魔との共生⑤
「仕方ないでしょ」
「認めてあげるわ」
「弟子ならどうしようもないからな」
「フェイの師匠にも怒られたんですよ~。だから、仕方がありません」
「……そう」
彼女たちの声がさわさわと鼓膜を擽ったことで、意識が浮上した。はっと起き上がると、ベッドの周りに彼女たちが集まっている。ルゥが一番に気がついて、僕のそばに飛びついてきた。
「フェイ」
「……無事か?」
「フェイが言うことじゃない。魔力不足。よくない。無茶」
「悪い」
「無事?」
「ああ、無事だよ」
懸命に話しかけてくるルゥが、ふぅと息を吐き出す。しかし、表情は険しいままだ。僕をじっと睨むように見つめてくる。それから、拳をぐりぐりと二の腕に押しつけてきた。しっかり親指を握り込んでいるようで、地味に痛い。
「痛いよ、ルゥ」
「フェイが心配するのよく分かった。フェイもよくない。安全第一。分かった?」
どうやら、ルゥの庇護欲を刺激してしまったようだ。僕の思考に納得してくれたのは嬉しいが、子どものように心配されるのは苦笑が零れる。
「分かったよ。一緒に研究してような」
同意したというのに、今度はルゥが返事をしない。眉を顰めると、ルゥは顔を伏せた。
「……アレ、ボクのこと分かっててやってきた」
「普段は結界魔法を広げてるから平気だよ。必要なら警戒レベルを上げよう」
「……迷惑じゃない?」
それでなくても、気にしていた部分であるように思う。その懸念が現実になってしまったのは、痛手だったかもしれない。
僕は俯くと同時に力なく垂れてしまった拳をそっと握り込む。小さな手は、こうして落ち込まれるとひどく心許ない。やっぱり、年上だなんだなんてものは些末なことのように思えた。
「迷惑じゃないよ。何度もそう言っただろう」
「それだけで済む話じゃないんじゃないの?」
横入りしてきたのはアカネだ。
僕はそのときになって、ようやく彼女たちへとしかと視線を向けた。ひとかたまりになった彼女たちは、もうルゥに敵対している様子はない。しかし、すべてを肯定的に受け止めているわけでもないようだった。
「……どういう意味だ」
「サキュバスたちに襲われるのは笑えないし、彼女が苦しい思いをすることもあるかもしれない。サキュバスが同族の淫らな属性を誘因することができるのは、フェイなら分かってるでしょ?」
サキュバスについては、ルゥから話を聞いている。すべてを理解することはできなかったが、自分でもきちんと調べて知識は増やした。体液と淫夢の関係など、知っておかなければいざというときに困る。だから、アカネの言うことも理解はできるのだ。
だが、そんなものは小事だった。僕は体液の対処法を分かっている。網羅できているとは言えないだろうが、仮にルゥが発情状態になったとしても、対応できるはずだ……というより、対応したも同然だろう。
僕はルゥに体液を分け与えることを既にやっているのだから。
「問題ないよ。ルゥが元気でいるために必要なことも分かっている」
彼女たちの視線は、不審さを消しはしない。けれど、僕は譲るつもりはなかった。そして、詳細を伝えるつもりもない。
魔法使いにとっての重大な触れ合いについて、暴露してやる義理はないだろう。これはルゥと二人で納得できていればいいことだ。
「……分かった」
詳細を伝える義理はないが、何かしら納得できる材料がなければならないことは分かる。僕はそっと呟いた。
彼女たちだけではなく、ルゥまでもが顔を上げて僕を見る。
「君たちはルゥが危険な状態になることを杞憂しているんだろ?」
「大雑把に言えば、ですけれどね~」
「もし僕がルゥを解放してしまえば、それがどこで起こるか分からず、手綱を引くものもいないということも理解して発言しているか?」
「……それは私たちが冒険者として出動する話になるだけでしょ」
それはつまり殲滅命令によって、ルゥを倒すということだ。
「じゃあ、君たちは今もルゥを倒せるか?」
僅かに空気が張り詰める。握っているルゥの手が力んだ。彼女たちも、苦い気配を滲ませている。初めてここに襲撃してきたときとは、まるで反応が違った。もちろん、その苦さはあくまでも僅かであることも否定できないが。
「私たちはやる必要があるなら、躊躇わない」
僕はそれを当然だと思った。彼女たちならそう言う。勇者とも褒め称えられるアカネが、仕事をこなさないとは思っていない。
ルゥはぴくりと指を震わせたが、僕は確固とした強さでその手のひらを握った。
「僕はそんなことをしなくても、ルゥを収められるし、ルゥの監視役にはぴったりだと思うよ」
言い方はすこぶる不遜なものに聞こえる。だが、そのあけすけさが僕の真意を顕著に映し出していた。
彼女たちは、峻厳な顔で僕を見る。そばにいるルゥはいつもよりも目を見開いていた。
「つまり、フェイがその子を捕縛しているのだから、見過ごせってこと?」
「そういうことだよ」
彼女たちに折れどころを渡すとしたら、それくらいしか隙がない。
もっと考え込めば、納得させる材料を用意することができるのかもしれなかった。けれど、この場で即座に示せるものではなかったし、僕の頭はそれほど万能にできてはいない。
咄嗟の言葉ではあったが、本心からの力強い肯定をした。
「……はぁ」
「フェイは言い出したら止まらないもの」
「面倒だったな」
「しつこいんですよね~」
呆れた声には、肩を竦めるしかない。
それでも、彼女たちがこうやって落とし所を提示すれば加味してくれることを、僕は実体験で知っている。
これでよし。
彼女たちがそれほど遺漏なく思ってくれたかは分からない。けれど、そうした雰囲気が流れていた。
その暗黙の了解のような雰囲気を理解できていなかったのは、ルゥだけだ。
「……いいの?」
「いいってさ」
ルゥはぱちくりと瞬いてから、彼女たちへ視線を向けた。僕以外の了承が本当かどうか確かめるような動きに、彼女たちは苦い顔をしている。やはり、どうしたってにこやかとはいかないようだ。こればっかりは仕方がないだろう。その証拠に、彼女たちは僕の意見を否定することもなかった。
「いいの?」
再確認は彼女たちへ向かってのものではなく、僕へのものだ。
わざとらしく周囲の意見としてはぐらかしたのはバレバレだったらしい。僕が説得するよりも周囲の納得があったほうがいいと思ったけれど、ルゥの優先順位はそこではないのだろう。
賢い子は、結局世話をかけるのが僕だというのが分かっている。
「もちろん」
繋いでいた手を握手の握りにして揺らすように振ると、ルゥがぎゅうと手を握り返してきた。
「……うん」
「よろしくな」
「よろしく」
改まったことこの上ない。僕らがその挨拶を交わさなければならなかったのは、あの日。ルゥとともに過ごすと覚悟を決めたときだったのだろう。
そうすれば、こんな面倒な手順は踏まずに済んだはずだなんて脳天気なことは言わない。けれど、いくらか今よりも違う形で近付くこともできたのではなかろうかと思う。師弟として交わし合ったものとは、多少意味が違うような気がした。
だが、今はこうして改めて暮らしていけることが何よりも一番で、そして、この不器用な距離の縮め方をしたことにひとつの後悔もない。結果論だとしても、後悔はなかった。
僕はベッドの上。ルゥはすぐそばの椅子に座って。初めて会話をした日と真逆の状態で、僕らは静かに笑い合う。
ルゥの笑顔はもうひとつの曇りもなく、ぎこちなくもない。
彼女たちが立会人のように取り囲むそこで、僕らは新しい一歩を踏み出したのだ。
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