魔との共生④

「すぐに実行するんだ。でなければ、そこにいるやつらを消してしまうぞ」


 何を試されているのか分からないのは、魔族相手では常のことだった。久しぶりに感じる理不尽さに、僕まで力が入る。


「……この人から魔力をもらえばいい?」


 ルゥが毅然と投げかけた。

 サキュバスたちは答えずに、傲然と仁王立ちをしている。それが正解であるとばかりの態度だ。僕がそう感じたものを、ルゥも同じように感じたことは、瞳がこちらを見たことで把握した。

 ルゥは返事をせずに、僕のほうへ身体を向ける。


「お前!」


 それに如実に反応を示し、武器を構えたのはパーティーメンバーのほうだった。声を荒らげるそちらを一瞥したのは、ルゥと僕も同じだ。だが、サキュバスたちのほうがよほど顕著であり、それは即座に魔力となって彼女たちに襲いかかった。

 彼女たちはすぐさま身を翻す。僕の火炎結界からも飛び出すより他にない。サキュバスたちの思惑通りなのか。残されたのは僕とルゥだけだった。


「……しょうがないな」


 呟いた僕に、サキュバスたちが愉快そうに顔を歪める。

 観念するかのように、膝をついてルゥの瞳に焦点を合わせた。ルゥはとんと軽い足取りで、僕の胸元に飛び込んでくる。襲われるというよりも、ただの抱擁でしかない。いつも通りの体温に、苦笑が零れそうになるのを噛み殺した。

 僕はそっとルゥの耳元に唇を寄せる。熱い抱擁でそうすれば、籠絡されているように見えることだろう。彼女たちから、小さな悲鳴が聞こえた。

 だが、そんなものを意に介すつもりは毛頭ない。

 これは僕らにとって、日常的なスキンシップでしかなかった。冷静になると、これほど自分のテリトリー内にルゥを迎え入れていたことを、今更ながらに実感する。同衾で慣らされ過ぎていた。


「魔石に魔力を込める。魔石から持っていくんだ」


 サキュバスは体液の動きを把握することもできると聞く。移動が行われていないと、表面上でも偽ることは難しい。

 僕はヘアピンに非常用補給としてセットしてあった魔石を利用することにした。魔力をどんどんと込めていく。それは、ルゥに魔力を吸われているように見えることだろう。体液交換を装うには上出来なはずだ。

 ……魔力も体液に分類されるものだから、事実として行っていないわけでもない。


「その魔石は爆弾みたいなもんだ。武器になる」

「投げる」

「さすがだ」


 僕の魔力を充填したそれは、心強い飛び道具になる。ルゥはさすがの理解力で、僕の意図を汲んでくれた。頼もしい弟子で誇らしい。

 僕はそのままルゥの背を掴んで、引き寄せるようにその場に倒れ込む。腹の上に乗っかったルゥが、少しだけ驚いた顔で見下ろしていた。だが、それはルゥの顔色を見慣れた僕にしか分からないものだっただろう。

 仮に表情の変化が気取れたとしても、ルゥは僕を見下ろしていた。陰ったその角度では、明確に目視することはできなかったはずだ。第三者には、ルゥが僕を押し倒しているようにしか見えないだろう。それを狙ったのだから、それで正しい。

 火炎結界を消滅させれば、いかにもなピンチを演出できる。

 ルゥもすぐに理解が及んだようだ。両手で僕の頬を包んで顔を寄せてくる。こつんとぶつかったのは額だけだったが、ルゥの髪の長さのおかげでその辺りは誤解を与えられたようだ。


「貴様!」


 今までとは比にならないほどの怒号が響き渡り、アカネがこちらに突っ込んでくる。堪忍袋の緒が切れたとばかりの威勢だ。剣がこちらに振り下ろされるのが視界の中に飛び込んできた。僕に当てない自信がなければ、こんな振り下ろし方はできない。それほどの威力には冷や汗が出る。

 しかし、それに怯んで動けなくなるほど、僕は経験値がないわけじゃない。どれだけ平和主義でも、冒険者として積んだ年数は決して手を抜いたりはしていなかった。

 すぐに展開した防護魔法が僕から弾き飛ばしたのは、剣でなくルゥだ。それこそ、アカネの剣が当たらないように。それよりも先に展開させて、ルゥを僕のそばから遠ざける。勢いよく打ち上げられたルゥに迷いはなかった。

 言葉なく通じ合えるのは、日頃の成果だろうか。戦闘なんてものに特化していなかった。何気ない日常を過ごしていた。たったそれだけで繋がれる信頼は爽快だ。

 ルゥはそのまま真っ直ぐにサキュバスのほうへと飛んでいった。サキュバスたちが気難しい顔で、しかし見捨てるつもりはない様子で、ルゥが落下してくるのを待っている。

 しかし、ルゥは相手の手に落ちたりはしない。僕の求めていた通り。伝えた通りに、サキュバスたちの頭上からヘアピンの魔石だけを取り外して、力の限り投げつけた。

 凄まじい爆風とともに、僕の魔力が解き放たれる。

 その衝撃で、近くの木々がひび割れて倒れ、木の葉が辺り一面に散らばった。サキュバスたちがその場に倒れ込んで、魔力に押しつぶされている。

 爆風に吹き飛ばされたルゥもただでは済まず、予想よりもずっと派手にこちら側へと飛んできた。見誤った落下地点に舌打ちが零れる。僕はすぐさまその場に立ち上がり、ルゥの元へと走り込んだ。

 間に合わない。

 無理無茶無謀で、可能性を削るつもりは一ミリもなかった。僕はすぐに衝撃吸収の魔方陣を、ルゥの落下地点へと幾重にも重ねる。

 三重を越えたあたりで、ぐらりと足元がふらついて冷や汗が流れた。魔石に魔力を込め過ぎたらしい。崩れ落ちそうになる足を叱咤して、根性だけで前方へと進む。

 衝撃吸収はただ衝撃を吸収してくれるだけで、受け止めてくれるわけではない。ルゥが空中で体幹を保ち、数十メートルの落下着地を見事にこなす確証はなかった。自力で飛び上がったのならまだしも、これは衝撃波による吹き飛ばしなのだ。

 地面に打ち付けられる姿が脳内を過って、僕は魔力不足を無理やりに立て直して突き進む。それでも間に合わないことは、どこかで分かっていたのかもしれない。だからこそ、ルゥが叩きつけられる最悪な想像が脳内を流動的に駆け回っていた。


「ルゥ!!」


 自分の声が悲痛なほどに引き絞られている。

 タイムリミットはすぐそこだ。小さな身体が宙を舞っている。身体が震えて、動きが鈍くなっていた。

 ダメだダメだダメだ。

 かつてないほどの警告音が頭蓋骨を揺らす。


「ルゥ!!!」


 叫ぶしかできない自分の非力さに、足がもつれた。僕の衝撃吸収の魔方陣を通り抜けながら、ルゥが刻一刻と地面へと迫っていく。

 こんなときばかり、冒険者として過ごしてきた日々が現実を伝えてきた。そして、僕は目を逸らすことが危険を高めるものだと分かっている。ルゥの落下から目を逸らすこともできない。

 コンマ数秒がどこまでも引き延ばされたフィルムみたいに長く感じた。そのくせ、ちっとも身体は時間へ追いつかない。

 長いのだから、間に合えよ。

 そんな願いは虚しくも届かない。目の前で上がった土煙に、かろうじて進んでいた足がもつれてその場に倒れ込んだ。顎を思いきり地面に打ち付けて、危うく飛びそうだった意識の端っこを掴んで引き寄せる。

 晴れていく土煙の中に、シルエットが浮かび上がってきた。そこにあるのは、間違いなく人影だ。者である。絶望に凍り付く僕の視界から、ゆっくりと土煙が散っていく。

 そして、明らかになっていく人影は、おかしい。ただの人間のそれではない。ぐしゃりと折れ曲がってしまったのでは、とおぞましい想像が働いて、歯の根が合わなくなる。それでも目を逸らさないのだから、僕は自分の習性を憎んだ。

 しかし、そこにあったのは二つの人影だった。それを理解するまでに、数秒の時間を要する。

 ルゥの下にはロウガが滑り込んで、その小さな身体を抱きかかえていた。


「……ロウガ」


 その顔色は不機嫌で、不服が存分に滲んでいる。その足取りが、僕のほうへと近付いてきた。そばに現れたサティが僕を回復してくれる。他の二人は、サキュバスたちの殲滅に向かったようだ。

 僕はどうにか起き上がって、地面に座り込む。そこにやってきたロウガが、ルゥを差し出してきた。

 ルゥは気絶してしまっている。目を閉じて横たわっている力の入っていない身体を受け取ると、その重みがずっしりと腕の中に落ちてきた。

 ちゃんと息をしている。

 生きている。

 肺の奥底から、すべての酸素が漏れ出た。髪が乱れたり身体中が砂埃で汚れたりはしているが、大きな怪我はなさそうだ。それを確認して、またぞろため息が零れ落ちる。


「助かった」

「……いい」


 ロウガはルゥを認めたわけではないのだろう。もしくは、そう簡単に意見を翻せないのか。何にしても、救ってくれたという現実だけがすべてだ。


「サティ! こちらを頼む」

「は~い」


 サティは特殊な光魔法で、癒やしとしてアンデッドを消すことができる。サキュバスはアンデッド判定だ。サティが呼ばれたということは、アカネたちが無事にサキュバスたちを殲滅したということだろう。

 これでもう、大丈夫だ。危機は去った。

 僕は緊張感を消して、ルゥを胸の上に抱いたまま地面に横たわった。

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