、外でたくさんの人と交流したことを楽しそうに話すクウカ。
怪我のことを抜きにしても、一人で外出までするのは亜人闘士としてさすがに勘弁してほしかったのだが、あまり強くは言えなかった。
『私初めて知ったよ。これが幸せって感情なんだな!』
その言葉が頭に残る。
「初めて……か」
「ん、どうしたんだ?」
「いや、なんでもない」
逃げよう、なんて言ったのは俺の自己満足だったのかもしれない。
「そうだクウカ、明日街の方に行かないか? もう安静にしててもしょうがないなら、残された時間を目一杯楽しみたいだろ?」
「それいいな、行きたい! 私も明日はジンと過ごそうと思ってたんだ」
「そっ、そうなのか……気が合うな」
純粋に楽しんでほしいという気持ちはもちろんある。だがどちらかというと、クウカに新しい幸せを知ってほしいという思いが一番大きかった。
いろいろな幸せを知って、生きていたい、新しい世界を知りたい、という気持ちが芽生えてくれたのなら、その時にもう一度……
「そうだジン、これを受け取ってくれ」
「えっ? あ、ああ……なんだこれ?」
狼の牙のようなものがついた首飾り。
「お前の乳歯か?」
「いやそんなゴツいの生えてたわけないだろ。それは私の先祖の牙だ。……まあ、遺産みたいなものだな」
「遺産? そこまでの価値はなさそうだが」
「失礼だな! 遠い昔からずっと受け継がれてきたものなんだぞ!」
「ほう……」
なぜだろう、どこかで同じものを見たことがあるような気がする。
と思ったら、彼女の首に全く同じものがぶら下がっていた。
「なんだ予備かよ」
「違うわ。ひとつは自分、もうひとつは大切の人に身に付けてもらうんだ」
「なるほど、ってことはつまり……」
「ああ、両方ともジンにやる。結婚とかするならその相手にプレゼントしろよ」
そう言って、首飾りを外すクウカ。
「ああ、そっちか」
「そっち……? まあとにかく受け取ってくれ」
「わかった。多分大切にするよ」
「絶対、大切にしてくれ」
俺は受け取ったものを自分の手ごとポケットに入れ、ぎゅっと握りしめた。
「……どうしてもって時だったら、売って借金返済の足しにしてもいいか?」
「噛むぞ」
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